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H・アール・カオス『エタニティ』インタビュー!

H・アール・カオスが、この夏6年ぶりとなる待望の新作『エタニティ』を発表! H・アール・カオス主宰であり日本を代表する演出家のひとり、大島早紀子さんが構成・演出・振付を、ダンサーの白河直子さんがソロを踊る注目作です。開幕に先駆け、大島さんと白河さんのお二人にインタビュー。作品への意気込みをお聞きしました。

 H・アール・カオス待望の最新作『エタニティ』。タイトルの由来、着想はどこから来ているのでしょう?

大島>生きる=有限の時間であり、そこではとても多くのものが失われていきますよね。記憶、名前、肩書きとか、自分の核だと思っているものが時間とともにどんどんなくなっていく。だけど、もしそこに永遠性があるとしたら何なのか……。それを白河さんの身体のなかに探したいという想いがまずありました。

金魚が水槽のなかにいて、水がどんどん抜けていっているとする。でも水が抜けているのは金魚にはわからない。水が時間で、そこで泳いでいるのが自分なんだと思う。自分もどんどん年をとっていく。自分では気付かないうちに、水が抜けていっている。生まれてきたら必ずいつかは死ぬ訳だけど、だからといってその時間が無駄だったということでは決してないし、生きてきた時間の輝きが感じられたらいいなと思う。近頃特に、その気持ちが強くなってきているような気がします。

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

白河>毎回クリエイションの始めに、大島さんからコンセプトが書かれた創作ノートをもらいます。いろいろな言葉を抜き取って文章にしたものがまとめてあって、今度はこういうことやろうと思うと言われ、そこからスタートする感じです。

大島>いつもそうなんですけど、創作しようにも毎回作り方がわからなくて。本当に手探りすぎるので、何か制約が欲しいんですよね。自分のなかに制約をはっきり作らないとどうにでも作れてしまうから、まず創作ノートを用意して、そこから創っていくというか……。ただそれもやってる間に変わっていくので、最初にこう書いたけどこの文章は捨てて下さい、ということはよくあります。

(C) TOKIKO FURUTA

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白河>だいたいいつも一年くらい前から作品のコンセプトを考え出して、ダンサーが集まってリハーサルを始めるのが本番の三ヶ月前くらいから。今回踊るのは私ひとりですが、やっぱり時間はかかりますね。

大島>白河さんとの作品はどれも時間がかかって、やはり今回も密に作っています。クリエイションを始めたのは昨年の11月。すごく不器用なので、時間をかけないとハンパになってしまうんです。実際にクリエイションを始めても、私のなかでは“何か違うな”という感じで、ずっと手探りしている状態でした。でも根っこがきちんとあれば、そこから伸びていける。そもそも当初は二部構成で、全然違うことを考えていたんです。ギリシャ神話にレテ川という日本の三途の川みたいなものがあって、その水を飲むと生前の記憶を全部忘れて霊界に行けるという。最初はレテ川を題材にしようと思っていましたが、だんだんそこから離れていって、失われていくものに対するレクイエムではないですけど、今の場所に辿り着いたというか……。

白河>それもがらっと変わった訳ではなく、ずっと積み重なってここまで来た感じです。

(C) TOKIKO FURUTA

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大島>そうやって周り道して本筋に戻っていくと、初めからダイレクトに作るよりもちゃんと積み重なっていけるんです。彫刻みたいに、いらない部分を削っていくような感覚でしょうか。目鼻立ちが見えてきたから今度はこちらを削り、もう一回戻しての繰り返し。いろいろなところからイメージを持ってきては、いらない部分を削っていく。でもひとつのシーンを動かすと他のシーンも変わるから、結局毎日変わっちゃう。だからすごく時間がかるんです。

白河>作っている間にまたいろいろなことが起きて、そこで自分も考えさせられて、作品に反映されることもあります。何か事件が起こると一度そちらに自分も引っ張られる感じです。ただ、最近はそういうこともなくなりましたね。純粋に人が持っている記憶だったり、なくなっていくことへの不安だったり、自分の最も大事な記憶は何なんだろうと思ったり……。

大島>社会情勢に影響を受けて、それが作品に入ってくることがあって。現代はネットという匿名社会のなかで、自分という名前がなくても生きていける。けれど根っこがなくて、インターネット空間のなかで漂流しているような感覚があります。そのあてのない不安みたいなものだったり、世界的な移民問題だったり、テロだったり、そういう事柄に影響されたりもする。でもそれは本筋とは違うというか、実際作品に入ってくるのは、“永遠ではない”ということ。記憶がなくなっていったり、身体が動かなくなっていったり、みずみずしい生命力がどんどんなくなっていく。だけど、なくなっていくところにこそ儚い美しさがある。滅びの美学じゃないけれど、永遠にあるものより、儚いものにとても惹かれるんです。

(C) TOKIKO FURUTA

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-コンテンポラリー