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森優貴『Macbeth マクベス』インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルグ歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、この夏日本で振付最新作『Macbeth マクベス』を発表! ダンス×文学シリーズVol.1として神戸で初演を迎え、続いて文学舞踊劇として東京公演を開催します。開幕に先駆け帰国中の森さんに、作品への想いをお聞きしました。

マクベスも含め、森さんの作品には人間の闇や生と死を題材にしたものが多いように感じます。

森>それは自分の好みなのかもしれないし、その好みがどこからきているかというと内面的な部分かもしれない。マクベスではないけれど、歯を剥き出せば……、という部分ってたぶん誰にでもあると思う。誰しも持っていて当然のことだと思うから、そこに惹かれるのかもしれません。特にここ最近は、その部分をより強く出している感覚があります。

日本を離れて20年が経ち、自分の中の不安定さが消えないまま、幸せなことにすごく恵まれた道を歩いてこれたし、現在歩く道は徐々に安定してきた。自分の力でじっくり時間をかけ、一歩一歩必死に歩いて来ました。外国人として海外で暮らし、さまざまな想いを噛み締めながら歩いてきた中で、目をつむってきたことが沢山ある。今、この年代になると周りの同僚や友人たちも同じように年齢を重ねていく訳で、サイクルの様に再び不安を抱える時期でもあるし、近い将来を常時考えながら突き進んでいく時期でもある。生と死に関してはかなり早い段階から直面してきたし、無意識のうちにずっと意識していたような気がします。

今現在もとても身近に感じています。でも生と死だけでなく、僕の中で常に離れている事の不安と失うかもしれない事への恐怖を抱えて日々生活しています。僕の中には誰もが入れない小さな暗い部屋があって、その部屋に飲み込まれたり脱出したり、部屋と共に潰れてしまったり、その繰り返しです。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

題材がどうあれ、生と死や人の闇をコンセプトやアイデアに創作しているという意識は全くありません。論理を並べても人を感動させることはできないと思うので、本能的につくっています。だからという訳ではないけれど、観ていて分かりにくいのは当然だと思う。もちろん観るからには理解して欲しいけど、頭で理解されたくないし、分かれとは言えない。でも心で分かって欲しいし、持ってる感覚のどこかで何かを感じられるはず。

音楽もそうですよね。音楽はこういうコンセプトでこういうアイデアで作曲したから感動するということではなくて、聴いてる時は心で感覚で身体で聴いている。人間誰しもが持つ感受性のスイッチがあって、僕がそこに直接触れたいという想いと意識で作品を生み出そうと努力しています。そのためには自分の思い描く世界に正直にいること、感覚を研ぎ澄ませた上で本能的直感で、その世界を生み出していくことが常に必要なんです。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA


創作のためのインプットは? 森さんにとって作品づくりに必要なものは何でしょう?

森>今『マクベス』を含めて同時進行で4作品手がけています。アウトプットだらけです(笑)。できれば蓄積するための充電期間が欲しいし、もっと多方面から知識を得る必要があると思う。いろいろなものを読み、聞き、書き、当たり前の事を何倍もしていく必要があるのは常々感じています。

でもよくミュージシャンが “充電期間をとりました。この間は作品をつくりませんでした。だから新しいものが生まれました”と言うけれど、それは違うような気がしていて。ミュージシャンとしては活動休止しているけれど、人としては活動時よりも何倍もの時間をインプットに費やしているはずですよね。充電するならその間はよりアクティブにいなければいけないと思う。芸術監督という立場から考えると充電期間が必要だと感じ、欲していますが、一度そこに踏み込んだら戻れないような気もしています。

劇場専属の舞踊団の芸術監督・振付家には次から次へと新作製作が基本的に求められます。ただ同時に4作品を抱えてはいるけれど、それぞれテーマも違えば内容も公演場所も違う。そこで違うスタッフからひとつの新しいアイデアが提案されると、イメージが沸き上がる。何かが生まれて弾けるまでの時間が以前より早くなっているのを感じます。これは慣れなのかもしれないし、今まで蓄積されてきたものなのか、ちょうどその瞬間インプットされたのかはわからないけれど。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

僕にとって創作というのは、作品ごとに自分の中にある暗い場所に潜り込み、そこでまずはひとりで孤立して創りたい世界が見えるまで待ちます。暗闇の中に閉じ込め、本能だけを頼りに外への出口を探していく作業。だからひと作品終えるたびに毎回燃え尽きています。ものすごく疲れるし孤独です。僕が認識している振付家というのは、動きを創って“はい、これで振付家の仕事は終了”というのではなくて、美術、衣裳、照明のデザインから舞台転換といった演出面まで、全ての現実化を引き受けるのが普通だと思っています。そう考えるとやっぱり潜る作業は重要になる。何故なら、何もないところにひとりの人間の想い描いた世界を成立させなければならないから。

よく耳にする言葉で"ダンサーとの共同作業の中で、彼らに触発されることで自分が思ってもみなかった方向にいくのが興味深い”という作り手がいますよね。それはそれでもちろん良いけれど、僕にはなかなかできなくて。たぶん一気にすごく深いところまで潜っているんだと思うし、抱えてる世界が細部のディテールまで明確に見えた状態で暗闇から出て来た自分がいるんだと思います。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

でも、イメージだけを持ってて動き自体はダンサーと一緒に組み立てていこう、ということは多々あります。それは僕が自分の作品を踊るダンサーを抱え、日々共に仕事をしているから可能なことだし、僕の場合、そこに辿り付くまでにすでに一度潜ってる。深く潜って、ある程度肉付けされた世界を持ってからとりかかる。リハーサルの初日にはほぼ目的地は見えている。どんな作品でもまず企画の話があって、そこから一年以上かけて準備をし、ようやくスタジオで振りを創り出す。スタジオに辿りつくまでの過程、そこが一番大変なところです。

 

 

-コンテンポラリー