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森優貴『Macbeth マクベス』インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルグ歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、この夏日本で振付最新作『Macbeth マクベス』を発表! ダンス×文学シリーズVol.1として神戸で初演を迎え、続いて文学舞踊劇として東京公演を開催します。開幕に先駆け帰国中の森さんに、作品への想いをお聞きしました。

創作をしていく上で喜びを感じるのはどの瞬間ですか?

森>ふたつあります。まずひとつ目は、舞台稽古とドレスリハーサルの間に照明デザインをし、プログラミングをする。振付作業と同時に作成していた照明プランの様に舞台上のヴィジュアルが思い描いていた様に視覚化されていく時です。僕は照明をデザインする上で自らプログラミングに必要な照明機材の選択、照明キューの秒数を全部計算してプランを作成します。舞台展開も一緒で、盆舞台を使う場合は何分何十秒で何十度から何十度まで左回りにして、その間にセリを何メートルまで何秒で上げて……、という様に。自分の中で想い描き、計算してつくったものが形となって実在するのが見えてきたとき、それが第一段階で“よしっ!”となる瞬間です。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

ドイツでは初日を迎える二週間前から舞台稽古が始まり、本番までほぼ毎日続きます。衣裳、メイク、照明付きのドレスリハーサルも二回ずつやり、その後にゲネがあって、オーケストラ演奏の場合は2〜3日オーケストラとの稽古が舞台である。そうしてやっと初日を迎える。日本では考えられないほど恵まれた環境ですが、それでも時間はぎりぎりです。一度目のドレスリハーサルはたいていカオス。慣れない衣裳で踊ることで問題が起きたり、照明のタイミングが合わなかったり……。でもそのときはじめて初日に向けて残っている課題が浮き上がり、自分の中でも目的地への最後の難関を実感する。それがふたつ目の瞬間です。

僕にとって作品は子供みたいなものですよね。ドイツでは初日の幕が開いてから千秋楽までひとつのプロダクションにつき13~14公演行います。ほとんどが二度と上演されないプロダクションです。千秋楽後何も残らないけれど、それでいい。僕の作品を観に人々が劇場に足を運び、特別な時間を過ごし、心で感じてもらえ、僕も人々に触れることができたという事実は、その人々の中に歴史となって残るから。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

今回はご自身もステージに立たれます。ダンサーとしてのやりがい、喜びを感じる部分はどこですか?

森>役を演じること、その状況に自分を入れ込んでいくところです。ストーリー性のある舞踊作品の場合は特に、与えられた振付以外で表現の自由がある程度可能で、立ち姿、目線の送り方など、自分なりの解釈で作品の全体的印象も変わります。それは芝居に近いものです。それができるのはやっぱり楽しいですね。今回の作品でいえば、舞台でマクベスが野心を持ち、妻に支えられ破壊的で残酷な事件を起こし、生きていく。その世界と状況、精神状態に自分を入れ込んでいくのは役者的作業ですが、変身していくことで舞踊としての動きも変わっていく。演じるのは楽しい。もともと舞踊というのは僕にとって、何かを表現するための手段のひとつなんだと思います。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

現役のころからそうで、踊るのは好きだったけど、それは舞台で表現するのが好きという気持ちが前提にあってのこと。トス・タンツカンパニーでシュテファン・トスに巡り合い、僕が若手の頃から彼は僕のことを起用してくれました。彼は早い時点で僕の中に彼との共通点を見つけ、僕の中に眠っていた質を見出してくれました。“僕が創りたい世界を描くには、これらの3色が絶対に必要で、それらの3色は優貴に渡すから”と言ってくれたんです。その3色をどこでどうミックスしていくか、どう使うかは毎回作品によって変わるし、そこは互いに振付家と彼のダンサーという立場で見つけていける。アブストラクトな作品もあればストーリー性のある作品も、いずれにせよ演じる部分は絶対にある。僕はそこでシュテファンに与えられた色を、彼のキャンバスに存在させるために生きてきた。そのために踊ってきたんです。

彼の『ジゼル』でアルブレヒトを演じたときはものすごく演出指定があって、現代でいう軽い通りがかりの男のイメージ。スローかつ曲線的な動きで、水みたいにどこからでも入り込めて、何にでも合わせられてしまう。感情的で心をさらけ出し、真っ直ぐ表現する。逆にジゼルはきちっとしたシステムの中でしか生きてこなかった女の子で、直線的でハードな動きで表現。アルブレヒトに出会いジゼルが初めて恋に落ちていく事で、ふたりの間に特別な動きが生まれていく。演出上4回キスシーンがあるんですが、4回ともキスする箇所も感情も違う訳です。肩への手の置き方、子供に対してする様な軽めのキスのなのか、女性に対して敬意を持ってのキスなのか、情熱的なものか。すごく細かい演出でした。

ただ僕が演じた『いばら姫(眠れる森の美女) 』のカラボスや、退団公演になった『ロミオとジュリエット』でティボルトを踊ったときは、シュテファンも何も言わなかったですね。僕がティボルトとしてどういう角度で他の登場人物を見つめ、どの角度で腕を組み、どんな立ち方をし、どんな表情をするのか? 大人の社会と青少年の世代の間に挟まれる事で、葛藤と孤独のみが大きくなっていくティボルトをどう生きるのか? リハーサル初日から全て託されました。

役を与えられ、どう演じるか指定されるときもあれば、託されるときもあったけど、どちらも演じるのはすごく楽しかった。それは演じるのでなく、舞台上で繰り広げられる物語や、限られた時間の中で自分以外の人物として存在するということです。そうする事で動きの細部まで絶対的な根拠を持ち、筋を通して表現できる。舞台で踊るのは好きだったけど、僕が求めていたのはピュアにダンサーとして動くことの身体性の喜びだけではなくて、音楽と一体になり、音楽を身体で支配し、舞台上の世界で存在していくことが真の喜びだったと思います。

 

(C) TOKIKO FURUTA

(C) TOKIKO FURUTA

 

ダンサーというより演出家・作家気質だったのでしょうか。

森>そうかもしれないですね。早い時期から作品をつくることに興味があったし、そこに興味がなかったらもっと長く踊っていたかもしれません。僕が現役を退いたのは34歳のときで、ダンサーとして一番良い時期だったとは思いますが、悔いはなかった。

初めて振付けをしたのはハンブルクバレエスクールのとき。ノイマイヤーは創作を重視していて、卒業時に全員何かしら作品をつくる決まりになっていたんです。生徒がつくった作品を生徒が踊るので、僕も多いときで10数作品に出演していましたね。なかには質の高い作品もあって、僕もそこで“こういう表現の仕方をするんだ”“こういうアプローチをするんだ”といろいろ勉強することができた。プロになって初めて振付けをしたのは2000年で、当時所属していたバレエ団のダンサーを使った大人数の作品でした。同じ頃、貞松・浜田バレエ団にも作品を提供し始めました。

 

(C) TOKIKO FURUTA

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