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麿赤兒『パラダイス』インタビュー!

麿赤兒率いる大駱駝艦が、本公演で待望の新作『パラダイス』を発表! 麿赤兒を筆頭に大駱駝艦のメンバー総勢20名が集い、その作品世界を提示します。上演に先駆け、構成・演出・振付を手がける麿さんにインタビュー。作品への想いをお聞きしました。

創作の現場で麿さんの想いや考えをメンバーに伝えることはあるのでしょうか?

麿>団員の中には長いメンバーもいますから、ある種の共通言語みたいなものはいっぱいあって、“お前どう思う?”と対話をしながら作っていくことはよくあります。ただああ言えばこう言うというのはあるから、それこそどこかで枷を設けないとキリがない。まぁそれも楽しんでいますよね。バカげた考えの世界というか、遊びの発見みたいなことです。

でもパラダイスだろうがウィルスだろうが虫だろうがいつも同じで(2012年公演『ウィルス』、2014年公演『ムシノホシ』)、人間の身体だけでそれをどう表現するかということになる。基本的には身体というものをいじくり倒す遊びなんですけどね。

2014年「ムシノホシ」 (C)川島浩之

2014年「ムシノホシ」
(C)川島浩之

 

麿さんの創作法とは?

麿>まずだいたいのさわりとして構成をばっと作って、その中で膨らませていきます。構成が終わった段階でおおよそのものができてはいるけど、ある種のデッサンみたいなものだからまだ甘い。もちろんそこから変わることはあります。入れ替えたり、だらだら長いなということで切ってみたり。

今回は真っ白な舞台にしてみようと思っています。“白塗りをしてるからどこに出てるのかわからないな”、“忍者だぞ”なんて言って遊んでますけど(笑)。真っ白な中にちょっとした色があることで逆に目立つだろうし、コントラストがはっきりするのではないでしょうか。

2013年「シンフォニーM」(C)川島浩之

2013年「シンフォニーM」(C)川島浩之

 

パラダイス=西洋のカラフルなイメージが強いなか、あえて色を抑えた東洋的なパラダイスに着目したということでしょうか?

麿>僕の中では両方を行ったり来たりする感じでしょうね。真っ白というのは非常に贅沢な色だと思う。コワイ面もあります。真っ白は最も光を要求している色であり、光がないと真っ白なのかどうかもわからない。真っ暗に比べて真っ白の方がより強迫観念がある感じはしますよね。

絵描きが真っ白なキャンバスに色を塗る瞬間って、一番枷があると思う。真っ白をわざわざ汚す必要はないじゃないかと。でも何かしなければならない、したいということで、真っ白を汚すことから始まっていく。真っ白から生み出す一方で、汚してるだけじゃないかという考えもある。もちろんそれは人の見方で、あるときは素晴らしいと言われることもあるでしょう。

2013年「シンフォニーM」(C)川島浩之

2013年「シンフォニーM」(C)川島浩之

 

麿さんにとっての枷とは何でしょう?

麿>いっぱいあります。枷だらけです。大人になるとどうしても枷を背負うことになる。子どもだったら許される時間というのがあって、森の中で茂みに向かって立ちションもできたし、何をするにも自由だった。そのときは何も考えてなかったけれど、今となってはそれだけで自由だなって思いますよね。そこでやっぱり子どもには戻れないんだと改めて感じたりもする。人口が多くなって、ひとつひとつのルールを不便に思うこともある。でもそれがなければいろいろ問題も出てきてしまう。僕だって年寄りとしてあれこれ注意することもありますよ。そんなところにゴミを捨てるな、とかね。そういう意味では沢山枷があります。

いわゆる死というのも大きな枷ですよね。死の限界、時の限界というか、ある時期が来たら遊びも終わるという意味での限界。欲望を膨らませていくと、大きな意味での限界はいっぱいある。大きく考えれば地球というのもひとつの限界であり、酸素がない地球の外では生きられないというのもひとつの枷。そこから考えていくと、自由というのはどういうことなのかと思ったりしますよね。

2014年「ムシノホシ」 (C)川島浩之

2014年「ムシノホシ」
(C)川島浩之

 

限界を感じる前に、若い世代はそもそも欲望すら持つことが少ないような気がします。

麿>ある種の無気力とかいろいろな言われ方をするけれど、実際どうでしょう。現代は社会というものがある種の枷をお互い嵌め合っているところがあるいうか。共通のルールは必要なことではあるけれど、そういうものがあればあるほど、妄想やファンタジーのようにまた別の形で出てくるでしょう。ルールは守ってるけど頭の中では全然違うことを考えている、という状態はあると思う。むしろ今はそういう状態が多いんじゃないかな。そういうところで遊ぶしかない。病的にいうと、引きこもりの人たちはその典型だと思う。それは被害妄想ともいえる。

頭の中で妄想したり、それがインターネットで繋がっていったりもする。最近のコンピューター的な世界では、ゲームにしてもすごくいろいろあるじゃないですか。地球最後の日だとか、ファンタジーものが流行ったり。あらゆる想定、シミレーションをむしろオタクたちがやってるのが現代だと思うんです。

バーチャルが現実のようになっていて、特にインターネットの存在は大きいと思う。それもまた人の仕掛けだからコワイ。インターネットというのはその中だけで欲望を満たすような面があって、みんなおとなしくなっちゃった。それはもう人間の習性ですよね。一種の中毒、依存するということ。昔は神様が拠り所だったけど、今はそれがない。

インターネットもそうだし、アップルだのが全部いただいていったコワイ世界だなという感じがします。彼らはアダムとイブが食べたりんごの欠片をマークにしているじゃないですか。囓ったりんごのマークがあるだけで、欲望というものを我々の潜在意識なりに訴える何かを持っている。あらゆる知的欲望が満たされるという意味では、その狙いはある程度成功している気がします。だからこそ『パラダイス』では、欲望って本当にそんなものなのかということも含めて遊んでいるんですけどね。まぁ、僕のパラダイスを楽しみにしていてください。

2016年「クレイジーキャメル」(C)川島浩之

2016年「クレイジーキャメル」(C)川島浩之

 

 

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