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福田紘也『Nosferatu』インタビュー!

新国立劇場バレエ団の福田紘也さんが、横浜BankARTで振付作『Nosferatu ノスフェラトゥ』を発表! 新国立劇場バレエ団のダンサーをキャストに迎え、自身の作品世界を披露します。創作中の福田さんに、作品への想いと意気込みをお聞きしました。

2016年に開催された新国立劇場の『DANCE to the Future 2016 Autumn』で、処女作『福田紘也』を発表。自作自演のソロを披露し、好評を博しました。

福田>まずリハーサル室で関係者だけを集めた選考会があり、そこで選ばれて作品を発表することになりました。舞台上でコーラを飲むダンサーなんていないだろうなと思ってやってしまいましたけど、それを恩恵さんが面白がってくれて。

あんなに人に褒められたのは初めてで、“自分は今まで何をしてきたんだろう?”って思うくらい(笑)、これまでのダンス人生で一番反応が良かったですね。すごくうれしかったけど、一作目だからさほど苦労せずにつくれたんだというのは発表する前からわかっていたし、終わったときはもう完全に引き出しはないなと、あんなこともうないんだろうなと思っていました。

 

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僕は小さい頃からちょっと変わった子供で、発言も変わっていたし、好きなことも変わってた。ゲームや映画のサントラばかり聴いていて、よく兄に“そんなもの聴いて何が楽しいの?”って言われてましたね。変わってるというのは自覚してたし、“普通って何だろう?”と悩み続けた人生だったんです。だけど『福田紘也』ではじめて兄に「なんか面白かった」と言ってもらえて、“あ、たぶん本当に変わってるからコーラを飲もうなんて思いついたんだな”と考えることができた。変わった生き方をしてきたことで作品ができ、それが面白かったと言ってもらえたとき、“変わっていてよかったのかもしれない”と考えられるようになった。そう思えたときに、またつくろうという気持ちになりました。

 

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以前から創作意欲はあったのでしょうか。

福田>興味はありましたね。師匠の矢上恵子がコンテンポラリーで知られていて、その影響もあったと思います。バレエと並行して、小学校4年生のときからコンテンポラリーのクラスを受けていました。今思い返せばいい環境でしたし、やっていてよかったなと思いますけど、当時は全くそういう意識はなかったですね。師匠がとにかく怖くて、“コンテンポラリーのクラスなんてなくなっちゃえ!”っていつも思ってました(笑)。師匠がロンドンに留学していたときのクラスとニューヨークにいたときに習ったアルビン・エイリーの先生がルーツらしく、基礎トレーニングがありえないくらいキツイんです。小学生なのに腹筋も背筋もばきばきの筋肉痛になるくらい、徹底的にしごかれてました。でもたぶんバレエだけだったらすぐに飽きていたと思います。バレエの曲を踊って、テクノの曲も踊ったりする。それが良かったんでしょうね。

だけど僕自身バレエを得意だと思ったことも、コンテンポラリーを得意だと思ったこともなくて、どちらかというとコンテンポラリーが楽しいなと思っていました。雄大くんと兄(共に同じバレエ教室出身)を間近で見ていたら得意だなんて絶対に言えないし、実際のところ全然思ってなかったです。

 

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いろいろな曲を聴くようになったのも師匠の影響で、もしデビュー作をつくるならこれかなという曲も自分の中で決めていました。ただ発表会やコンクールでも振り付けをしたことは全くなくて、ずっと温めていた感じ。作品をつくろうと決意したのは、前年の『DANCE to the Future』を客席で観ていたとき。当時身内の不幸があったりと自分の中ですごく辛い時期で、“いつ何が起こるかわからないんだ、ならば今やろう”と考えて。すでに曲も考えていたし、テーマにしても割とあっさり固まっていった感じでした。

ただ師匠の影響をもろに受けているなというのは自分でも感じましたね。パッと出てくる動きがすでに影響を受けたものだから、そこからどうはずしていくかという葛藤がずっとありました。

 

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-コンテンポラリー