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金井芙三枝『プロメテの火』インタビュー!

1950年に江口隆哉・宮操子振付により初演を迎えた『プロメテの火』。モダンダンス界の歴史に輝く伝説の作が、この春オーケストラ演奏により完全再現を果たします。ここでは、江口門下生であり、作品監修を手がける金井芙三枝先生にインタビュー! 初演時の思い出と、作品への想いをお聞きしました。

1950年に帝国劇場で初演を迎え、以来100回近く上演を繰り返してきた『プロメテの火』。音楽は『ゴジラ』の作曲で知られる伊福部昭氏が手がけ、その壮大な物語舞踊はモダンダンス界の伝説となって語り継がれてきました。

金井>もともと江口先生には理想があって、まず踊りをつくり、そこに音楽を付けたいという想いを抱いていた。それを実現したのが『プロメテの火』でした。振付という言葉があるように、当時は音楽に振りを付けるのが一般的な手法でした。ということは、音楽に踊りが従属していることになる。江口先生は“それではいけない、踊りは踊りで独立すべきだ”とお考えになった。

 

金井芙三枝『プロメテの火』

 

伊福部先生はそれ以前も江口先生の『エゴザイダー』という作品にピアノ曲の舞踊音楽を作曲されていましたし、貝谷バレエ団にはオーケストラで『サロメ』を作曲されていましたが、江口先生の作品でオーケストラ編成による作曲をしたのは『プロメテの火』が初めてのことでした。

伊福部先生の奥さまが江口先生のお弟子さんだったということもあり、わりと江口先生の言い分が通ったというのもあったのでしょう。創作にあたって、江口先生から伊福部先生に踊りのイメージを伝えたり、“ここはだいたい何小節でつくってくれ”といろいろ御願いしていたようです。踊りをしっかりとつくり、それに音楽をつくっていったという訳です。実際に稽古場で踊りをみた伊福部先生が、その場で“こんな感じですか?”とピアノを弾いてみせることもありました。

『プロメテの火』だけがそういうつくり方で、その翌年岩手の郷土芸能に取材した『日本の太鼓』はおふたりで一緒に現地へ視察に行ったりと、相談しながらつくっていましたね。

 

金井芙三枝『プロメテの火』

 

長らく上演が途絶えていましたが、68年前に書かれた伊福部氏の自筆スコア譜の発見により2016年に復元公演を実現。さらに今回は伊福部氏の自筆音譜を忠実に再現し、オリジナル編成によるオーケストラの生演奏で上演します。

金井>伊福部先生としては、この楽曲は踊りに従属した音楽だから踊りと一緒でないと演奏して欲しくない、というお考えがあったようです。スコア譜を江口先生に渡してしまい、ご自分のところには置いておかなかったようですね。『プロメテの火』が幻のスコア譜と言われるようになったのもそのためです。

江口先生が1977年に亡くなった後は、宮先生がスコア譜をお持ちになっていました。宮先生は2009年に102歳でお亡くなりになりましたが、そのときスコア譜が発見されて、伊福部先生の生誕100年記念プレコンサートで演奏されることになりました。

その際東京交響楽団に頼み込み、リハーサル時に録音した演奏を2016年の復元公演時の音源にしています。ただ音楽だけを上演するコンサート用の演奏だと、どうしても踊りの振りとテンポが合わなくなってしまう。踊り用に演奏してくれといろいろな注文を出し、我が儘をいって録音させてもらいました。

 

金井芙三枝『プロメテの火』

 

 

-モダンダンス