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川村美紀子 ダンサーズ・ヒストリー

16歳でダンスをはじめ、大学生のとき発表した処女作でダンスコンペティションの最優秀新人賞を受賞。コンテンポラリー・ダンス界の新星として一躍注目を集めた川村美紀子さん。しかし彼女の活動はダンス・シーンに留まることなくーー。ダンス界の異端児、川村美紀子さんのダンサーズ・ヒストリー。

ガツガツではなくコツコツと。

もちろんダンス活動も続けています。来た仕事は基本的に断りません。仕事を選ばないので有名なんです(笑)。これまでずっと周りに与えられすぎて、オファーがあったらそれに応えるという形でやってきました。創作は作品にどっぷりつからないとできないので、それはそれでしっかりやるんですけどーー。創作に関しては、方法論は全くないですね。たぶん今でもよくわかっていないと思います。こういう方法で、やり方で、というのは全くなくて、本当にばらばらです。ただひとつの作品をつくるとなったら、その作品内で整合性は取ってるな、というのはなんとなく感じています。

 

川村美紀子

『自家発電ナイト』©traumaris

 

以前みたいに、“あれするぞー!”という意気込みみたいなものはなくなってきています。踊るときは踊る。でもあまり“一生懸命頑張ります!”という感じではないですね。あまり頑張りたくない。きっかけはフランスかもしれません。でもつくらない人は破壊する権利はないと思うので、ちゃんとつくりはします。

2018年の1月からマンスリー公演『12星座にささぐ』をはじめました。自分で公演を開催するのはこれが初めて。チラシの写真も自撮りして、デザインも全部自分で手がけています。会場は四谷のジャズ喫茶で、上演は月一回。星座をテーマに、その月の星座の人にインタビューした音源を使ったり、といった試みをいろいろしています。ガツンとやるのもいけれど、こうしてコツコツというか、ちょっと落ちついて、トーンダウンしてムリのない感じで続けられたら、という気持ち。

 

川村美紀子

『或る女』©bozzo

 

カウンターに私の写真集が置いてあります。以前30人くらい女の子たちを連れて渋谷の交差点で踊っていたことがあって、そのとき声をかけられたカメラマンに撮ってもらったもの。青信号になったら一斉にスクランブル交差点に出ていって、赤信号になるまで踊るんです。マスターに“マスターいつもの”と言うと、写真集が出てきます。

自分から評論家の人を公演に招待することはありません。お金を払って観に来てください、と思っています。よく“あの評論家を招待するかしないか”といろいろ相談しているのを見ると、“ふーん”って思う。彼らがお金を落とさないから潤わないんだよって思ってしまいます。

 

川村美紀子

茶会記 写真集

 

全てオープン。ロイヤリティ・フリー。

私は生きるロイヤリティ・フリー。事実だったりプライバシーを晒すことに対するためらいはないですね。自分の身体を自分だと思ってないところがあって、また自分の人生もなかば他人のもののような感覚がある。でもみんなはそうじゃないんだっていうことを最近知ったんですけど。

 

川村美紀子

 

例えば『303号室』という作品は、実際に私の住んでる303号室をそのまま投影したもの。HPに『303号室』という掲示板をオープンして、その仮想空間である303号室で書き込まれたことを、私の家である現実の303号室でつくって作品にしようという試みです。

掲示板で“ダンサーって何で踊るの?”なんて議論されているのを、私はただ観察するだけ。正直言って、書き込みなんて便所の落書きじゃないですか。掲示板なんて掃き溜めみたいなものですよね。だけどいざ事実を舞台に上げると、“どこまでがお芝居ですか?”と聞かれるんです。全部本当のことなのに、舞台にするとみんなフィクションだって錯覚してしまう。あれって何なんでしょうね。すごく不思議だし、面白いなと思います。

 

川村美紀子

 

ダンスはゼロ。もしくは100。

なぜ踊るかというと、以前は恩返しのつもりでした。ただ私の中ではどんどん踊ってる感覚がなくなってきています。舞台ではたぶん踊っているんでしょうけど、踊っているという自覚がすごく薄くなっていて、“踊ってる?”みたいな感じ。トレーニングは普段の生活の中でしているけれど、前より一生懸命やっている訳ではないというか。身体のメンテナンスといえば、自宅でヨガをしているくらい。すごくやすらぎます。

 

川村美紀子

『ジャズアートせんがわ』

 

たぶんダンスがダンスではなくなって、表現でも全くなくて、しいて言えば行為みたいな感じになってる。意識が低いと言われちゃうかもしれないけれど、自分の中におけるダンスの比重としては、すごくちょうどいい感覚です。

気持ち的な意味では、ダンスの占める割合はゼロかもしれない。ダンスなのかわからないものがダンスだとしたら一定量あるのかもしれないけれど、ダンスとしてもう存在しているもの、そこに私はいなくて、何かたぶん違うんですよね。今まで自分の見てきたものとか知識とか、“こういうものだよね”という意味でのダンスは、今の生活ではゼロです。

行為としてのダンスで言えば、全てがダンスかもしれない。話をしているときも、寝てるときだってそう見えたらダンスだし、そう思ったらダンスが100ともいえる。歌も好きで歌っていて、CDを毎年一枚出しています。それとダンスにたぶん差はないと思います。たくさん動いて見えても、ダンスじゃないものはダンスとは思えない。その概念がすごくスムースに移行している感覚がありますね。

 

川村美紀子

川村美紀子61キロフェス

 

脱・アイドル宣言。

ちょっと前まで、アイドルになりたいと思ってました。たぶんそれも全体像が把握できてないから言えたんですよね。目隠ししてれば何でも言えるけど、それをぱっと取ったら途端に現実が見えちゃった感じです。

ダンス・シーンだとか取り巻く状況といったものを全く考えずに、ずっと自分の作品のことだけを考えてました。だけど意識が変わりつつあって、全体像を見ることが多くなったし、今何が起こっているのかをちょっと観察したいという気持ちでいます。制作の人、批評家、若いダンサーの子とか、いろいろな人と話をすることも増えました。自分が没頭しすぎて耳にしてこなかったことを聞くことが増えて、むしろそっちの方に興味がいっています。

 

川村美紀子

クロアチア:Sinkauz兄弟との共同制作 ©bozzo

 

ひとつの公演でも、人が集まるとなんかそこでヘンな何かが生まれてる。ロビーで知り合いが集まって話をしていたり、出演者同士で傷を舐め合ってるのを見ると、“すごいな、この人たち、よくこんなことできるな”って思う。ばかにしている訳ではなくて、純粋にそう思うんです。おじさんたちがふむふむと舞台を観て“これが前衛だ”なんて満足してるのを見ていると、“どこが前衛なんだろう。それってアイドルのライブと変わらないじゃん”と思ったりして。そういうことに浸かりたくない。

 

川村美紀子

『白鳥の湖』©bozzo

 

人が集まるとひとつの社会ができて、それを見つめるのがすごく楽しくなってきた。広義での社会的なことや政治的なことの意味はまだちょっとわからないけど、まずは自分のいるであろう、でも実態のないダンスのシーンといわれるものを観察しはじめているところです。

野望的なものはいろいろあります。東京オリンピックの開会式でMIKIKOさんが振付けをしますけど、私は裏オリンピックの振付けをしてみたい。オリンピックの同期間同時刻に隣の体育館とかで開会式をしたら面白そう。あと、政治秘書官とか、エライ人の秘書もしてみたいです。いろいろなことを見聞きできそうだから。スナックのママもいいですね。

でも死なないのが一番の目標かな。死なないこと。生きてないと、生きるの大事。“結局、生きてたらいいじゃん!”って思うんです。

 

川村美紀子

 

 

 

-コンテンポラリー