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バレエ、ダンス、舞踏、ミュージカル……。劇場通いをもっと楽しく。

小野寺修二 ダンサーズ・ヒストリー

手がける公演は一年間に10本以上。演出、振付、ダンサーと多彩な顔を持ち、作品ごとに新たな世界を提示する。小野寺修二さんのダンサーズ・ヒストリー。

関わる作品、年約10本!

だいたい年に10本ほどの作品に関わっています。作品ごとにメンバーが違うからできているのかもしれません。これが水と油みたいにひとつのカンパニーで決まったメンバーとつくるとなったら無理かもしれない。でもデラシネラの場合は作品ごとにキャストが全く違う。いろいろな人と何かをつくる面白さがあるので、それがモチベーションとしては一番強いような気がします。

毎回作品ごとに新しい人と出会っていると、わくわくもする一方で積み上がらない感覚もどこかにありました。それは白い劇場を立ち上げた理由のひとつでもあって。ただ年とともに、だんだん出会い方や積み上げ方が変わってきているようにも感じます。

 

高知県立美術館 『ロミオとジュリエット』

 

周りに手の内を知ってる人がそろってきたので、同じことをしているとすぐにばれてしまう。“こっちの作品で使っちゃったからこちらで使えないな”なんて考え出すと、作品の本数は変わらなくてもよりハードルは上がっていく。だけどそれはさほど大きな問題ではないのかもしれない、と最近は考えるようになりました。というのも、人によってそれぞれやれることが違うし、仮に同じことをしても結果は全然違ってくる。例えば首藤さんと片桐はいりさんではできることもまた違うし、ふたりが同じことをしたとしても違う結果になってくる訳だから。

創作のはじまりはいつも演出ノートから。『空白に落ちた男』のときは、“このシーンはこういうイメージで”というものを文章にして、キャストのみんなに見せていました。でも誰も読んでくれないから、あまり必要ないのかなと。ただ自分の中では続けていて、ノートを持ち歩いては、思いついたことを書き出したりしています。昔から喫茶店が好きで、そこで書くことも多いですね。だけど喫茶店って罠がいっぱいあって、ついつい周りの話に聞き入ってしまったり……。

 

『分身』撮影:鈴木穣蔵

 

創作が続くと、以前は“ずっと出しっぱなしだな”という意識がありました。だけど家で映画を観ていても、インプットってできないことが多い。僕の場合、逆に現場へ行くことがインプットになる。やっぱり身体を動かしてみないとわからないことの方が多いから、机に向かっているよりも、誰かと一緒に動いている方がいい気がします。

映画の仕事で吉永小百合さんに会うということ自体すでにインプットだし、映像の現場で職人さんたちに会ったり、監督さんとお話ししたり、それだけでずいぶん自分はわくわくする。それに不思議なもので、ひとつの作品に集中して取り組んでいるよりも、別の作品を並行して考えている方が何かしら生きてくることが多いのも事実です。

 

『鏡像』撮影:伊藤華織

 

僕自身に関して言えば、いわゆるトレーニングらしきものは特にしていません。マイムの師匠から、”日常を丁寧に生きることが舞台にそのまま出る”と言われて、今もそれは頭の片隅にあります。ドアを開けるという仕草ひとつにしても、開ける様子を想像してやるのではなく、ドアノブを持つ感触とか、一回一回開けた実感の再生なんだろうなと思う。日常を意識化する。そうすると、見えてくることがある。

演出やステージング、ときには役者といろいろやらせてもらっていますが、自分の中であまり振り分けて考えてはないですね。これは手を抜こうとか入れようということもない。ただどれが最終的にやりたいかというと、やはり演出なのかもしれない。新しく自分がつくった世界を共有してもらいたい。だけど自分の中だけでできることには限界がありそうだと毎回思う。

僕の場合、振付の仕事でステキな演出家とご一緒させもらったり、役者として出たりすることはすごくプラスになっていて、それはひいては演出のためのひとつの道筋でもある。“こういう考え方があるんだな”とか、“こういうのは通じないんだ”とか、自分が実際やってみることでスタッフの大変さにはじめて気付いたりもする。勉強という意味では、出演するのも振付もステージングもどれもすごく楽しいですね。

 

『異邦人』撮影:杉能信介

何が面白いか?

観客の反応にはあえて触れないようにしています。特に『空白に落ちた男』は53回もあったので、最初につまらないと言われたら残りの52回は地獄じゃないですか。そうはいっても自然と耳に入ってきたり、お客に帰られるようなこともゼロではないし、そういうときはめちゃくちゃ気になっちゃう。

あえてこちらから“どうでしたか?”と聞くこともあるけれど、なかなか本当の気持ちってわからない。自分が良くないと感じたものを面白いと言われることもあるし、いろんな意見があるんだなって思う。つくったものに対する責任という意味では意見を聞きたいけれど、それで揺れないようにしようと思っています。

 

東京都現代美術館『ロミオとジュリエット』

 

白い劇場のラスト公演のとき、“何が面白いか”ということを藤田さんと話す時間がたくさんあって、それは水と油の時とちょっと近い感覚だった。水と油のときは“これならいけるよね”というよりも、何が面白いかを探してた。その方が豊かな気がする。もちろんそれで受け入れてもらえなかったときは、またどこかの地点に戻って考察しなくちゃいけないんだけれど。“こうやったらお客さんに受け入れてもらえそうだ”と妄想しながらやるよりも、自分たちが面白いと思ったものを受け入れてもらったり、ダメだと言われたりする方が健康的な気がします。

『Without Signal![信号がない!]』のベトナム公演のときのこと、現地の若者からいろいろ質問をされて、それが新鮮ですごく面白いなって感じました。終演後に僕のところにやってきて、“答えを教えて下さい”と言うんです。“よくわからなかったんですけど、どういうお話なんですか?”と聞かれて、“お話はないです”と伝えて納得する人と、“全く意味がわかりません”となる人とさまざまでしたけど、みんな眼がきらきらしてた。ベトナムにはこういう表現がないので、“何でこういうものをやるのか?”という率直な意見なんだと思う。分からないことに興味を持ってもらえる、ということはありがたい関係だと思っていて、うれしい機会でした。

 

ベトナム・ハノイ公演

 

ウソをつかないようにする。

どの立場でもそうだけど、傷跡を残せたらとは思っています。できる・できないは別として、誰でもできることじゃない何かを探したい。自分がやりたいことだとか、自分ができることをどうやって忍ばせるか、ということはいつも考えています。演出をしていても、出演でも、ステージングでもそう。あと、器用にやりたくないなとも思う。言葉にするなら、ウソをつかないということ。つくりものにしないこと。そこに関しては譲らないようにしているつもり。面白くないものは出さないとか、“こんなもんだな”ということは避ける。

デラシネラの結成は2008年。水と油のときは4人だけで試行錯誤してやってきたので、“10年経ったんだな”という感慨がありました。けれどデラシネラは夢中でやっていたので、“もう10年か”という感じ。まず続くとは思わなかったし、あまり感慨のようなものはないですね。10年経って、大きな意味で水と油に戻るんだな、という意識があります。ノンバーバルと言われることについてもそう。いよいよ自分はそこに向かっていくんだな、という気持ちは強くなってる。いろいろやってきた結果、どうも自分の根本はそこにありそうだな、興味がありそうだなと思う。

 

『斜面』稽古風景

 

やっぱり言葉ってすごいなって思います。でもそれがある瞬間伝わらないことも知った。特に海外の人とご一緒すると、単純に言葉だけじゃないんだなというのを感じて。台湾で仕事をしたときもそうで、言葉が通じないもどかしさがある反面、ものすごくシンパシーを感じることもあった。

ベトナムの人たちと仕事をして、言葉は使うけどいわゆる言葉が説明するものではないというところに突き当たったとき、“もしかして自分がやれることってもうちょっとあるのでは”と思った。言葉を使うにしても使わないにしても、いわゆる物語やお芝居じゃない何かを探していくことが自分にとってはわくわくするんだなと。だからといって無声劇をつくりたい訳ではなくて、身体や世界を見つめ直すとき、言葉ではないところをもっと強くできたらいいなと思う。

アプローチとして演劇的な原作があるものを諦めはしないけど、やっぱり水と油でやっていたようなオムニバスや断片のつながりみたいなことも含めて、そういう作品をもっと探してみたい。抽象とはいわないけれど、もうちょっと想像できる何か。もっと広いところに船出できる気がするから、それを探っていきたい。

いろいろな人との出会いがあって、作品発表機会にもめぐまれたこの10年を経て、“自分がやりたいのはこういうことだ”というのをそろそろ明言していかなくてはいけない段階に来ているのではとも思う。やっと水と油から卒業できるというか、水と油からちょっと離れられるような、それでいて近づくような気がしています。

 

静岡ストレンジシード『ロミオとジュリエット』

 

-コンテンポラリー