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チラ・ロビンソン『マクベス夫人』インタビュー!

ロンドンを拠点に活動するプロダクションカンパニー、ファビュラ・コレクティブのトリプルビル「HUMAN.」で、クリストファー・マーニー振付作『マクベス夫人』に主演するチラ・ロビンソンさん。8月の来日に先駆け、本作に寄せる想いと取り組み、公演への期待をお聞きしました。

クリストファー・マーニー振付作『マクベス夫人』に主演します。配役されたときの心境をお聞かせください。

チラ>マクベス夫人役と聞いたときはすごくうれしくて、思わず“やった!!”と叫んだくらい(笑)。私自身だんだん歳を重ねるにつれよりドラマティックな役に挑戦したいという気持ちが強くなっていて、そういう意味でもマクベス夫人という役はこれ以上ないキャラクターだと感じています。マクベス夫人は夫に対してとても高圧的で、同時にモチベーションを与える存在でもある。彼女をどう演じ、どう表現するか、自分の中の女優の部分を探っていこうと思っています。

マクベス夫人になりきるのは難しいことではあるけれど、同時にすごくエキサイティングな作業でもあります。まずホテルを出るときチラという人間をそこに置き去りにして、舞台ではマクベス夫人として生き、そして1日が終わったらまたマクベス夫人の仮面を取って自分自身に戻るーー。これはマクベス夫人を演じる私の責任であり、大きな挑戦だと感じています。

©Amber Hunt

具体的なクリエイションはまだですが、テキストを読んでイメージしたりと、少しずつリサーチを始めています。この顔と身体を使って、彼女の気持ちをどう表現できるのかーー。マクベス夫人を演じることができ、うれしい反面ちょっと怖さも感じています。私はいつもそうですが、ひとたび作品に飛び込むと役に囚われてしまいがちだから。

今回の『マクベス夫人』も軽いストーリー、明るい作品では決してない。特に緊張感を感じているのは夢遊のシーンです。どこまで自分を追い込んでいけばいいか、慎重に取り組む必要があると考えています。すごく不安ではありますが、クリエイションではフレッシュでありたいし、具体的な表現はスタジオに入ってからクリストファーと一緒に生み出していくつもり。私自身マクベス夫人に圧倒されたいという気持ちがあって、現段階ではあまり作り込みすぎないよう自制しているところです。

女性としてマクベス夫人に共感できる部分はありますね。もちろん人を殺めることは許されることではないし、それ以前に誰かの死を望むなどあってはならないことで、私自身はそんな悪事に手を染めることは決してない。だからそこは演じるのは難しいところではあります。けれどこの男性社会の中では、女性はずっと昔から強くあらねばならなかった。何かを手に入れたければ自分自身の手で掴み取るしかない。それは女性の歴史であり、どの国でも、どの大陸でもそう。特にマクベス夫人が生きた時代は選択肢が他になく、ああするしかなかったのかもしれません。

マクベス夫人は強い女性で、力がある。彼女は権力欲があり、支配者になりたかった。けれど自分の夫は弱い男で、彼女が女王になるためには勝つしかない。負けるなんてありえない、というのが彼女の生き方。ほしいものを手に入れるためには、自分自身で手を下すしかない。彼女のような女性は世界中どこにでも存在していて、彼女のようなストーリーはどこに行ってもあったはず。全ての女性がそうとは言わないけれど、女性には確かにそうした一面があると思います。

©Amber Hunt

振付のクリストファーさんとはこれまで何度か一緒にお仕事されているそうですね。

チラ>初めてクリストファーと仕事をしたのは2013年で、彼がバレエ・ブラックに振付をした『戦地からの手紙(War Letters)』に出演しました。とてもリリカルでうつくしく、私も大好きな作品です。バレエ・ブラックはさまざまな作品で賞を受賞していますが、とりわけ『戦地からの手紙(War Letters)』はお客様から大きな反響をいただきました。この作品で私も個人的に2014年度英国批評家協会賞「古典作品における傑出した演技」に初めてノミネートされています。

その後もクリストファーの作品にはたびたび出演させてもらっています。彼が子ども向けに作った『Dogs Don't Do Ballet』では、私は犬役で膝にニーパットをつけて踊りました(笑)。犬が踊ることでみんなを救うというストーリーで、子どもたちがとても喜んでいましたね。彼は子どもから大人まで幅広い観客が喜ぶ作品を作ることができる、とても才能ある振付家だと思います。

クリストファーの振付は独特な動きの言語がある。そして豊かな音楽性を感じます。彼のステップはうつくしく、流れるようで、彼の声もまた流れるように身体に染み込んでくるのを感じます。彼は私が何をやっても“きれい!”“うつくしい!”“素晴らしい!”と褒めてくれるので、本当に踊っていて励まされます。だからいつも彼のために踊りたい、彼を喜ばせたいという気持ちになるんです。

彼の振付が大好きです。ただこれまで彼が本当に求めていたことを私自身実現できていたかというと、必ずしも自信があるとは言い切れない部分があります。というのも彼が好んで起用するダンサーと私はちょっとタイプが違っていて、私はシャープな動きやピルエット、ドラムで踊るようなより強い踊りが得意だけれど、彼が作るのはもっとソフトでリリカルなダンス。だからこそ彼と仕事をしたことで、私も少し柔らかさを会得できたところはあると思います。いろいろな振付家からいろいろなことを学んできたけれど、彼は最も頻繁に仕事をしている振付家のひとりであり、今回また彼の作品に主演することで自分に足りないものを身につけられたらと思っています。

©Amber Hunt

アメリカ・オハイオ出身でニューヨークでダンサーとして活動を始め、現在はロンドンでバレエ・ブラックのメンバーとして活躍されています。ダンスを始めた経緯とこれまでのキャリアについてご紹介ください。

チラ>8歳のとき学校でバレエを始めました。たいていみなさん3〜4歳で始めることが多いので、私はかなり遅い方ですよね。私とダンスの関係はとても不思議で、私がダンスを好きになる前にダンスが私のことを好きになってくれた。ダンスを始めたのはたまたまで、子どもの頃はダンサーではなく女優になることを夢見ていました。

女優になるため、まずは演技を学ぼうとパフォーミングアーツの小学校のオーディションを受けました。オーディションは芝居とダンスと音楽の3課目です。演技のオーディションは最悪で大失敗に終わり、続いてダンスのオーディションを受けました。当時の私はダンスの経験などまるでなく、ぶかぶかのTシャツに短パンを履いてオーディションを受けていたくらい。ダンス審査の一つに、足の指をおでこにあてるという課題がありました。みんなは苦戦していたけれど、私はいつも兄弟と一緒に身体を動かしていたので、難なくクリアすることができました。結果希望していた演技ではなく、ダンス部門の入学許可が与えられた。それで私も“じゃあダンスをしようか”と思った感じです。

私はアメリカ・オハイオのシンシナティ出身で、お金も全くなかったし、家族や周りの人たちもダンスなど全然縁のない環境で育ちました。だから入学するからにはしっかり勉強をして身を立てていかなければいけないと、ある種の責任感を抱くようになりました。

学校はまず普通の授業があり、最後の2時間は必須科目でバレエのクラスがありました。毎日バレエのレッスンをしてはいたけれど、当初の私にとってダンスは全く夢中になれるものではありませんでした。14歳のとき放課後に活動するダンスのアンサンブルグループに参加して、パフォーマンスを始めました。ちょっとした劇団のようなものでしょうか。私自身がダンスを好きになったのはこの頃から。以降ダンスは一番長続きした関係になりました。

プロを意識し始めたのは15歳のとき。ニューヨークのダンス・シアター・オブ・ハーレムがシンシナティでサマープログラムのオーディションを開催するという話を聞き、私もオーディションにかけつけました。私は無事合格し、その夏一か月間ニューヨークで過ごしています。カンパニーメンバーのひとりがホストファミリーになってくれて、ひとりで電車に乗り、スタジオに通い、ニューヨークで初めて自由というものを味わいました。毎日がバレエという生活も初めてで、私にはこれができるんだ、私はこれがやりたいんだと気づかされた。ダンス・シアター・オブ・ハーレムは黒人のダンサーが大半で、ブラウンのタイツとシューズを履いたのも私にとっては初めての体験でした。ニューヨークにいたのはたった4週間だったけど、プロのダンサーになるには何が必要なのかが少しわかった気がしました。

オハイオの高校を18歳で卒業して、もう一度ダンス・シアター・オブ・ハーレムのサマープログラムでトレーニングを受け、そこから通年のスクールに入りました。ニューヨーク生活の始まりです。ただ当時ダンス・シアター・オブ・ハーレムは経営難でメインカンパニーが活動を休止していて、私はセカンドカンパニーに入っています。セカンドカンパニーは16人くらいのアンサンブルグループで、各地の学校などをまわりました。セカンドカンパニーで3年間活動して、その後ロンドンに移りました。

ダンスのメッカであるニューヨークを離れ、ロンドンに移ったのはなぜでしょう。

チラ>ニューヨークを去るダンサーなんてまずいないし、本当におかしいですよね(笑)。私もニューヨークが大好きだったし、離れるのは寂しくもありました。ただダンス・シアター・オブ・ハーレム自体ずっと休止が続いていて、復活するという噂はあったものの、いつになるか定かなことは誰もわからない。今のうちに次に進まないといけない、もっと自分の夢を実現できるような何かを探さなければいけない、何かを変えなければいけないという意識がありました。

そんなときバレエ・ブラックがニューヨークにオーディションにくるという話を聞き、仕事をサボって受けにいきました。オーディションに合格し、イギリス行きが決まりました。イギリスは私にとって初めての海外で、オーディションに受かってはじめてパスポートを申請しています。アメリカが恋しくなるかと思ったけれど、イギリスに移って貴重な体験もできたし、素晴らしい仕事もできたし、素晴らしい人たちと会うことができた。それにイギリスに来なければ、今回日本に行く機会はなかったでしょう。

バレエ・ブラックのレパートリーと、カンパニーでの活動をお聞かせください。

チラ>バレエ・ブラックに所属して今年で13年目になります。バレエ・ブラックで上演する作品はほとんどが新作であり初演作です。他所から作品をもってきて上演することはまずありません。振付家にとってバレエ・ブラックは試みの場でもあり、例えば大きなバレエ団に所属している振付家が何か新しい実験をしたり、ダンサーを辞めて振付家に移行した人が作品を発表したり、クラシックのトレーニングを受けたダンサーを使って作品を作りたいと考える振付家がバレエ・ブラックにきて創作をしたり。全てがユニークで、実験的で、素晴らしい作品がたくさん生まれています。

大半がポアントで踊るネオクラシカル作品です。私のキャリアのほとんどがポアントで、もう今となってはトゥで踊らない方が脚が疲れるようになってしまいました(笑)。

2017年に「フリード・オブ・ロンドン」とのコラボレートで、有色人種のダンサーのためのトゥシューズを開発されました。どんな経緯があったのでしょう。

チラ>私たちダンサーはトゥシューズを履くとき、自分の肌に合うようファンデーションを塗らなければなりません。汚れるしシューズにダメージも与えるけれど、ダンサーにとってはある種の儀式のような特別な時間でもあります。けれどある日完全にその作業に飽きてしまった。ロンドンのフリードにシューズを探しに行ったら、ピンクのシューズや紫色のシューズはあるけれど、ブラウンのシューズは置いてない。作ってくれないかとたずねてみたら、生地を見つけてくれたらできるかもしれないと言う。じゃぁということであちこち生地を探したものの、なかなか私の肌に合う生地はありません。諦めかけていたとき、あと一軒だけと入った店にピッタリのブラウンの生地が売られてた。これなら私の肌に合うトゥシューズが作れます。

ところがその話をバレエ・ブラックの芸術監督にしたら、それはチラ個人ではなくフリードが作るべきだと言われ、フリードにアプローチをしてバレエ・ブラックと共同でトゥシューズを開発することになりました。結果完成したのがバレエブラウンとバレエブロンズの2色。それ以前すでにゲイナー・ミンデンがカラーシューズを開発していましたが、その次に大手で初めて開発したのがフリードで、さらにこの一年でいろいろなメーカーがいろいろな肌に合う色のシューズを開発しています。

バレエ・ブラックのみんなもバレエブラウンかバレエブロンズのどちらかを履いています。メンバーに日本人ダンサーの市川爽さんがいますが、彼女は休暇あけに日に焼けて戻ってきたときバレエブロンズを履いたらすごく似合ってました。伝統のピンクも含め、カラーもそれぞれの好みやオプションがあっていい。自分の肌に合うシューズがあるというのは素晴らしいことだなと感じます。もちろん日本で『マクベス夫人』を踊るときも、100%このシューズを履いて踊ります。

©Amber Hunt

ファビュラ・コレクティブに初参加し、日本の観客の前で初めて踊ります。現在の心境をお聞かせください。

チラ>今回この素晴らしいトリプルビルに参加することができとてもうれしいです。トラヴィスとジェームズとは踊る作品はそれぞれ違うけれど、同じ場にいるだけで互いに刺激を与えられる気がします。2人ともとても素敵なダンサーで、大きなエネルギーを持ち合わせているのを感じます。

日本は昔から憧れの国でした。ずっと日本を旅したいと思っていましたが、今回ダンスで行けることになり願っていた以上の夢が叶いました。時間があったら日本で買い物がしたいですね。景色を味わい、色を浴び、日本の全てを吸収したいです。何より新国立劇場で踊ることができるのは最高の経験です。

この一年を振り返ると、みんなでまたアートを楽しむことができるのは本当に素晴らしいことだと感じます。心と頭を解放し、私たちのステージを楽しんでいただけたらと思います。そしてみなさんに私たちの愛情と献身を受け入れてもらえるよう願っています。

©Amber Hunt

 

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