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大駱駝艦舞踏公演 村松卓矢『バカ』インタビュー!

大駱駝艦メンバーの最古参、村松卓矢さんが壺中天で新作『バカ』を発表! 村松さんが壺中天で自作を披露するのは実に3年ぶりのこと。作品の構想と本作にかける想い、そして舞踏家として歩んできたこれまでの月日と今後の展望をお聞きしました。

美術大学在学中に『海印の馬』を観たのをきっかけに大駱駝艦に入団されています。もし大駱駝艦に出会わなければ、美術の道に進んでいたのでしょうか?

村松>美大では油絵を勉強していました。美大に行ってはいたけれど、将来こうしていこうというような身の振り方はあまり考えてなかったですね。当時大学で芝居が流行っていて、僕もちょっと囓っていたんです。そこで勉強のために大駱駝艦を観に行こうと誘われたのが最初の出会いで、いろいろ観た中で一番面白いと感じたのが大駱駝艦でした。

もし大駱駝艦に出会わなければ、あのまま美術の世界で生きていたかもしれないけれど、やっぱり麿さんの考えを知りたいという気持ちがあっったんです。麿さんのつくるものは本当に面白くて、つくるものが面白いというのは、美大的に言えば考え方が面白いってことですよね(笑)。

 

絵画から舞踏へ、全く違う道に進んだ訳ですね。

村松>全然違うとは思いませんでした。絵を描くのと踊りをつくったり踊ったりすることは自分の中でそれほど差はないですね。表現する手段という意味では同じかもしれません。だから“絵を描かないのはもったいない”と言われることがあっても、僕としてはすごく違ったことをやっている感覚はないんです。

もちろん違いというのはあります。例えば体だったら手をあげてといえばすぐできるけど、絵で描くとなると一日かかりますよね。まず材料を買ってきて、紙はどうしようとか、何色にしようというところから始める訳ですから。逆に絵なら切腹のシーンだって描けるけど、体の場合はできないし、実際にやったらそれ一度きりです。どちらにしても、自由も不自由も両方持っていると思うんです。

けれど価値があまりないようなものを価値があるように見せる、という感覚は似ている気がします。例えば人の顔を描くにしても、昔なら神様や宗教に関係があるものを描くことに価値があるとされていて、全然そうではないもの、あまり価値がないと思われていたものをある視点から描いたとき、そこに価値が与えられるような歴史が繰り返されてきました。それはまた動きや体も同じだと思うんです。

 

2013年『穴』(C)松田純一

2013年『穴』(C)松田純一

舞踏やダンスは未経験だった訳ですが、そこに対する躊躇はなかったですか?

村松>それほど不安はなかったです。剣道部だったので体は動かしていたし、剣道をやっていれば大丈夫かなと思っていました(笑)。ただ文化庁の研修制度でアメリカに行ったとき、あちこちのダンス教室に行ってはいろいろワークショップを受けましたけど、やっぱりついていけなかったですね。でもコンテンポラリーダンスとか、いわゆる普通のダンスをしたいとは思いませんでしたから。

 

大駱駝艦の一員としてやっていこうと決意したきっかけとなったものとは?

村松>大駱駝艦に受け入れてもらえたからです。何もわからなかった僕に対して、先輩たちが“今度の作品に出演してみろ、次も出ろ、じゃあ今回は美術を仕切れ”と、どんどん声をかけてくれたんです。もし“全然モノにならないからおまえはダメだ”と言われたらしょうがない。だけどそうではなかったので、そこで自分としては“大丈夫だ”ということになる訳です。

そのうちに“誰でもここで作品をつくっていいぞ”と言われ、“じゃあ僕やります!”ということで作品をつくるようになりました。そんな流れの中でずっとここまで来たような気がします。

 

2013年『忘れろ思い出せ』(C)松田純一

2013年『忘れろ、思い出せ』(C)松田純一

 

 

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