金森穣×井関佐和子『Liebestod-愛の死』インタビュー!
ワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』の終曲である『愛の死』から着想を得たという金森さんの振付最新作『Liebestod-愛の死』。この楽曲にはかなり想い入れがあるそうですね。
金森>“Liebestod”はドイツ語で“愛の死”の意味で、ワーグナーの曲のタイトルです。初めてこの曲を聴いたのは18歳のとき。留学先のルードラ・ベジャール・ローザンヌから夏休みで日本に帰国した際、東京バレエ団で初演していたモーリス・ベジャールの『M』を観に行ったのが最初の出会いでした。
『Liebestod』が使われていたのは三島の少年役が割腹するシーン。ただそのときは、舞台上の出来事というよりも音楽にすごく感動して。“何なんだこの曲は!”と衝撃を受け、ウワッとインスピレーションが沸き起こったのを覚えています。『M』で使われていたのは黛敏郎さんが編曲したピアノバージョンでしたけど、自分でオーケストラ版を見付けてきて、以来今までずっと繰り返し聴いてきました。“いいな”とか“美しいな”というのではなく、聴くと感動する、魂が掴まれる。それは未だにそう。自分の中で本当に大切にしてきた曲であり、いつかこれで作品をつくりたいと温め続けてきました。
創作をはじめたのは18歳のときで、処女作はルードラで発表しています。初期のころは主にクラシック音楽を使っていましたね。つくり方も今とは違って、当初は音楽ありき。音楽に感動してつくるというモチベーションが原点にあった。その後自分の作品をより深く強く美しく表現したいと、いろいろな手法を取り入れるようになりました。まずコンセプトや物語、実験が前提にあり、それに必要な音楽を見つけていくという作業です。
今回はそうではなく、この音楽のためにつくっているから、まさに原点回帰。ここまで純粋に音楽のためにつくっているのは、20歳のときに振付けた『Under the marron tree』以来です。
井関>私が『Liebestod』をきちんと聴いたのは作品化すると決まった後でしたが、それまでも何となく耳にはしていたと思います。穣さんと20年近く一緒にいる中で、“次は『トリスタンとイゾルデ』にしようかな”という言葉が会話のはしばしに出てきていたので、自然と刷り込まれていた感じです。今回ようやくそれが実現した訳だけど、実を言うと最初は違う作品になる予定だったんですよね。
金森>当初はベケットを使った作品を考えていました。でも最近の作品を振り返ってみると、単純に自分が感動したものを舞台に上げて、それで観ている人を感動させたいというモチベーションでつくっていないということに気づいて。感動よりもっと他に言いたいことがいろいろあって、いつしか頭でものをつくるようになっていた。知的刺激とかある種の表現としての社会性にどんどん興味が移っていった自分がいた。
近年は『劇的舞踊シリーズ』などいわゆる大きな物語ものを手がけてきましたが、長い作品になると楽曲のうちいくつかは物語を構成する上で必要だから使うことになる。そこは頭でつくってる。コンセプトありきのプロセスが続いていて、このままじゃダメだなというタイミングだった。
頭を鍛えることは大切だし、何を学んできたかというのは自分の一部ではあるけれど、それは自分自身ではない。生まれてきてからずっと持っていたものではないし、自分であるということの必然性は魂にしかない。振付をはじめて25年が経った今、今後の創作活動を考えたらここで一度戻るべきだと。原点に返ってつくる、自分の感動による感動の創出に戻らなければ、という想いがありました。
井関>『Liebestod』にするかベケットにするか最初すごく迷っていたので、穣さんに“本当につくりたいものは何?”と聞いたんです。そうしたらひとしきり悩んで、“これでいくか、時がきた”と……。
『トリスタンとイゾルデ』はいろいろな版が出ていますが、まずそれを全部買って聴き比べていましたね。でも結局、最初に聴いた版がどうしても忘れられないから絶対にそれを使うと言う。改めて一緒に聴いたとき、ふたりして涙してました。でもたぶん立ち位置は全然違って、穣さんは頭の中で舞台を観ていたと思うけど、私は舞踊家なので聴きながら自分が舞台に立っているんです。客席だったり照明だったり、舞台に立った自分が見えるものを想像して感動してる。それは言葉では言いあらわせない感覚で、鳥肌が立って、自然と胸がしめ付けられる感じでした。
金森>初めてこの曲と出会ったときからずっと定期的に聴いてきて、その度にいいなと思い続けてきた。作品化しようと考えて聴いたのは今回が初めてでしたけど、そう思って聴いたらより感動しましたね。あのときの涙には、18歳のころの自分に戻ったような不思議な感情がありました。感動に震えている自分は18歳のときとたぶん変わってない。そこに触れたことに感動したんだと思います。