井手茂太『薄い桃色のかたまり』インタビュー!
イデビアン・クルーは今年結成27年。学生時代の1991年に活動をはじめ、1995年に旗揚げ公演を行っています。当時、今の未来は想像していましたか?
井手>全く想像してなかったですね。気づいたらこうなってたし、いつの間にか戻れなくなっちゃってた。若い頃から“ウチで公演をやってもらえませんか?”と次々お話が来て、いつの間にか30歳を過ぎて、40歳を過ぎ、気づいたら45歳になってた。正直言って、昔はお芝居ってきらいだったんです。だけど何故か、20代の頃から声をかけていただいてきた。苦手だと思ってるジャンルの方々に声をかけてもらえたのが不思議だったし、うれしくもありました。
当時はちょうどコンテンポラリーダンスが流行るかどうかという端境期で、お芝居の中にも踊りの要素が入るようになってきた時代。でも振付に関しては、いわゆる踊りの先生という方々が手がけるのが普通だった。そこに僕が入るようになってから、だんだんいろいろな人が振付をするようになってきた。
今ではコンテンポラリーの人たちもお芝居の振付をするのが当たり前になっているけれど、最初は“何で自分だけ?”と思ってました。振付る相手も役者さんだったので、踊りの技術がない人に伝えなければならないのはすごく大変でしたね。今思えば恵まれてたけど、でもその分苦労はしたし、いつも悩んでた。当時は僕もまだ若くて、ちょっと尖ってた。でも最近は全然悩んでなくて、自分にお話がくるだけでも大変ありがたいなと思いながらやっています。丸くなったということかもしれません(笑)。
ゴールド・シアターの平均年齢は78歳。井手さんが78歳になったとき何をしていると思いますか? 今後目指すものとは?
井手>そんなに先のことまで想像できないというのが正直な気持ちですね。もしケガしちゃったらそこで終わりだし、ひとつひとつが瀬戸際のような感覚がある。だからいつ辞めてもいいように、毎回すごい楽しんでますよ。
やはりイデビアン・クルーというのは自分のライフワークみたいなものであり、一生やっていきたいとは思っています。イデビアン・クルーの公演はタイトルからコンセプトまで全て自由に決めさせてもらっているので、自分が思うように表現できる場所でもある。イデビアン・クルーのメンバーには学生時代の同級生もいて、彼らも同じように歳を取っていく。50歳近くになってもまだ踊るのかなとか、いくつまで踊れるんだろうと思うところもあるし、イデビアン・クルー自体もゴールド・シアターみたいになっていくのかもしれない。
踊り=健康でもなければ、踊り=若者じゃないし、踊り=楽しいだけのものでもない。ただお芝居の中でもそうだけど、普通に踊りというものが身近にあればいいなと思う。踊りというのがダンサーや特別な人たちだけのものではなくて、もっと日常的になればいいなという気持ちはありますね。
もうすぐゴールド・シアターの舞台が開幕を迎えます。井手さんの中で描いているゴールとは?
井手>キャストのみなさん踊りを喜んでくれているし、楽しんでくれている。今すごくホットな雰囲気なので、熱い内にその状態を本番に持っていってくれたらいいなと思います。僕らが支えることも大切だけど、ご自身でどうキープし、どうコントロールするかというのが一番重要。そうなると僕はもう見守るしかない。僕がやいやい言うことではないし、むしろそうしなくても十分面白い。みなさん熱意がすごくあるので、大丈夫だと信じています。