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金井芙三枝『プロメテの火』インタビュー!

1950年に江口隆哉・宮操子振付により初演を迎えた『プロメテの火』。モダンダンス界の歴史に輝く伝説の作が、この春オーケストラ演奏により完全再現を果たします。ここでは、江口門下生であり、作品監修を手がける金井芙三枝先生にインタビュー! 初演時の思い出と、作品への想いをお聞きしました。

初演時の反響はいかがでしたか? 当時の思い出をお聞かせ下さい。

金井>評判はとても良かったですね。いろいろな方がご覧になって、川端康成が書いた『舞姫』という小説の中にも“江口隆哉”や“プロメテの火”が実名で出てきます。

私は100回近く踊っていますが、実は帝国劇場で上演した一回目の公演だけは大学の都合で出演できなかったんです。もちろん創作には参加していましたけど、残念ながら舞台には出られなかった。なので一回目の公演は客席で舞台を観ています。その後、二回目の公演からはずっと欠かさず出ていましたね。

思い出深いのは地方公演です。当時は録音技術がまだ発達してなくて、地方の場合はピアノ二台での上演でした。当時の地方劇場は舞台機構が整っていないところが多かったので、装置が上手く転換しないことがよくあって。そういうときは、ピアニストに“ここをもう一回繰り返してください”とお願いして時間をかせぐんです(笑)。装置にアクシデントがあった場合はここを繰り返して演奏する、という風にあらかじめ決まっていましたね。

「第四景コーカサスの山巓」でプロメテウスが鎖につながれる山は高いほど良いのですが、劇場によっては高すぎると二階席からプロメテウスの顔が見えなくなってしまう。それで、公演のたびに江口先生は必ず客席から確認して装置の高さを指定していました。それも毎回のことでしたから大変でしたね。

100回近く繰り返し上演してきましたが、1960年に消防法の改正により劇場で本物の火を使うことが非常に難しくなってしまった。当時は技術も発達していなかったので、つくり物の火ではどうにもならなくて、やむなく公演を断つことになってしまった。江口先生も本当は公演を続けたかったでしょうけど、苦渋の決断だったと思います。

 

金井芙三枝『プロメテの火』

 

江口先生、宮先生はどんな方でしたか?

金井>江口先生は非常にハンサムで背も高かったので、よく写真家に追いかけられていましたよ(笑)。だから江口先生の写真は今もたくさん残っています。踊っていてもやはり目立ちますから、容姿が良いのは舞台人として大きなメリットですよね。

宮先生も同じ。彼女は背が高くてスタイルがとても良かった。当時はバレリーナだって足も太くてずんぐりしていた時代です。あんなに背が高くて手脚が長い人っていませんでしたから、彫刻家のモデルにもなっていましたね。

 

金井芙三枝『プロメテの火』

 

江口先生はとても理知的で、それでいて非常に努力家でした。宮先生はその反対で、直感的で天才肌。ご夫婦でも性質が全然違うんです。最初のうちは踊りも宮先生の方が上手かったし、スターとして大きな注目を浴びていました。でもだんだん歳を取るにつれ、工夫している人の方が優っていくんですね。若い頃は宮先生の方が目立っていたけど、最終的には江口先生はとても味が出ていい踊り手になっていました。

おふたりのデュエット作品もあれば、それぞれのソロ作品もありました。なかでもおふたりが最後まで踊っていた『なにやとやら』という作品があって、それがとても印象に残っています。先生方が踊っている後ろで私たち弟子が太鼓を叩いて伴奏を付けて、最後は私たちも即興で踊り出すというものですが、これがちょっととぼけた踊りで面白いんです。この作品は昔戦地に持っていき、兵隊さんたちが観ている前でも上演しました。当時の支那、今の中国に慰問に行っています。

 

金井芙三枝『プロメテの火』

 

かつて江口先生が踊ったプロメテウス役を今回は佐々木大さんが、宮先生が踊ったアイオ役を中村恩恵さんが踊ります。

金井>佐々木さんは今回初めて全景を踊りますが、なかなかいい踊り手ですね。佐々木さんには、四景は“動きは少ないけれど何かそこで表現して欲しい”と伝えています。歌舞伎などで使う“肚芸”という言葉がありますが、動かずに表現をする、感情を出す、というものです。

花がそこに咲いているように舞台に立つ、それが肚芸。能にしてもほとんど動かないじゃないですか。ばたばた動くと子供っぽくなってしまいがち。第四景でプロメテウスが嵐にさらされる場面にしても、むしろ動かない方が表現としてはいい。つまり耐えるんです。鷲に内臓をつつかれて衝撃を受けても、耐えて立っている。第四景はあまり動かずに表現しなければいけない。しっかりと立っていて欲しい。それを佐々木さんには求めています。

これはアイオにも言えます。1950年に『プロメテの火』を初演したときも、“宮先生のようなスターをあんな風に動かさないなんて”と言って批判する人もありましたが、動かないって実はとても難しいんです。

中村さんは、あまり動きがなくても表現ができる方です。むしろ彼女にとって困難なのは少女のシーン。中村さんはとても感慨深いところがあるので、少女のようにパッと止まったり、目を見開いてみせたりと、フレッシュな姿を表現するのは意外と難しいと思います。牛の姿になってからの方が、彼女にとっては表現しやすいはず。あまり動きはないけれど、悲しみを豊かにあらわしている。中村さんは身体つきが宮先生に似ていますね。佐々木さんも中村さんもとても上手な踊り手だから、きちんと表現してくれると思います。

 

金井芙三枝『プロメテの火』金井芙三枝『プロメテの火』

 

 

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