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佐多達枝『カルミナ・ブラーナ』インタビュー!

1995年に初演を迎えたO.F.C.の合唱舞踊劇『カルミナ・ブラーナ』。ダンスと歌唱、そしてオーケストラで描かれるダイナミックなステージは大きな反響を呼び、以来8度に渡り上演を繰り返してきました。そしてこの夏、待望の再演が決定。開幕を前に、芸術監督を務める佐多達枝さんにインタビュー! 作品へ寄せる想いをお聞きしました。

カルミナ・ブラーナには詩が付いています。詩の内容にはどの程度即しているのでしょう。創作にあたり、ストーリーを用意することはありますか?

佐多>もともと詩の存在は知らずに、音楽をもとに創作していきました。私が詩を知ったのは最初に作品をつくった後のこと。なので詩の内容とは全く関係ないものになっていますが、私はそれでいいと思っています。音楽自体が非常に舞踊的なので、へんにストーリーを付けてしまうと音を邪魔してしまう気がします。

創作のきっかけになるのはやはり音楽ですが、ときには台本ありきで創作をすることもあります。台本が先にある場合は、音楽を片っ端から聴いてそれに合う曲を探していきます。曲を見つけるのはわりと早い方ですね。決め手になるのは、その音楽に乗れるかどうか、やってみようと思うかどうか。

 

佐多達枝

 

2000年にO.F.C.で『交響曲第9番』(『ルードヴィヒ』に改題)を上演していますが、そのときは台本を頼みました。何といってもベートーヴェンですし、膨大な曲ですし、踊りだけでやっていくのは大変だろう、そう簡単にはいかないだろうと思って。自分の力の足りなさを台本に頼るという意味もあるかもしれません。その上であがってきた台本をみて、ここの部分はいらないとか、ここの部分は膨らませてなど、いろいろ相談していきます。

台本が必要か、必要でないかの区別は微妙なところです。だからストーリーがあるかないかは作品によって違います。『カルミナ・ブラーナ』の場合は完全に踊りだけで、台本はありません。音楽がすでに舞踊的で踊りが乗れる状態ですから、台本は必要としないということかもしれません。

ストーリーのあるなしに関わらず、観る人は自由です。どう観たっていい。私の作品がきらいな人もいるだろうし、好きな人もいるだろうし。どういう観方をしてもこちらは文句は言えません。そんなものです。自分がそれで変わる訳ではない。振付けというのは片手間で簡単にはいかないですから、あとは集中力をもってやるのみです。

 

佐多達枝

 

これまで多数の作品を世に送り出してきました。今まで手がけてきた作品数は? 現在も精力的に創作に取り組まれていますが、創作に向かう意欲の源とは?

佐多>作品数は数えたことがないですね。作品をつくってくれと頼まれることもときにはありますが、断ったことはほとんどありません。

最初に創作をしたのは松山樹子さんの稽古場に通っていた頃で、発表会に出るときに“自分の踊りは自分でつくりなさい”と言われてつくったのが初めてでした。まだ20歳前だったと思います。男性とふたりの踊りで、自作自演です。多分つくり方は今と変わらず、事前に振りを準備していたと思います。

あれから数え切れないくらい作品をつくってきましたが、今となってはつくらないで済むならそうしたい(笑)。エネルギーもいることですし。それで人の作品を観ては、あーだこーだと言っていたい。人のつくったものに対しては思うことはいくらでもあるし、嫉妬を感じることも未だにあります。ラクにつくれる人がうらやましいですね。たくさんつくっているから常に挑戦しているように見えるかもしれないけれど、たまたまという感じです。どちらかというと怠け者ですし、言うほど勉強はしていません。ただ人の作品を観て“あそこはまずいな、ここはこうした方がいいな”と思ったりする、それが勉強といえば勉強なのかもしれません。

 

佐多達枝

 

自分のつくったものに関しては全く自信はないですね。今でもそう。“今回は上手くいったな”とか、“あれは上手くいってないな”というのは感じなくもないけれども、上手くいくということはそうそうない。それでも続けてきたのは、やっぱり踊りが好きなんでしょうね。その気持ちは変わっていません。でなければここまで続いてないと思います。もし脚が長くてすらっとしていて、ダンサーに向いた体型だったら、作品をつくらずにもう少し踊っていたと思います。

振付けに自信をなくして、もう辞めようと思ったこともあります。ただダンスが好きだったので、しがみついていたんです。それは私の性格もあって、“これだ!”と思ってしがみついたらもうそのまま離さない。きれいごとのままでは生きられないんです。ダンスで生きていこうと考えるより前に、どっぷりこの世界に浸ってしまっていましたから、あまり冷静に考えたこともありませんでした。

もともと踊りをはじめたのも、父が“これからの時代は女性も職業を持つようになる。女性だったら幼稚園の先生が一番なりやすい。そのためには踊りを習っておくといいだろう”と考えたから。今では女性が仕事を持つのは当たり前になっていますが、当時も世の中の流れとしてそういう傾向があったんだと思います。最初は児童舞踊を習いました。その内“どうもこの子は踊りが好きらしい”ということで、父がもっといい教室はないかとあれこれ探してくれて、本格的に習いはじめることになりました。

長いことダンスを続けてきて、一度や二度“この世界でやっていくのはちょっとムリだなと”思ったこともありますが、他に何かこれというものもなかったし、続け来れたのもたまたまです。いろいろ頭を働かせて“こうした方がいいのでは、ああした方がいいのでは”と考えるより、好き嫌いで動いてきたような気がします。

 

佐多達枝

 

 

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