熊谷拓明『上を向いて逃げよう』インタビュー!
ダンス劇でさらりと披露される身体性の高さに驚かされます。普段はどのようなトレーニングをされているのでしょう。
熊谷>家でよくプリエとルルベをしています。身体を整えるトレーニングという意味では、このふたつはすごく大事にしているところ。そこに何か、動きの一番シンプルな答えがある気がして。本格的なバレエの稽古という訳ではなくて、プリエで股関節の使い方を確認しているのと、僕の中ではルルベはパラレルが重要だったりします。
動く上で心がけているのは、身体の都合で動かないということ。自分の身体は今これ以上いかないからここに戻ってきた、というような身体の都合で動きはじめると、いつまでたっても物語に同化する踊りにはなっていかない。リハーサルのときキャストの方々に“もっとムリしてくれ”と言うこともありますが、それは自分たちの身体の都合を無視できるところまで負荷をかけることで、そこに身体が応えていくという部分を大事にして欲しいから。だからシチュエーションは結構大事だし、ひとりで踊るときも重視しているところです。
30代前半に想像していた“自分が納得するところに上がっているだろう”という大人像、当時思い描いていた理想の39歳像とは?
熊谷>当時からダンス劇のようなものをやり続けているイメージはありました。だけどもっと必要とされているイメージだった。制作をしてくれるところがあらわれるだとか、好きに演出していいよと言われるだとか、そんな夢みたいなことを思っていたんです。
現実にはそういうこともなくて、誰からも必要とされないなということで自らやっていますけど。そういう意味では、もっと立派になっているつもりだったんですけどね。原因はきっといろいろあるでしょう。でもそれはあくまでも原因であり敗因ではないと思っていて、改めてふんばりなおしているところです。
メジャー化を望む気持ちはありますか? 例えば、大きなホールで公演を打ちたいといった野望を抱くことはある?
熊谷>大きなホールで自分が何をどうするか、そのやり方を思いついたら望むこともあるかもしれません。でも今はやっていること自体がすごく細かいので、その距離間を考えるとどうかなと……。『嗚呼、愛しのソフィアンぬ』を上演したのは50人規模の会場でしたけど、ありがたいことに延べ530人が来てくれました。だからといって、300人のホールで二回公演をしようとはならない。あの規模感はソロにはちょうど良くて、もしたくさんの方が観に来てくれるようになったら、すごく小さいところで一年間くらい公演をしてみたいという気持ちはありますね。
40代を手前にして、“こんなもんなんだろうな”というのを今すごく感じています。たぶん20年経っても僕はこのままなんだろうなと思う。作品をつくり続けていけば、自分の中の筋肉はだんだん育っていくでしょう。何が恵まれたゴールなのかはわからないけど、ただ飛躍的にすごく有名になるようなことはないだろうな、というのはこの年になるとよくわかる。今の自分にとって本当に必要なのは、何も期待しないで続けていけるための体力みたいなもの。
でも作品を観てくださった方に“感激した”とか“共感した”とか“勇気をもらった”とか言われると一瞬いい気になっちゃって、“この人たちに勇気を与えるために続けるんだ”とか“この人たちがいるから僕は続けるんだ”なんて考えていた時期もありました。けれど自分がやりたいから続けていることに対して、そうやって理屈とかいい訳を重ねる自分がいたことにあるとき気付いて。
感謝はしつつも、調子に乗る気持ちは戒めなければいけない。自分がつくりたいからつくっているんだということ、そこに付き合ってくれるスタッフやキャストの方々がいるということ。そういうシンプルな感じでいいのかなと、最近ちょっと思っています。