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折原美樹『音楽と舞踊の小品集/ラメンテーション』インタビュー!

マーサ・グラハム舞踊団のプリンシパルダンサー・折原美樹さんが、この夏みなとみらいで開催される『音楽と舞踊の小品集』に出演。1931年に初演されたマーサの代表作のひとつ『ラメンテーション』でソロダンスを披露します。開演を間近に控え、帰国中の折原さんにインタビュー! 本作への想いとご自身の活動についてお聞きしました。

カンパニー入りしたのはマーサ存命中の頃ですね。

折原>まだマーサも元気で創作活動を続けてました。マーサは日本びいきで、アジア人の中でも特に日本人が好きだったみたいです。日本独特のカルチャーや感性といったものに惹かれていたんだと思います。日本の髪型を真似したり、日本の本もよく読んでいました。あるときマーサに“ミキはレディ・ムラサキを読んだか?”と聞かれて、何だろうと思ったら紫式部のことだった。“読んでません”と答えたら、“日本人なんだから読んでおきなさい”なんて言われたり……。日本の書物に限らずすごくたくさん本を読む人で、だからとても頭が良かったですね。

新作のクリエイションにも携わっています。アンサンブルにいたときにカンパニーのアンダースタディで振付けに参加したり、カンパニーがツアーでいなくなるとアンサンブルが代わりに呼ばれて振りを付けていくようなこともありました。マーサが“こちら側から3人出てきてジャンプして、こういう動き方をして”と指示を出し、ダンサーがこれはどうかといろいろ動いてみせては、気に入ったものを採用したり、そこから変えていったりする。ある意味コラージュのようなつくり方です。マーサの思うようにならないときなどは、いらいらしだすようなこともありましたけど(笑)。

 

マーサ・グラハム テクニック ワークショップ

 

亡くなるまで創作への情熱がおとろえることはなかったですね。何しろ彼女は96歳で亡くなるまで新作をつくっていたんです。ただし、最後の作品は結局完結しませんでしたけど。最後に完結したのは『メイプルリーフ・ラグ』という作品で、マーサが自身をパロディにしてつくったものです。ああ見えてマーサは意外といたずらっ子みたいなところがあって。『メイプルリーフ・ラグ』に取りかかったのは『アイズ・オブ・ガッデス』という作品のクリエイションの最中で、こちらは死に神や時間をモチーフにしたキャラクターが出てきたりと、死をテーマにしていたのでなかなか作業が進まず停滞状態が続いていました。

そんななか『スポレートフェスティバル』というアートフェスティバルに招かれ、カンパニーでチャールストンに行くことになりました。チャールストンはアメリカ南部の都市で、大きなたばこ農園があり、地主が労働者を雇って葉っぱを収穫している、プランテーションといわれる場所です。そこでマーサがジャグリングボードという大きなベンチを見て、“あれは何だ、欲しい”と言い出した。結局カンパニーがそれをひとつ購入し、ニューヨークまで運んでいきました。

 

マーサ・グラハム テクニック ワークショップ

 

ニューヨークに戻ってきたら、ジャグリングボードがスタジオにどんと置いてある。マーサの興味もすっかりジャグリングボードにいっています。『アイズ・オブ・ガッデス』はひとまず置いておき、ジャグリングボードを使って新たな作品のクリエイションがはじまりました。ダンサーに“ちょっとここに座ってスイングしろ”なんて言ってみたりと、すっかりジャグリングボードが作品の中心になっています。

ところがクリエイションが進むにしたがい、“ここではあの作品のこの踊りをやってくれ”とか、“ここはあの踊りの振りをやってくれ”と、自分の過去作品のパートをどんどん振付けに入れ出した。“何をやっているんだろう?”と思っていたら、マーサ自身をパロディ化した作品をつくってた。主役の女性はマーサの役で、踊りに詰まったときにスコット・ジョプリンの『メイプルリーフ・ラグ』を聴くと気持ちがラクになってーーといった様子を演じています。

パロディだからコメディな的な要素もあって、そこでコメディってすごく大変なんだなということを実感させられました。笑わせようと思ってやるとおかしくない。真剣にやっているからおかしいんだと。タイミングも重要です。難しいけれどすごく面白い、私はとても好きな作品です。

メイプルリーフ・ラグ』を発表したのが1990年の10月。結局『アイズ・オブ・ガッデス』は完結することなく、翌年4月にマーサが亡くなりました。

 

マーサ・グラハム テクニック ワークショップ

 

 マーサが亡くなった後、しばらくカンパニーが運営停止していた時期がありました。マーサの面倒をずっと見ていた写真家が彼女の後任としてディレクターに就きましたが、上手くいかずにどんどん借金が膨れ上がっていたんです。ところがカンパニーがいろいろ調べたところ、実はディレクターには何の権利もないということがわかって。このままいくと倒産してしまうとカンパニーが運営停止を決定し、それに対してディレクターがカンパニーを訴えて裁判がはじまりました。

運営停止は約二年間。私はその間、他のカンパニーで踊ったり、クラスを教えたり……。みんなたぶんカンパニーが再開するとは思ってなかったのではないでしょうか。休止して一年半くらい経ったときのこと、シティセンター劇場で一日限りのパフォーマンスを開くことになりました。これがマーサの作品を踊る最後の機会かもしれません。ギャランティは出ないけど、それでも踊りたいとダンサーが20人くらい戻ってきて公演に参加しました。私もマーサの作品を踊るのはこれで最後になるだろうと思っていたので、だったらぜひともステージに立ちたということで、『ナイト・ジャーニー』にコーラスで、その他『エンバトルド・ガーデン』のイブ役、『ステップス イン ザ ストリート』では学生を引き連れ芯にて出演しています。

その後、裁判でディレクターが負けてカンパニーが勝訴した。カンパニーの再開です。ただディレクターが権利を持っている作品がいくつかあって、それらはもうカンパニーでは上演することはできません。そこはちょっと寂しくはありますけど。

©John.Deane

 

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