dancedition

バレエ、ダンス、舞踏、ミュージカル……。劇場通いをもっと楽しく。

湯浅永麻 ダンサーズ・ヒストリー

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)の主力ダンサーとして11年間活躍し、イリ・キリアン、マッツ・エック、ピーピング・トムなど錚々たる振付家の作品に出演。2015年に独立、以降フリーランス・ダンサーとして精力的な活動を続けている湯浅永麻さん。身体ひとつで世界を駆ける、湯浅永麻さんのダンサーズ・ヒストリー。

NDT2に入団。年100回の公演に出演。

2004年8月1日、NDT2(ジュニアカンパニー)に入団しました。NDT2のクラスは朝9時30分からはじまり、NDT1(メインカンパニー)のクラスは11時からで、土曜日だけ合同のクラスになります。当時はそのあとNDT2はスタジオ2でリハーサルを、NDT1は一番大きいスタジオなどでリハーサルを行っていました。

NDT2は年に100回くらい公演数があるという非常にハードなカンパニー。身体的にも大変だったけど、加えて入ってすぐの頃は、コンテンポラリー・ダンスに対する戸惑いもありました。学生時代に友人がつくったコンテンポラリー作品を踊ったことがあったりと、コンテンポラリー・ダンスに触れてはいたし、面白いなとは思ってました。ただ入団当初はやはり表現に対して自分を出すことが難しく、クラシックの殻をやぶるまですごく苦労しましたね。

 

Jiri Kylian振付『27'52』©Joris Bos

 

入団してすぐ、NDT1、NDT2、NDT3(シニアカンパニー)の合同ツアーでリヨンへ行っています。NDT2が上演したのはイリ・キリアン振付『27’52”』で、それが私の初舞台です。メンバーには、現在パリ・オペラ座バレエ団などで振付けをしているアレクサンダー・エックマンとイヴァン・ペレツなどがいました。NDT3は『Birthday』を、NDT1が上演したのは『Double You』という男性のソロ作品で、これは現在Optoでも振付・出演しているヴァツラフ・クネシュが踊りました。

私が入団したときすでにキリアンは芸術監督から退いていたけれど、アーティスティック・アドバイザーとしてカンパニーに関わっていて、ツアーにも同行してました。新作も毎年つくっていたし、オーディションにも立ち会っていて、発言力も強かった。キリアンは本当にすばらしい人間性の持ち主で、彼と一緒に過ごせたのは貴重な経験です。カリスマではあるけれど、普段は冗談も言うし、今でもたまに“こんなの見つけたよ!”なんて写真メールが送られてきます。

 

キリアンが新作『Vanishing Twin』のときに作ったダンサーへのメッセージカード。同時上演した『Fluke』振付のマッツ・エックの写真も一緒にコラージュ

 

キリアンが階級を排除してしまったので、NDTではキャリアの隔てなくダンサーはみな平等です。本当に仲の良いカンパニーでした。渡辺レイさん、健太くんをはじめ、日本人ダンサーも何人かいました。当時すでに退団してオランダでフリーランスをされていた中村恩恵さんも含めて、みんなでよく集まっては誰かの家でご飯を食べていましたね。

NDT2の在籍期間は基本3年間が上限で、その後NDT1に上がる人もいれば、空きがなければカンパニーを離れることになります。私がNDT2にいたのは二年間。二年目にNDT1のダンサーが辞めて空きができ、急遽昇進するになりました。ずっとNDT1に入りたいとは思っていたけど、もう一年あると考えていたので寝耳に水でびっくり。すごくうれしかったのを覚えています。そのとき健太くんも一緒にNDT1に上がっています。

 

NDT2メンバーと ©Joris Jan Bos

 

NDT1に昇格。名振付家たちの作品を踊る。

NDT1になって最初に出演した作品は、イリ・キリアン振付の『Wings of Wax』。ギリシャ神話のイカロスをテーマにした作品で、これは彩の国さいたま芸術劇場にもツアーで来ていましたね。ステージ上に葉っぱのない大木が逆さまに吊り下がっていて、太陽に見立てた照明がその周りを回ってる。そこに4組のカップルが登場します。私は健太くんとペアを組み、それから長い間ずっと一緒に踊ってました。

キリアンの新作にたもたくさん携わることができました。そのひとつ、『Chapeau』はオランダのベアトリクス女王のためにつくったもので、女王がいつもかぶっているシャポー=帽子をモチーフに、プリンスの曲に振付けた面白い作品です。

 

Jiri Kylian振付『Chapeau』©Joris Jan Bos

 

思い出深いのは『Vanishing Twin』で、これは未完の作品とされているものです。母親のお腹の中に双子の赤ん坊がいて、どちらか強い方が弱い方を吸収して生き残るという現象がコンセプト。伸び縮みするゴムのセットが子宮に見立ててあって、その真ん中からダンサーがふたり出てきては、どちらかが出ていこうとするのをどちらかが抑えようとしてーー。

キリアンの後半の作品はメッセージ性や社会性の強い作品が多く、精神的にとても深いものがありました。キリアンは作品のコンセプトについて話はしても、ここはこうだとダイレクトに解説する訳ではなくて、言葉の断片で示唆するだけ。それをダンサーが受け取って、自分の経験に照らし合わせて踊りにして、またキリアンが編集していく、という作業です。

彼が提示するコンセプトは個人的なものが多いけど、それを普遍化して、どんな経験や背景を持つ人にも反映できるようにしてしまう。決してきれいなだけではなくて、人間の醜さ、狡さ、恐ろしさといったものもたくさん出てくる。うつくしいけど辛くなる。踊っててしんどくなるし、観ていてもそう。だけど私はそこも含めてすごく好きです。

 

Jiri Kylian振付『Vanishing Twin』©Joris Jan Bos

 

NDT1ではたくさんの才能ある振付家たちと仕事をすることができました。特に印象的だったのは、マッツ・エック、マルコ・ゲッケ、クリスタル・パイト、ピーピング・トムなど。マッツ・エックとの初仕事はNDT1に入団してわりとすぐ、『Fluke』という作品でご一緒しています。NDTを辞める二年前には『Sleeping Beauty』の主役に抜擢してくれました。

ウェイン・マクレガーとの仕事は大変でしたね。最初はファーストキャストに入っていたのに、“君はセカンドキャストの方が合ってるから”という謎の説明と共に、突然セカンドキャストにされた、なんてこともありました。

 

Mats Ek振付『Sleeping Beauty』©Joris Jan Bos

 

NDT1もNDT2と同じくらい公演数は多くて、年に4〜5個のプログラムを本拠地のハーグで初演し、その間にツアーで各地を巡ります。午前中はこの作品の振付を、午後の前半はこれ、後半はこれといった具合に、常にいくつも並行してクリエイションをしてました。一日3作品のリハーサルをするようなこともよくあったので、いつもくたくたになっていました。次から次へと舞台が続く、ファクトリーのような毎日です。充実してるしありがたいことではあるけれど、やっぱり何事もやりすぎというのはよくないですよね。そんな生活を続けていたら、燃え尽きてしまった。NDT1に入って3年くらい経った頃です。

レイさんがクルベルグバレエに移籍して、恩恵さんも日本に帰ってしまったりと、だんだん見上げるダンサーが少なくなってきた。インスパイアされるダンサーがいなくなってしまった、というのも大きかったと思います。目指すべき人が上にいるのってやっぱり大切だなと感じます。

 

Lightfoot&Leon振付作品リハーサル ©Rahi Rezvani

 

ダンスへの情熱が失せつつあって、“ダンスを辞めて何か全然違うことやろう”と考えるようになりました“日本に帰って工芸をしよう”と一時期本気で思い、実際に日本の工芸学校をいろいろ調べたこともありました。そんなとき、レイさんが“恩恵さんの作品をOptoで上演するから出てみない?”と声をかけてくれて。恩恵さんの作品にはそれまで出たことがなかったし、踊ってみたいと思った。そこでまたダンス熱に火がついた感じです。

イスラエル出身のカンパニーメンバー、イダン・シャラビと一緒に作品をつくるようになったのもその頃です。イダンがバットシェバ舞踊団に移籍し、故郷のイスラエルで『HOME』という作品を持って凱旋公演をしたときは私も出演しています。

William Forsythe振付『Trio』©Joris Jan Bos

 

外部での活動が増えていき、少しずつ意識がNDTの外に向くようになりました。同時に“NDTにずっといることはないだろうな”と、だんだん退団を視野に入れるようになりました。だけどなかなか踏ん切りが付かず、実際に辞めるまでそれからかなり時間がかかりましたけど。

結局NDTには11年半ほど在籍していますが、これは日本人では一番長いと聞いています。その間NDTもいろいろ変化がありました。一番大きかったのはキリアンがNDTから離れたときで、ダンサーがごそっと辞めていきました。健太くんもそのひとり。でもクリスタル・パイトやほかの振付家の作品が控えていたので、私はまだ残ろうと思ってカンパニーに留まりました。

 

向井山朋子、イリ・キリアン、サビーネ・クップファーベルグと

 

カンパニーに在籍してはいたけれど、年々外部の比重が大きくなる一方です。“このプロジェクトに出たいから休みが欲しい”とお願いすることがどんどん増えて、それでもディレクターはダメとは言わず、一緒にスケジュール表を見ながらなんとか調整しようと考えてくれました。でもさすがに同僚に悪いなと思い、2015年の夏をもってカンパニーを辞めようと決意しました。ただ次のシーズンの始めのプログラムに控えていたピーピング・トムの作品には出てくれと言われ、シーズン終わりではなく11月末で辞めることになりました。

ずっと悶々としてたけど、突然“よし辞める!”とすぱっと思った。それからは本当に楽しくて、みんなのことが愛おしくなってきた。長くいると不満も出てくるけれど、それがすっとなくなって、最後の半年は感謝しかありませんでした。

 

NDT1メンバーと

 

 

-コンテンポラリー