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堀田千晶『メシュラシュ』インタビュー!

イスラエルのバットシェバ・アンサンブルで活躍する堀田千晶さんが、独自プロジェクト『メシュラシュ』を発足。スウェーデン、イスラエル公演を経て、この夏日本公演を敢行します。日本初お披露目に先駆け、イスラエルの堀田さんにインタビュー。プロジェクト発足のきっかけと現地での日々をお聞きしました。

スウェーデンでの生活はいかがでしたか?

堀田>スウェーデンは陽が落ちるのがすごく早くて、10月ごろから夕方5時台にはもう暗くなる感じ。冬が長くて、寒い時期が3月くらいまで続きます。暗いから外に出ても精神的に落ち込むんですよね。イスラエルに来て、太陽を浴びることの大切さを実感しています(笑)。

落ち込んだときはダンスと全然関係ないことをしたり、友達と延々と語り合ったりして気分転換をしてました。他のアーティストの意見を聞くと力になるので、そうやって自分を盛り上げるようにしていたというか。スウェーデンではバイオリニストや研究者などいろいろなジャンルの方と知り合う機会があって、そこはすごく恵まれていたと思います。

バットシェバに移籍したのは何故でしょう。

堀田>NDT2時代にオハッドの作品を踊る機会があって、何度か一緒に仕事をしていたので、“この人のもとで踊りたい!”という気持ちがずっとありました。実は過去にバットシェバのプライベートオーディションを受けていて、オハッドから“うちに来ないか”と言ってもらっていたんです。だけどそのときはヨーテボリ・オペラ・ ダンスカンパニーの一年目でもうちょっといろいろな振付家と仕事をしたいと考えたのと、当時はイスラエルに行く勇気がなかったというのもあり、結局行動には踏み出せなかった。けれど今回はタイミングが合ったというか、これがもう最後のチャンスだという想いもありました。

まずオハッドにメールして、イスラエルまで行って彼と話をしました。そこで彼に“来月からうちに来ないか”と言われ、2015年の1月からバットシェバ・アンサンブルで踊っています。ヨーテボリ・オペラ・ ダンスカンパニーには結局2011年から3年半在籍していました。3年目の最後までいる予定だったけど、途中で移籍したのでヨーテボリのディレクターは怒ってましたね。でもバットシェバに行きたいという強い気持ちがあったのと、今行きたいと思うところはここしかないということで決意しました。

オハッド作品の魅力といえば?

堀田>オハッドの振付は形にはまらないというか、動物的な動きが多くて、“どういう風に動いてるんだろう?”と見ていてもすごく不思議なんですよね。人間の身体ではないような動きをするので、ああいう風に動けたらと……。それはGAGA(オハッドのオリジナルメソッド)の影響が大きいと思う。カンパニーでは毎日クラスでGAGAをしていますが、私もそれですごく考え方が変わったし、身体の使い方も変わりました。普段のトレーニングはGAGAが中心で、クラシックバレエのクラスは3カ月に1回あるかどうかという程度。GAGAはバットシェバ・アンサンブルに入って2年目のメンバーが持ち回りで教えることになっていて、私も最近になって教え始めました。身体の持つ本来の可能性や可動域をどうやって広げていくか、頭のなかで感覚を広げていくというか、本当に頭のなかを操作される感じ。こういうものだと決め付けないので、イメージを与えられたらそれにふさわしい動きができるように思えてくる。錯覚ではないけれど、メディテイションのような効果もあります。

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バットシェバ・アンサンブルの日々はいかがですか?

堀田>毎日すごくハードです。NDT2も公演がたくさんあって大変だったけど、バットシェバ・アンサンブルと比べたら全然楽勝ですね(笑)。特に大変なのが朝の公演で、子どものために学校をまわって作品を2回踊ります。遠いところは朝5時に起きて3時間くらいかけて現地へ行き、朝10時からばんばん踊る。身体もまだ動かない状態だけど、なんとかして動かなければいけない。そういう意味では今すごく鍛えられてます。海外公演もあります。今年はニューヨークとポーランド。年間公演数も多くて、ワンシーズン130公演くらい。お休みの日はほとんど家にいます。疲れて何もできなくて、ひたすらゆっくりしてますね。

バットシェバ・アンサンブルは研修生を合わせて今18人在籍しています。去年はメインカンパニーが日本ツアーをしていましたが、私たちはそのときニューヨークのジョイス・シアターで公演をしていました。私も日本に行きたかったですね。アンサンブルは基本的に応募時24歳までとなっていますが、オハッドが気に入ったダンサーがいたら入れる感じです。アンサンブルの在籍は上限2年間で、その後はメインカンパニーに上がるか、バットシェバを離れるか。ただメインカンパニーに空きがないけどオハッドが残したいということで、3年目になってもアンサンブルにいるダンサーもいます。私は来年もアンサンブルにいます。いつかメインカンパニーに上がり、日本で舞台に立つのが夢です。

イスラエルで暮らしていて不安を感じることはありませんか?

堀田>私がイスラエルに来た年の夏にバスや道ばたで爆発が起こったりと無差別テロがありました。ただそういう事件はたいていエルサレムで起こっていて、私がいるテルアビブはわりと平和な方かもしれません。それにパレスチナ人がイスラエル人を標的にすることが多いので、外国人の私はターゲットになりにくいと思う。でも巻き込まれたりするようなこともあるでしょうし、やっぱり怖い。政治的にすごく問題がある国なので、常に気が抜けないし、夜道は歩きたくないと思うようになりました。そういうのって踊っていても影響されますね。ただ国の歴史が浅い分自ら何かを始めようという人がまわりにたくさんいて、すごくいい刺激になります。私もカンパニーのほかにメシュラシュの活動をするのは大変ではあるけれど、頑張らなければなと思います。

いよいよ日本公演ですね。メシュラシュとして今後どのような展開を考えていますか?

堀田>日本へはカンパニーの夏休みを利用して公演に行きます。計画を練る時間も長かったので、ようやくという感じです。メシュラシュとしての今のゴールは、日本公演を成功させること。もちろんその後もプロジェクトとしていろいろな場所で作品を発表したいと思っています。3人が4人になって四角になったりと、形を変えて続けるのもいい。海外で活躍している人たちが毎年のように日本で公演できる場所がもっと増えればいいなと思うし、続けていけたらと考えています。

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