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レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督 森優貴インタビュー!

ドイツ・レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー芸術監督の森優貴さんが、2019年秋をもって退団を発表! 退任に至る経緯と現在の活動、今後の展望についてお聞きしました。

日本でこの先振付を手がけていく意思はありますか?

森>もちろんあります。振付のみならず、舞台芸術全般の演出に関わっていきたい。それはクラッシック・バレエやコンテンポラリー・ダンスの舞踊作品に限らないかもしれません。古典には興味がないとか、コンテンポラリー作品には興味があるということはない。

表現方法やジャンルの違う人たちが集まって、大きなヴィジョンで舞台製作に関わりたい。実際に以前“ミュージカルの振付けをしませんか”というお誘いをいただいて、自分としてはぜひという気持ちでいたけれど、スケジュール的に叶わなかったということもあります。“自分の振付スタイルはこうです、これしかやりません”ということではなく、もう少し大きな視野で舞台作品として捉えています。

 

『The House』(C)Bettina Stöss

 

帰国を前にした現在の心境をお聞かせください。

森>まだあまり実感を持てないでいます。ただレーゲンスブルクを去る=僕の子どもたちであるダンサーを置いていく、ということについては日に日に実感しています。今の時代は便利になって、どんなに遠く離れていてもSNSで繋がることができるし、顔を見ながら話もできる。けれどやはり彼らと一緒に日々訓練し、作品をつくることが今後はなくなってしまうーー、というのが心残りでないと言ったら大嘘になる。

18歳でドイツに来たので、自立した大人として日本で暮らしたことがないし、日本の文化で知らないことはたくさんある。ひとりの人間としては、この年齢になって改めて日本を知るということに対して新鮮な楽しみも感じています。今まで非日常だった日本が、自分の日常になる。本当に小さなこと、例えば本屋に足を運び、惹かれる書物を手に取るだけでもわくわくする。

 

『春の祭典 』(C)Bettina Stöss

 

先が見えない現状については、正直不安もたくさんあります。この年齢になって決断するというのはこんなにも過酷なことなんだ、と身に染みて感じています。でも“いずれは選ぶときが来るんだろうな”というのは自覚していた。これまでは自分の生活もしたいことも仕事も全てがドイツにあった。今の自分の大半がドイツでの暮らしの中で形成されたものかもしれない。日本語、英語、ドイツ語の3カ国語に囲まれ、それぞれの言語を話すたび、違う回路を使って自分を表現してきた。しかし同時に自分は日本人であり、何十年ヨーロッパにいても、両国を跨いでいるような感覚がありました。“いつか日本に帰って死ぬのだろうか”と考えたこともなければ、“このままドイツで年を取って死んでいくのだろうか”とも考えていなかった。だけど、“いつかはどちらかに決めるときが来るんだろう”という想いはずっと頭のどこかにありました。

芸術監督就任後3年目くらいのときのこと。ある記者会見で難民問題が取り上げられ、“あなたも外国人ですが、難民問題をどう捉えていますか?”と意見を求められました。僕の答えは“ 彼らは他国に暮らせる場所を求める選択しかなかった。けれど僕は18歳のとき自分で選択して日本を出てドイツに来た”というものでした。自分で選択したからには、去るなり残るなりの決断も自分でしなければいけない。誰のせいにもできなければ、何かに答えを求めるのも間違っている。今40才。日本に帰国するのは2019年の秋を予定していています。41歳でのリセットです。

 

『危険な関係』リハーサル

 

 

-コンテンポラリー