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元カンパニー・ウェイン・マクレガー、ジェームズ・ペット×トラビス・クローセン=ナイト『Elevation―昇華―』インタビュー!

元カンパニー・ウェイン・マクレガーのダンサーで振付家のジェームズ・ペットさんとトラビス・クローセン=ナイトさんが、渋谷のセルリアンタワー能楽堂で『Elevation―昇華―』を上演。ロンドンで好評を博したデュオ作品に、各々の世界初演ソロ作品を加えた三作品を披露します。公演を間近に控え、来日中のおふたりに公演への意気込みをお聞きしました。

おふたりのデュオと各々のソロ作品の三作品で構成された舞台『Elevation―昇華―』。うちデュオ作品『Informal Between』は昨年12月にサドラーズ・ウェルズ劇場で初演を果たし、高い評価を得ています。

トラビス>『Informal Between』はジェームズとふたりで創作した作品です。ジェームズとはカンパニー・ウェイン・マクレガーに所属していた頃から一緒に創作をはじめて、たびたび作品を発表してきました。『Informal Between』のインスピレーションとなったのは、個人的なリレーションシップで感じるもの。僕とジェームズとの間に流れるもの、そしてさまざまな人たちとの関係、それらがどのように繋がっているかといったことを、創作の過程でかみ砕いていきました。

ジェームズ>トラビスと一緒に作品をつくるときはいつもそうですが、ふたりで互いに意見を出し合いながら振付を進めていきます。“こちらの方がいいな”というのは創作の過程で互いに自然と感じられるし、もしトラビスが出したアイデアを僕がしっくりこないなと感じることがあったとしたら、そのときはまた別の提案をして、両方がしっくり感じられるところまで試行錯誤を重ねます。だから、どちらか片方だけが満足している、という状態は絶対にありません。

作品のテーマについてははじめから明確な何かがあったという訳ではなくて、創作の過程で生まれたものを構成していった形です。これは普段からそうで、最初に何かプランを設けて作品に取りかかるというよりは、振付けをしながら少しずつ全体像が見えてくるケースが多いですね。

 

 

トラビス>明確なテーマを設けていた訳ではないけれど、“こういう作品にしたい”といううっすらとした想いは頭の中にずっとあって、作品をつくっていく内にそれがだんだん色濃くなっていった感じでしょうか。なので創作中はずっと試行錯誤の繰り返しで、“今日はこれをしよう”というはっきりとしたアイデアを持ってスタジオ入りする日もあれば、何のアイデアもないまま動きを重ねていく中で何かが紡ぎ出されていくこともあります。少しずつ少しずつ作品の全体像が見えてきて、ずっとあやふやだったものが最後にやっとクリアになった。作品の完成もギリギリで、タイトルもかなりギリギリになって付けました(笑)。

ジェームズ>ただ“これで作品が完成したぞ!”と感じた瞬間は確かにありました。というのも『Informal Between』を創作したのはまだカンパニー・ウェイン・マクレガーに所属していた頃で、朝6時から夜10時までカンパニーの仕事をしていたので、このプロダクションに取りかかれるのはそれが全て終わってから。くたくたに疲れた状態で夜スタジオに入り、ぐるぐる走り回るシーンを踊っていたらすっかり目が回ってしまって……。その瞬間、“あぁ、ここで作品が終わるんだな”と実感したんです(笑)。

 

 

サドラーズ・ウェルズ劇場での初演の手応えはいかがでしたか?

ジェームズ>反響はとても良く、忙しい中がんばってつくった甲斐がありました(笑)。観客のみなさんがすごく感動してださって、それでまた自分たちも感動させられました。本当にうれしかったです。

トラビス>その公演をきっかけにさまざまな出演オファーをいただきました。日本にもこうして来ることができましたし、今年の7月には『Latitude Festival 2019』(英国最大級の音楽フェスティバル)にも参加することが決まっています。

ジェームズ>僕がカンパニー・ウェイン・マクレガーではじめてパフォーマンスをしたのも『Latitude Festival』でした。カンパニーを退団した今、自分たちのプロジェクトをまた同じ場で上演するというのは何だか不思議な感じがします。

 

 

今回は能楽堂が会場になります。勝手の違いなども予想されますが、心境はいかがですか。

ジェームズ>能楽堂は写真で見たことがあるくらい。もちろん踊るのは今回がはじめてですが、全く問題ありません! 日本の文化とコンテンポラリー・ダンスを融合することができ、とてもうれしく思っています。

トラビス>これまでもそうですが、ギャラリーや路上など、劇場だけでなくどんな場所でも作品として成立するようアプローチの方法をその都度変えて取り組んできました。今回は能楽堂という特別な場所ではあるけれど、そういう意味では問題はなく舞台に臨めると思っています。

 

Photo Ron Fung

 

『Informal Between』に加え、本公演のために創作した2作のソロ作品『掟の門』と『塩と水』の世界初演が予定されています。各々の作品についてご紹介ください。

ジェームズ>僕のソロ『掟の門』は、フランツ・カフカの同名小説から着想を得た作品です。塚本行子さん(舞台デザイナーで本公演主催のファビュラ・コレクティブ/Fabula Collective代表)がこの小説を薦めくれて、作品の題材に用いることになりました。

物語にはあるひとりの男が登場し、門の前で“ここを開けてくれ!”と訴えています。男はなんとか門の中に入ろうとするけれど、門番がいてそれもなかなか難しい。けれど実はその門番というのは現実には存在しておらず、結局のところ門を開けられるのは自分しかいないーー。カフカの原作は2ページ程度と非常に短い小説で、この物語を作品化するのは非常に難しいものがありました。短編だけに使われている言葉もかなり限られていて、まずその少ない言葉の中から印象的なものを取り上げていきました。加えて、作品のテーマからもアプローチをしています。僕がダンスをする場合、形だけ身体を動かすのではなくて、内からくるものを表現するために踊っているところがあって。それはたぶん、僕がダンスをはじめたのがかなり遅かったことも理由としてあると思う。“自分の内から踊る”という僕の想いと、この物語のテーマが重なるものがあるのを感じています。

この話に合う音楽を見つけるのもなかなか困難な作業でした。かなり時間はかかったけれど、これだという楽曲を選ぶことができたと思います。最終的に、Sigur Rosのアルバムから数曲ピックアップしています。映画のサントラに使われた楽曲で、音楽の持つ雰囲気がとてもヘビーで作品に合っているなと思って選びました。

 

 

トラビス>僕のソロ『塩と水』は、日本の神道に着想を得てつくった作品です。まず塚本さんから“グレー”という色をひとつのアイデアとして提案していただきました。塚本さんいわく、白でもなく黒でもない、中間色である“グレー”が僕のイメージとしてあるという。グレーから膨らませていったのが水の色。水の色はときにグレーにも見える。さらに塚本さんと日本の文化について話をしていく中で、神道というテーマが浮かんできました。また日本の文化についていろいろ調べていくと、塩と水でお清めをするということを知り、非常に興味を持ちました。神道だけでなく、塩と水というのは解毒だとかある種の薬としても使われていたりする。汚れたものをきれいにする、浄化し、清めていく役割を持つというのも強く引かれた部分です。

塩と水は、身体を清め、罪を拭い去るための儀式や宗教的な意味で使うこともある。儀式をすることで自分を顧みる時間を持つ。そして、罪を捨て去り新しく生まれ変わる。そういったことを踊りの中でいかにあらわしていくか。ただ、拭い去ることが最終的なゴールではありません。例えばグラスについた水滴を指先で拭うとき、その指と水滴が触れる瞬間を引き延ばしたらそこで何が起こるのか。自分を顧みて新しく生まれ変わる瞬間を、僕はそこに求めています。

作中は長い棒を持って踊りますが、これはある種のデュエットのようにも感じています。棒は何かをあらわす象徴としてあり、全てでもあり、また無でもあるのです。

『塩と水』は日本で初演を迎えた後、今年の10月にサドラーズ・ウェルズ劇場で開催が予定されている僕らの公演でまたリ・クリエイションをして再演を行いたいと考えています。

 

 

ソロ作品とデュエット作品における創作の違い、踊る上で意識の違いはありますか?

トラビス>ソロ作品はやはり他の作品とは大きく違います。デュエットなど他の人間が関係する場合は周りに注意を払うことになりますが、そういう意味ではソロの方がより自由でドリーミングな感覚があります。

ジェームズ>僕はソロよりデュエットや他の誰かと踊る方が比較的ラクに取り組める感じがします。他者と踊るときは互いにサポートをし合ったりアイデアを出し合ったりできるけど、ソロの場合はテーマやクオリティを自分自身の中から絞り出していかなければならないのでそこはやはり大変です。ただ今回の作品にしてもそうですが、ソロを創作するときもトラビスとはお互いアドバイスをし合っています。何しろ自分の踊りは自分自身では見えませんから(笑)。

 

Photo Ron Fung

 

おふたりのバックグラウンドについてお聞かせください。ジェームズさんはもともと体操選手として活躍されていて、世界体操選手権の英国代表にも選ばれた実力の持ち主だそうですね。

ジェームズ>6歳で体操をはじめて、子どもの頃は授業が終わると3〜4時間毎日練習をしてました。体操は趣味の範囲ではなく、かなり真剣に取り組んでいたと思います。小さい頃ミュージカルを習ったことがあって、ジャズダンスやモダンダンスを少し囓ってはいるけれど、ダンスに触れたのはその程度。はじめてきちんとダンスを習ったのは17歳のとき。高校の選択学科で演劇とダンスのどちらかを選ぶ機会があって、僕はダンスを選びました。そのときの先生がいろいろなオーディションを受けるよう薦めてくれて、トリニティ・ラバン・コンサヴァトワールに受かり、そこで3年間みっちりダンスを学んでいます。コンサヴァトワールではクラスのはじまる一時間前からスタジオに入ってストレッチをしたりと、遅いスタートだった分人一倍真剣にダンスに取り組みました。

なぜ体操ではなくダンスの道に進んだかというと、ダンスの方が自分を表現できるように感じたから。10代までの僕は非常に引っ込み思案でとても大人しい子どもでした。でもダンスではその殻を破り、素直に自分を表現できるように思えたんです。ただ同じ身体を使うにしても、体操とダンスでは違う部分がたくさんありました。例えばコアを鍛えるというのは共通しているけれど、ターンアウトいったバレエで使うような要素は体操にはないし、またコンテンポラリー・ダンスとなるとリリースも求められるので、関節を柔軟に使いつつ柔らかい動きをするというのはとても大変な部分でした。

コンサヴァトワールを卒業後、ロンドンのリチャード・オールストン・ダンス・カンパニーでプロとしてのキャリアをスタートしました。ここは20〜30年の伝統を持つイギリスでは広く知られたカンパニーです。その後、2013年にカンパニー・ウェイン・マクレガーに移籍しています。

 

 

トラビスさんは南アフリカのケープタウン出身だそうですね。ダンスをはじめたきっかけは何だったのでしょう。

トラビス>ケープタウンで幼少期を過ごし、6歳でイギリスに渡っています。ダンスをしていた姉の舞台を観に行ったのが、ダンスをはじめたきっかけでした。姉が11歳で、僕は10歳だったと思います。でも僕の両親、特に父は“男の子がバレエを踊るなんて”という考えの持ち主で、はじめは僕がダンスをするのを喜んではいませんでした。僕も当初はスポーツの方に興味があって、特にマーシャルアーツに打ち込んでいましたね。ただ姉のレッスンに付いて行く内に僕も一緒に練習するようになり、次第にそれが毎日の練習になって、やがて毎週末ロイヤル・バレエ・スクールのクラスを受けるようになっていました。

ダンスの先生からオーディションを受けるように薦められ、トリング・パーク・スクール・フォー・エデュケーショナル・アーツに入学しました。ここは英国でトップ3に入る非常に有名な学校で、演劇とダンスに普通学科も備えたプライベートスクールです。けれど当時の僕は自分の将来についてまだはっきりとした考えは持っておらず、両親に“この先どうするんだ?”と聞かれ、“うん、じゃぁダンスをやろうかな”というような状態でした。

 

Photo Ron Fung

 

19歳のときにマシュー・ボーンの『白鳥の湖―スワン・レイク―』に出演したのがプロとしてのキャリアのスタートでした。マシューと知り合ったのはダンス学校に在学中のことです。振付のコンペティションで僕がコレオグラフィーアワードをもらったことがあって、そこに観客として会場に来ていたマシューが“おめでとう!”のメッセージをくれたんです。マシューは“君のソロ作品とても良かったよ。僕の『白鳥の湖―スワン・レイク―』を思い浮かべたよ”と言ってくれて、それから彼とやりとりをするようになりました。

学校の最後の年にニュー・アドベンチャーズ(マシュー・ボーンのカンパニー)のオーディションがあるという噂を耳にして、僕もぜひ受けたいと考えました。でもオーディションの日程など詳細がわからず、友達に聞いても知らないという。また酷いことに友達のひとりは知っていたのに教えてくれず(笑)、仕方なくマシューに直接メッセージを送りました。実はその頃もう申し込みの締め切りが過ぎてしまっていて、どうにかオーディションを受けられないかとお願いしたんです。マシューは“気にしなくていいから受けに来て”と言ってくれて、無事オーディションを受けられることになりました。実際会場に行くと、他の応募者たちの名前はきれいにタイプしてあるのに、僕の名前は手書きでいかにも付け足したような感じで加えてあって、なんだかおかしかったけれど(笑)。

オーディションが終わってしばらく経って、他の人にはとっくに合否の結果が届いているというのに、なぜか僕のところには連絡が来ない。しびれを切らして、マシューに“しばらく待ったけど結果が来ないんです。どうなったでしょうか?”とメッセージを送ったら、“ちょうど今メールを送るところだったよ。ぜひ僕のところで踊って欲しい”という返事をもらい、ニュー・アドベンチャーズの一員として『白鳥の湖―スワン・レイク―』の世界ツアーに参加することになりました。2010年には『白鳥の湖―スワン・レイク―』の日本公演で来日もしています。

 

 

おふたりはカンパニー・ウェイン・マクレガーで出会っています。ウェイン・マクレガーは英国ロイヤル・バレエ団常任振付家として活躍する人気振付家ですが、そのカンパニーは主にどのような活動をされているのでしょう。

ジェームズ>カンパニー・ウェイン・マクレガーに入団したのは2013年で、トラビスの方が半年早く入っています。カンパニーには6年間在籍し、今年の4月に退団しました。

カンパニー・ウェイン・マクレガーのダンサーは男女計10名。レパートリーは基本的にマクレガーの作品で構成されていて、それを持ってイギリス国内や海外にツアーに出掛けます。在団中の2015年には大きなプロジェクトがあって、パリ・オペラ座バレエ団のダンサー6人とコラボレーションを行いました。そこで当時エトワールだったマリ=アニエス・ジロとも共演しています。

トラビス>マクレガーの作品はコンテンポラリーがメイン。ウェイン・マクレガーのスタイルというのがあって、バレエをもっと大げさにしたような動きだったり、いろいろな要素が融合した独特の踊りになっています。またマクレガーの創作法として、彼がひとりでつくる場合もあれば、ダンサーにクエスチョンを投げかけてコラボレーションしながら作品をつくり上げていくこともあります。彼との創作はとても興味深い経験でしたね。

ちょうどジェームズがカンパニーに入ってきた頃から僕も自分のプロジェクトをはじめていて、彼に“作品をつくるから一緒に踊らない?”と声をかけました。そのプロジェクトでとても良い経験ができ、また次のプロジェクト、また次と一緒に創作を重ねてきた結果、今に至っています(笑)。

 

プロクラスの様子

 

ダンサーであり振付家としても注目されているおふたり。3週間ほど前にカンパニーを退団されたとお聞きしましたが、今後の展開をどのように考えていますか?

トラビス>プロになってはじめて創作したのは、カンパニー・ウェイン・マクレガーに所属する直前のプロジェクト。それ以前にもともと振付が好きで、学生時代から創作ははじめてました。踊るのもつくるのも両方好きだけど、最近はこうしたプロダクションで創作する機会も増え、今は作品をつくる方により気持ちが傾いていて。この先もたぶん創作の方にフォーカスしていくのではないかという気がしています。

ジェームズ>カンパニーを辞めた理由はいくつかあって、まず6年間ひとつのカンパニーで踊り続けて十分な経験を積めたという区切りの意味と、カンパニーと自分たちのプロジェクトを両立させるのが難しくなるくらいさまざまなオファーをいただくようになり、もっとふたりのプロジェクトを発展させていきたいという気持ちが生まれてきたのも理由のひとつ。あと、自分がこの先どうしたいか見極めるためというのもカンパニーを離れたひとつのきっかけでした。作品をつくるのはすごく楽しいけれど、まだ若いことだし、本格的に創作に打ち込むのはもっとしっかり踊った後でもいいかもしれない。そう考えると、僕はどちらかというとダンサー志向が強いのかもしれません。その後は流れに身を任せていけたら……。今はこの先の可能性を探っているところです。

 

 

最後に、日本の観客にメッセージをお願いします。

ジェームズ>日本で踊るのは今回がはじめてです。こうして日本で公演ができることをとても誇りに思っています。観客のみなさんには、何かを感じて劇場を後にしていただけたらとてもうれしいですね。

トラビス>みなさんの助力をいただいた結果、能楽堂で公演できることになりとても感謝しています。舞台を通して観客のみなさんに感動してもらえるよう願っています。

 

Photo Ron Fung

 

 

-コンテンポラリー