ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(12)
ヨーロッパのシビアなダンス事情
オランダの場合、勝手に“ダンスカンパニー”を名乗ることはできません。例えばフリーランスで活動する場合、ひとつのプロダクションのために助成金を申請して公演を打つというのが通常のケース。そこからもう少し発展して法人化する場合、1年分、4年分、8年分の助成金と、長いタームの助成を申請します。カンパニーをつくって企業として成り立たせるためには、通年以上の助成金を獲得しなければならないと聞いています。
カンパニーとして長期の助成金を得るためには、オランダ国内で最低限打つべき公演回数が決められていて、助成金の給付をキープするためにはそれを消化する必要がある。またカンパニーである以上、経営破綻しないよう実績を上げなければならず、そこはかなりシビアです。バレエ学校も成果が出ないと合併させられたり閉鎖されてしまうので、学校側は失業者を出さないようにしなければならない。実績を出さなければいけないけれど、最近は就職難なので運営は大変です。
日本はカンパニーの在り方が曖昧で、ダンサーという職業が成り立ちにくいといわれていますが、一方でお教室やコンクールの開催など、公演以外の事業からもカンパニーの運営費を捻出できる。それは良いことだと思います。またオランダで助成金を得るとなると助成元の方針に合わない作品はなかなか上演できないというような縛りも出てきますが、日本はそのぶんゆるやかで、上手に他のことと両立させれば助成金に頼らずとも公演を打つことが可能です。そういう意味では日本の方がより芸術の自由度が高いような気がします。
もっと踊りたいと思ってた
私が在籍していた頃、NDT1が上演していた新作公演は年間約6プログラム。たいていがトリプル・ビルなので、計約18作品上演します。プログラムは新作の世界初演と、レパートリーの再演、他のカンパニーのために振付けられた作品のNDT初演で構成されています。
作品の初演は木曜で、土曜まで地元のハーグで公演を行い、そのあとオランダ国内をツアーで巡り、さらに世界ツアーにも出かけます。海外ツアー用のプログラムはオランダ国内のプログラムとはまた異なるので、リハーサルもオランダ国内用と海外ツアー用の二本立てで行います。海外ツアーは基本的にキリアン作品で構成されていて、一演目のみポール・ライトフットの作品がツアープログラムに組み込まれていました。
新しいプログラムがはじまるとまた次のプログラムに取りかかるので、日中は次のプログラムの用意をして、夜になると現在上演中のプログラムの本番があってーーと、同時進行での作業が続きます。常に次のプログラムに向かって動いているので、本番を迎えたからといってほっとする暇はありません。
キャストはキャスティングボードに貼り出される形で発表されます。公演数はとても多かったけれど、私はキャスティングされるといつだってうれかったし、もっと踊りたいと思っていました。踊ること、創作すること、勉強することが大好きで、追求したいことが次から次へと湧いてきた。
いくら舞台が続いても、踊るのがいやだとか、面倒だと感じたことは一度もありませんでした。それは私だけではなかったように思います。公演が23時に終わり、そこからメイクを落として夜中の2時まで自分たちの作品の創作をしたり、夜車を飛ばして気になる舞台を観に行って、朝帰ってきた足でそのままカンパニーのクラスを受けたこともありました。内側から出てくるエネルギーがとてつもなく高い、熱のあった時代でした。
火の中、水の中、どこまでも
何より大きかったのはキリアンの存在です。私も含めダンサーはみんな彼と仕事をしたくてNDTを目指し、みんなキリアンの踊りが踊りたくて集まっていた。キリアンはよく“僕らは同じ船に乗る者同士”と言っていました。それはみんなの気持ちでもあり、カンパニー全員が一丸となっていた。火の中、水の中、どこまでもキリアンに付いて行く、という気持ちをみんながみんな抱いていました。
キリアンはクリエイティブでみんなを強いエネルギーで引っ張っていく素晴らしいリーダーではあるけれど、繊細で浮き沈みの波が大きい人でもありました。例えば朝のミーティングでダンサーからちょっとした不満がとびだすと、途端にナーバスになってしまう。キリアン自身は責任持ってダンサーを育て、率いていこうという気持ちでいるのに、ダンサーは文句ばかり言う、だからもうディレクターを辞める、と何度も宣言していました。ただダンサーもときには不満を口にするけど、誰もがキリアンに対して尊敬の念を抱いていて、それはキリアンもきっとわかっていたと思います。ディレクターとしてダンサーやスタッフを率い、資金集めに奔走し、そして振付家として作品をつくり続けていた。自分の命を削るようにしてカンパニーを支えてくれていました。
新作をつくるときのキリアンはとりわけナーバスになるので、スタジオの中はぴりぴりとした緊張感で満たされます。でも創作ができるのはまだ良い状態のとき。精神的に不安定になるとそれもままならず、実際しばらくカンパニーを離れてドイツで静養しようとした時期もあったそうです。精神的な悩み、芸術的な悩みを乗り越えた結果として作風が変わることもよくあるので、芸術家にとってはスランプも大切な時期だと思います。けれどNDTにはキリアンが抱えている闇や苦悩をみんなで担おうとするところがあって、キリアンの調子が悪くなって創作が難しくなると、カンパニー全体が集団で鬱に陥ってしまう、グループ・ディプレッションが起こるようなこともありました。
ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(13)につづく。
インフォメーション
新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/
貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml
神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp
<パフォーマンス>
中村恩恵カナリアプロジェクト
沈黙のまなざしSilent Eyes
世田谷美術館
2022年12月22日〜2023年3月21日
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev01011
<ワークショップ>
神奈川県芸術舞踊協会主催研修会
ダンスワークショップ
2023年3月19日
https://dancekanagawa.jp
中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428
中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com
<オーディション>
(公社)神奈川県芸術舞踊協会主催公演 『モダン&バレエ 2023』
中村恩恵作品 出演者オーディション 2023 年 3 月 21 日開催
2023 年 10 月 28 日上演 「モダン&バレエ 2023」の出演ダンサーをオーディションで募集。
https://dancekanagawa.jp/
プロフィール
中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。