ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(16)
オランダで暮らすということ
私たち外国人にとって、オランダはとても暮らしやすい土地でした。もともとオランダは植民地にしていた場所がたくさんあったため、外国人も多く住み、多民族の文化や生活が混ざり合っている。非常にリベラルな国で、多様な価値観が共存できる。
フランスにいた頃は、アジア人ということで差別を受けることもよくありました。街で買い物をしていても、後回しにされるようなことはしょっちゅう。きっとフランス語がわからないと思われたのでしょう、“あのアジア人は待たせておきましょう”なんて言っていましたね。さらに当時はバブル真っ只中で、日本の女子大生が高級ブティックで高価なバッグを買いあさっていたころ。同じ日本人として、とても肩身の狭い想いがありました。カンパニーのダンサーも大半がフランス人で、アジア人の私がチュチュを着てバレエを踊るということにもどこか違和感を感じてた。フランスにいた頃はいつもよそ者のような気がしていて、オランダに行ってようやく落ち着けた感覚がありました。
オランダに移った当時はフランス語が一番話せる外国語で、NDTに入るにあたり英語を学んでいます。オランダ語はオランダに来てから個人的に習ったり語学学校にも通いましたが、なかなか流暢とまではいきません。ただオランダは貿易中心に栄えてきた国なので、みんな当たり前のように何カ国語も話せます。大勢の人が集まるときは、そのなかで言語が一番苦手な人に合わせて話す、という共通認識がありました。それにカンパニーでは英語とフランス語が使われることが多く、言葉の面でさほど困ることはなかったように思います。
私が移り住んだ当初のオランダはまだまだ治安が悪かった時代。抜け殻になった映画館やデパートが街の中心部に建ち並び、それらにジャンキーたちが骸骨を描いて住みついているような状態でした。車を駐車するときは、ハンドルを外しておかないと盗まれてしまいます。それまで暮らしていたモナコは経済が非常に潤っていて、“ここはディズニーランドなの?”というくらい全てが完全に管理されていたので、その格差にはもう驚くばかりです。
治安が悪いとはいえ、とりわけ危ない場所や時間というのは暮らしているうちに肌感覚でわかってくるもの。同じ道でも行きは安全だけど暗くなると危険だから避けた方がいいという場所もあり、その辺りを踏まえていればそこまで怖い思いをすることはありません。私が移り住んでしばらく経つと、オランダの経済も徐々に上向き、街もきれいになっていきました。
オランダの中でもNDTがあるハーグは、国連関係の施設や大使館が点在するとても落ち着いた街。自然も豊かで、海があって、砂丘もあって、森もある。私は散歩をするのが好きで、うつくしい自然の中をよくそぞろ歩いたものでした。ときには恋人と、ときにはひとりで、そしていろいろな分野で活躍する友人たちと自然の中を歩きながら、議論を交わしたり、静けさを味わったり、すてきな時間を共有しました。
プロテスタントとして
私はプロテスタントですが、キリスト教のなかでもプロテスタントはカトリックに比べ、より質実剛健で勤勉といわれています。カトリックの文化圏とプロテスタントの文化圏では生活のパターンや時間、お金の使い方にも大きな違いがあります。オランダ人の気質も質素で堅実、勤勉、飾らない、というのが特徴で、だからよりオランダに自分が育ってきた環境と近いものを感じ、フィットしたのかもしれません。
オランダに移り住んだ頃のことです。街中でお年を召した女性を見かけ、“家まで送りましょうか”と声をかけたらとても喜んでくださって、英国国教会の集まりに誘ってくださった。そこには現地で暮らす日本人も来ていて、だんだん知り合いの輪が広がっていった。オランダに古楽を勉強しに来ている人、ライデン大学の医学部に通っている人、ヘブライ語の教授をしている人など、みなさん分野も目的もさまざまです。海外のダンスカンパニーで踊っていると、どうしてもその限られたコミュニティの中で生きることになる。でも教会を通してダンス以外の友だちもでき、家族ぐるみのお付き合いに発展した。それは海外でひとりで暮らす上で、私のなかの大きな基盤になりました。
カンパニーのお休みは基本的に日曜だけか、日曜・月曜の週二日。日曜はまず教会へ行き、日曜礼拝に参加します。礼拝後はみんなと一緒に餃子をつくったり、お宅にお邪魔することもありました。私が子どもの頃は家でよく家庭礼拝を開いていたので、自宅を開放するのに慣れていて、私もみなさんをたびたびお招きしています。
宗教が私の作品に影響を与えている部分はやはりあると思います。私の家は代々クリスチャンで、宗教的な家庭に育ち、その意識が深くすり込まれてる。自分の人生を自分の所有物とせず、自分自身を何か大きなものに捧げている、という意識がある。それはダンスや芸術に自分を捧げている意識と重なるような気がしています。自己表現しているというより、表現されるべきものがそこにあり、そのために自分を差し出している。そういう感覚が自分の中にあるように感じます。
人格や生き様、どのように死んでいくか、自分が生きている間にどこまで人間性を深く探ることができ、真理にどこまで肉薄できるのか。それがダンサーとしての一番の目標であり、課題になっている。キリスト教がもっている命の木のイメージや原罪の意識が自分の根底に強烈にあって、実際に作品をつくりはじめると、メタファのようなものがさまざまに動きの中にあらわれてくる。小さい頃の宗教教育によって自分の基礎が位置づけられているのをそこで改めて感じます。
ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(17)につづく。
インフォメーション
新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/
貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml
神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp
<パフォーマンス>
中村恩恵カナリアプロジェクト
沈黙のまなざしSilent Eyes
世田谷美術館
2022年12月22日〜2023年3月21日
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev01011
<ワークショップ>
神奈川県芸術舞踊協会主催研修会
ダンスワークショップ
2023年3月19日
https://dancekanagawa.jp
中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428
中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com
<オーディション>
(公社)神奈川県芸術舞踊協会主催公演 『モダン&バレエ 2023』
中村恩恵作品 出演者オーディション 2023 年 3 月 21 日開催
2023 年 10 月 28 日上演 「モダン&バレエ 2023」の出演ダンサーをオーディションで募集。
https://dancekanagawa.jp/
プロフィール
中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。