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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(30) 

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

NDT日本ツアーで

NDT1在団中の1999年、彩の国さいたま芸術劇場で『One of a Kind』を踊っています。退団前の最後のツアーでした。その際、館長を務めていた諸井誠さんから「中村さんがひとりで踊るフルイブニングを上演しませんか」と声をかけていただいた。それが『BLACKBIRD』のはじまりでした。

けれどキリアンに打診をしたら、「女性がひとりで踊るそのような公演はあまり好まない」と言われてしまった。NDTはじめヨーロッパのカンパニーはWコントラクトができず、基本的に外部の仕事をすることはできません。休暇中も給与をもらっているため、カンパニー外で仕事をするときはディレクターの許可を取る必要があります。

諸井さんと相談した結果、最終的に私のソロではなく、男性とのデュエット作をキリアンが創作する、という話でまとまりました。デュエットの相手はNDTのダンス・パートナー、ケン・オソラです。

ところがそうこうしているうちに、日本ツアーのシーズンの終わりに私がNDTを離れ、同時期にケンも退団し、キリアンもNDTのアーティスティック・ディレクターを退くことになった。期せずして3人ともフリーになり、自由に創作に取りかかれることになりました。

ただケンはNDT退団後ヨーテボリのバレエ団のバレエ・マスターに就くことが決まり、そうなると公演に出演するのは難しい。ならばケンは映像の中に登場し、実際に舞台で踊るのは私ひとりにしよう、という方向で話が落ち着いた。

創作はケンとのデュエットの振付からはじまりました。二人のパートは彩の国さいたま芸術劇場での初演前に、ジョン・ノイマイヤーが開催したニジンスキー・ガラに招聘され、まずそこでお披露目しています。その小さなデュエットは『BLACKBIRD』の全編から独立してさまざまな場所で踊り、またいろいろなカンパニーで上演されていくことになります。

1999年NDT1日本ツアー『One of a Kind』プログラム 発行: 彩の国さいたま芸術劇場(公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団)

一冊のノートから生まれた『BLACKBIRD』

ある日突然、キリアンから長いFAXが送られてきました。今度つくる作品のテーマが決まったといいます。

私たちはへその緒のようなチューブの中から生まれてきて、それらの残骸をまとって生きている。けれど死に臨んでいくときはそういうものを脱ぎ捨てて、ニュートラルな存在になる。私たちは生まれる前から国籍や宗教などあらかじめいろいろなことが決まっていて、この世に生まれるとそうしたものを背負って生きていく。けれど最終的に、全てのものから解放されて死んでいく。

この世で生きていく間、私たちは英語や日本語などいろいろな言語を持ち、それぞれの言葉を使って意思を伝え合う。一方で言葉を理解できなくても、何か感じることがある。民族の歌を聴いたとき意味はわからなくても心打たれたり、見知らぬ文字の造形に意味はわからずとも感銘を受けることがある。私たちは人間同士、意味を超えて共感する力を持っている。またそれは人間同士だけではなく、鳥の声を聞いたとき“なんてうつくしいのだろう”と心を動かされたり、“でもこの鳥は不安なのかもしれない”と感じることがある。言葉や人種といったものを超え、理解し合える存在というものがあるーー。これらがキリアンが掲げテーマでした。

創作はまず、キリアンと私がそれぞれ1冊のノートを用意するところからはじまりました。キリアンが「ノートにそれぞれ好きなもの、特に好きではないけれどすごく気になるものを書き出していこう」と言います。好きなものは、音楽や詩や本など何でもいい。気になるものは、自分の趣味ではなくても大切に思えるもの、知っておくべきだと思うものなど、思い浮かぶものでいい。そうした中から“ブラックバード”など作品のいろいろな要素が生み出されていきました。

ブラックバードというのはヨーロッパではお馴染みの鳥で、その囀りを聞くと、初夏の訪れを思わせる。まるで会話をしているように鳴き交わす。何を鳴いているのかわからないけれど、なぜか不思議と心に染み入る。早朝や夜遅くに鳴くことがよくあって、静けさのなかうつくしく響きわたります。

ブラックバード

キリアンの言葉に導かれて

『BLACKBIRD』の創作時はキリアンは50代半ばのころ。私のNDT在籍中はキリアンはとうに現役を退いてはいたけれど、まだまだ身体の動く年齢で、実際に自身の身体を使ってよく見本をみせてくれていました。

けれど『BLACKBIRD』の創作をはじめたあたりから、「足が痛い」と言うようになった。それは通風のはじまりでした。一方の足が痛いためもう一方の足を使いがちで、振りも自然と片足のバランスが増えていきます。同時に自分が動いてみせられないぶん、言葉でダンサーに動いてもらう、ということが増えてきた。それまで以上に言葉の力というものがキリアン作品のなかで重要なポジションを占めるようになってきた。キリアンが言葉でダンサーにインプットを行い、ダンサーはそれをもとにアウトプットしていく。『BLACKBIRD』は言葉の重要性にシフトしはじめた作品であり、その模索をはじめた作品だった気がします。

創作ノート

スタジオでキリアンがヴィヴァルディの『スターバト・マーテル』をかけ、「これにあわせて手を洗う仕草をしてみよう」と言いました。手を洗ってきれいになる部分もあれば、きれいに洗い落とせない思い出もある。その思い出というのが個人ではなく人類のものだとしたら、もしかしてこの手で誰かを殺したかもしれないし、物を盗んだかもしれない。恐ろしいことをしたかもしれないし、素晴らしいことを成し遂げたかもしれない。

でもその素晴らしいことを洗い落としたいわけではなくて、洗い落とすとしたら何を洗い落とすのか、そのためにはどういう仕草をするのか、でもそれは洗い落とすことができるのか。私が即興で動き、「じゃあそこからその手を見て、次に後ろに隠してみようーー」とキリンアンが導き、振付が発展していきます。

『BLACKBIRD』の楽曲は英語やフランス語など馴染みのある言語ではなく、民族的な歌などいろいろな国の言葉が使われています。これは“言葉を超えて理解しあえる”という作品のテーマからきたもので、まずキリアンが使う楽曲を決め、その楽曲と楽曲をつなぐアレンジを作曲家のディルク・ハウブリッヒが手がけています。作曲家が創作に加わって、曲のアレンジと振付が同時進行していった。作曲家が曲をつくってくれるというのは、かなり大きく自由な何かを作り手と表現者に与えてくれる。決まった楽曲でがちがちにしばられることなく、緩やかに変化させられる余白がありました。

1999年に日本ツアーで上演した『One of a Kind』をきっかけに、2001年の初演まで創作期間は2年近く。『BLACKBIRD』の創作中は私たち全員フリーランスになっていたので、NDT時代とは違い自由に使えるスタジオがありません。NDTのスタジオを借りたり、コルゾー劇場のスタジオを借りたりと、あちこちのスタジオを点々としながら少しずつ創作をしていきました。

誰かと長くひとつの作品に向き合うという体験は私にとって新しいものではなかったけれど、でもすごく特別な体験だった。振り返ればとても楽しいけれど、当時はフリーランスになったばかりで、いろいろなことに必死だった時期でした。

1999年NDT1日本ツアー『One of a Kind』プログラム 発行: 彩の国さいたま芸術劇場(公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団)

 

キリアンのHPに『BLACKBIRD』の映像部分が紹介されている
http://www.jirikylian.com/creations/theatre/blackbird/#

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(31)につづく。
 

インフォメーション

 

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

草刈民代プロデュース
『Infinity Premium Ballet Gala 2023』
2023年7月29日・31日
オーバード・ホール(富山公演)
新宿文化センター(東京公演)
https://classics-festival.com/rc/performance/infinity-premium-ballet-gala-2023/

横浜能楽堂 
『芝祐靖の遺産』
2023年8月5日
https://yokohama-nohgakudou.org/schedule/?cat2=7

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<クラス>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。
 
 
 
 
 
 

 

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