dancedition

バレエ、ダンス、舞踏、ミュージカル……。劇場通いをもっと楽しく。

堀内元『Ballet for the Future 2016』インタビュー!

セントルイス・バレエ芸術監督の堀内元を中心に、昨夏第一回公演を開催し大好評を博した『Ballet for the Future』。プログラムやキャストもパワーアップし、この夏待望の第二回公演を迎えます。開幕に先駆け、公演の芸術監督を務める堀内元さんにインタビュー! 舞台への想いをお聞きしました。

海外で活躍する立場から日本のバレエ界を改めて見てどう感じますか?

堀内>昔と比べて質もすごく上がって来ているし、公演を観てもセットに予算をかけている。けれど経営面にはもう少し工夫が必要だと思う。バレエファンや関係者にアピールするだけではなく、もっと視野を広げた宣伝のしかたというものがあると思うんです。バレエ公演も商品を売るという意識で取り組んでいかなければいけない。マーケティングが必要だし、時間とお金と労力をかけなければいけないけれど、日本人はそこに力を注がない。

あと、日本の劇場はグラマー(華やか)な部分が少ないですよね。ニューヨークではリンカーン・センターでニューヨーク・シティ・バレエやABTが公演をしていて、毎晩ドレスを着たお客さんが何千人とやって来る。劇場が社交になっている場面を見て、自分もここの一員になりたいと思ったのがそもそもの始まりでした。都さんも全く同じで、コヴェント・ガーデンにドレスアップをした大人たちが吸い込まれるように入っていき、終わると笑顔になって出てくる様子を見て、あの一員になりたいと思ったそうです。日本の劇場も少しは変わってきたけれど、まだまだわくわくさせる空間じゃない。そこがやっぱり今でも違うかな。

 

2015年公演より『Valse Fantaisie』©瀬戸秀美

2015年公演より『Valse Fantaisie』©瀬戸秀美

 

もうひとつ、日本人は少し内弁慶になりつつあるように思います。海外に出て、海外で踊って欲しい。僕の時代は日本に希望が持てなかったので、どんどん世界に出ていった。でも今の子たちは、海外に出ても少ししたらすぐ帰ってきてしまう。その気持ちはすごくわかるんです。日本はやはり居心地がいいし、お金も少しはもらえるし、いろいろな振付家の作品も踊れるから。だけど外側の世界では、もっといろいろなことが起こってる。それを見ないで日本のなかだけでみんな満足している部分があるように感じます。

僕も二年に一度くらい日本でダンサーをセントルイス・バレエにスカウトしますが、“来ない?”と声をかけると“いや、いいです”と言われる。昔ならそういうチャンスがあればみんな喜んだし、100人に声をかけたら97〜98人はOKする感じだったけど、今は半々かな。日本でいい家庭を築いて過ごしていければいいという感覚がある。そういう傾向がちょっと残念でならないですね。

バレエダンサーはどの国の子もみんないい子だけれど、日本だけでやってる子はのほほんとしてるというか、いい子だけで終わっちゃう。がつっとしたものがないのが歯がゆく感じます。アメリカ人はすごくハングリーですよ。みんなあちこちでオーディションを受けて、20カ所くらい落ちてもまだ受ける。ようやく僕のところでOKが出ても、待遇はそれほどいいわけではない。だけど“これだけしか払えないよ”と言ってもみんな残ります。

給与面は本当にぎりぎりですね。みんな若いし遊びに行きたいしとなると、足りないこともあると思う。カンパニーは朝10時から16時までと決まっていて、舞台があるとき以外はその後何をやってもいい。みんなレストランで働いたりと、頑張って足りない分を稼いでいます。誰々がどこで働いてるから私もというように、ある意味それを愉しんでる部分もあるようですけど。どこのバレエ団もそう。ものすごくハングリー精神がありますね。

 

2015年公演より『La Vie』©瀬戸秀美

2015年公演より『La Vie』©瀬戸秀美

 

最近のバレエ界はスター不足と言われています。その現状をどう考えますか?

堀内>ガッツがないからだと思う。最近のダンサーはすごくきれいだし、レベル的にはみんな本当にうまい。でもアピールするもの、内面から出てくるパワーがないのかもしれない。僕の時代はまた違いましたね。ロンドンで『キャッツ』に出ていたとき、熊川哲也くんがまだ向こうにいたのでよく一緒に食事をしましたが、バレエについて話し出すともう止まらないんです。こうしたい、ああしたいと言っては、翌日舞台があるのに夜中の三時、四時まで語り合ってた。彼は日本でバレエ団をつくるんだ、日本一のバレエ団をつくって最高のレベルの作品を上演するんだと言ってた。僕はやっぱりアメリカが好きだったから、アメリカでやっていきたいという意識があった。アメリカで自分のバレエ団を持ちたいと思っていたし、それを情熱的に語ってた。あの頃は楽しかったですね。

今は海外に出てやっていくぞという気持ちを持ってる人がいない。ひとつの強い信念を持ってる人が少ないですよね。僕がニューヨーク・シティ・バレエをなぜ辞めたかというと、自分のバレエ団をつくりたかったから。このまま40歳過ぎまで踊って、引退して、あとは教えでもやります、というのだけはイヤだった。何だか辞めたときが自分の人生のピークみたいじゃないですか。大きくなくてもいい、自分のバレエ団をつくって、一緒に伸びていきたいという野心があった。常にチャンスを伺ってた。そういう人って今少ないでしょう。それがスター不足につながっているような気がします。

 

2015年公演より『Pandora’s Box』©瀬戸秀美

2015年公演より『Pandora’s Box』©瀬戸秀美

 

ご自身のカンパニーにスクールと、夢を全て実現してきました。今後目指すものとは?

堀内>もっとバレエ団を大きくしたいし、バレエ学校も大きくしていきたいし、公演の質も上げていきたい。本当に今の延長線上ですよね。夢というのはぽんと掴むのではなくて、毎日の積み重ねであり、波があってたまに落ちるときもあるけれど、時間をかけてだんだん目標に近づいていく。これまでもそうやってきたし、今後もいきなりのステップアップというのはないかもしれない。だけど、着実に上がっていきたい。急に上がると落ちるのも早いような気がするけれど、ゆっくりだったらスロープが長い分何かあっても耐えられる。

実は僕も、バレエ団を立て直すのにこんなに時間がかかるとは想像していなかったし、もう少し早くできると思っていたんです。でも今となってはそれがかえって良くて、いろいろなことがあったからこそ、ちょっとやそっとのことじゃダメにならない。カンパニーがあって、それを支えるバレエ学校もある。でも今の人たちは、“一夜にして”というものを目指す。みんな時間をかけたくないんでしょうね。

今回の公演もそうですが、僕がアメリカでつくってきた作品をみなさんに踊ってもらうことで、こういうことも不可能ではないんだよという道を切り開いてあげられたらなと思う。海外で踊って帰って来て『海賊』のパ・ド・ドゥを披露して終わりというのではなくて、海外で自分の作品を上演して、それをまた日本で上演する。こういうことも可能なんだと、将来に向かって実例をつくっていくことが必要なんじゃないかと思っています。

 

2015年公演より『La Vie』©瀬戸秀美

2015年公演より『La Vie』©瀬戸秀美

 

 

-バレエ