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笠井叡 舞踏をはじめて <18>

大野一雄に学び、土方巽と交流を持ち、“舞踏”という言葉を生んだ笠井叡さん。その半生と自身の舞踏を語ります。

シュツットガルト・オイリュトミウム入学時35歳。高校を卒業したての若い同級生たちに囲まれ、オイリュトミーを基礎から学ぶ。

オイリュトミーの学校はヨーロッパにたくさんあり、なかでも私が入学したシュツットガルト・オイリュトミウムは有名な学校のひとつでした。日本でいうところの専門学校で、ヴァルドルフ学校を卒業した人も来れば、ダンスを学びたいと来る人もいたりと、いろいろな人がいろいろな動機で入学します。学校は四年制で、オイリュトミーのほかにも、歴史や数学、物理など、一般課目を含めてありとあらゆる勉強をします。

入学には筆記試験があって、自分自身についての論文と、入学の動機を書いて提出する必要があります。ただ実のところ、私はそうした手続きは踏まずに入学しました。当時すでに舞踏はドイツにも知れわたっていて、学校の人たちは私のことも認識してくれていたようです。入学を希望していると伝えたら、まぁいいだろうと受け入れてくれました。

オイリュトミーの学校に入る人たちのうち、オイリュトミーのダンサーを目指す人は1/3くらい。そのほか教育者になりたい人や、治療者を志して入学する人もます。オイリュトミーには治療的な側面があって、目指す人は多いけど、実際治療者になるのは大変です。

オイリュトミーのカウンセリングで重要なのは、薬ではなく言葉の力で治すこと。言葉の持つ意味ではなく、オイリュトミーで使うのは言葉の持っている治療の力。言葉には頭の中の言葉、喉から出て行く言葉、身体の中だけに留まっている声にならない言葉、身体から外に無限に流れ出る言葉の4つがあって、これらを組織的に練習していくと、治療的な言葉を使えるようになる。

ただしそこには問題がひとつあって、言葉の治療力というのは催眠の力と同じなので、相手を催眠状態にする危険がある。一般的に言語治療というのは催眠的な手法を取る傾向があるけれど、オイリュトミーでは絶対に相手を催眠の方向に誘導してはいけないとされています。なぜかというと、癖になるから。一時的には効果があらわれても、最終的に治療がきかなくなる恐れがある。治療する側はそうではなくても、受ける側はどうしても催眠状態になってしまうので、そこが一番難しい。オイリュトミーでは、治療者として正しいエネルギーを使えるようになるには一生かかるといわれています。

生徒の半分は外国からの留学生で、イギリス、フランス、北欧など、ヨーロッパの人たちがやはり多く、アメリカや遠くメキシコから来ている人もいました。当時のドイツはまだ東と西が分断されていて、命がけで壁を越えて西側に来る人たちがいた時代です。EUが統合されるずっと前の話で、今とは様子も違っていた。学校にも壁を越えて来た人がいて、銃殺になる寸前だったけれど、得意のピアノを演奏して見逃してもらった、ピアノが弾けたから助かった、という話を聞きました。

ダンスというのは一般的に、自分の身体でどういうことができるか、身体が前提としてある。けれどオイリュトミーの場合は、身体が形成される過程の中にもう一度戻し、身体認識をダンスにしていくのが特徴で、それが普通のダンスとの大きな違い。どうして人間は受胎したのか、胎児の身体はどうだったのか、なぜ人間は身体を持ったのかという、身体が生まれるまでのプロセス、意識の中からはじまるのがオイリュトミー。だから振付も一般的なそれとは全く違います。

オイリュトミーはシュタイナーの輪廻転生の考えに基づいている、というのが大前提。一度だけこの世に生きる身体論に対して、輪廻転生の考えでは二度生きる。輪廻転生で身体がつくられるときのシュタイナーの考え方として、人間の身体を頭部と首から下の二つにわける。ある人が前世で行った全ての結果、全ての身体は、転生したとき次の人生の頭部になる。首から下は、次の人生でもう一度ゼロからつくり直す部分になる。頭部は前の人生で、今の自分の頭部には前の人生で行ったことの全てがあるという意味です。

頭部を前の人生の身体だと捉えると、前世の手の成果は上顎となり、前世の足の成果は下顎となる。口は前の人生の身体のエッセンスが集中している場所で、生命力が上顎と下顎によってつくられる。口を動かすというのは上顎と下顎を動かすことで、声を出すということは前の人生の身体を使ってそこで踊っているということ。口というのはある意味ダンスの最も根源であるところ。なので口から生まれる言葉の力、発声訓練はオイリュトミーにおいて非常に重要なものになる。

言葉には4つの種類がある。まずひとつは頭の中で話す言葉。これは頭の中で喋ってる限りは人には通じない。それを空気の振動に乗せて声に出すと頭の中の聞こえない言葉が聞こえるようになる。これが二つ目の言葉。声というのは空気の中に発生するから響くものであり、声を真空の中に発生すると声にならない。そこに声はあるけれど、響かせるものがないと声にはならない。その両者、頭の中の声と真空の中の声が同じかというと全然違う。真空の中で喋ると聞こえなくてもその響きはエネルギーになる。エネルギーが生まれる。これが三つ目の言葉。それと同じことを身体なしで行う。身体なしで発声する。これが四つ目の言葉。例えば見るとか聞くというのは感覚器官があるから成り立つ。死ぬというのはその器官を失うことで、亡くなった人に祈りを捧げると感覚器官はないのにそれを聞き取る。死者の持っている耳は全てを聞きとる。それは簡単に言えば心の中の出来事だから、死者はそれを聞いている。感覚器官なしでも死者は聞く。ということは身体なしでも全身で喋ることはできる。これを練習するのがオイリュトミー。

頭の中で考えた概念を人に喋る。喋ると相手も共感してくれる。人と人とを言葉は結びつけてくれる。抽象的な概念が生命のある方向にお互いを結びつける。頭の中の抽象的な言葉と人に喋ったときの違いは大きい。もっと結びつこうとなるとエネルギーでの結びつきになる。これが一般的にはダンスの形態で、そういう意味で言うとダンスは真空の中で発している言葉。オイリットミーにおいては真空発声になった瞬間に人間は互いに結びつくと考える。

オイリュトミーの一番の基礎練習は、歯の声の訓練、唇の声の訓練、舌の声の訓練、口蓋声の訓練で、この4つの発声を徹底的に行います。例えばアエイオウの5つの母音と12の子音はそれぞれ発声が違い、発声練習をすることで、その声の力を全身に流せるようになっていく。オイリュトミーの授業のうち1/3は発声練習に割き、母音の練習と子音の練習をそれぞれ行います。さらに音楽を使い、歌で踊る練習とメロディーで踊る練習をする。方法論が非常にはっきりしています。

オイリュトミーの稽古はまず発声法からはじまります、発声訓練を行い、様式的な練習をして、身体をつくり出していく。オイリュトミーには言葉は意味を伝達するものとして捉えるのではなく、発声することが創造することだというひとつの思想がある。オイリュトミーでは動くこと=ダンスという考えではなく、言葉と身体をどうすり合わせるかがキーワードになる。指揮者のいないオーケストラは演奏ができないように、人間の身体も指揮者がいるかいないかというのは重要です。無限に生まれる動き、その指揮者にあたるものが口であり、口から動きがはじまって、身体全体に広まっていく、という考え方です。

笠井叡 舞踏をはじめて <19> に続く。

 

プロフィール

笠井叡

舞踏家、振付家。1960年代に若くして土方巽、大野一雄と親交を深め、東京を中心に数多くのソロ舞踏公演を行う。1970年代天使館を主宰し、多くの舞踏家を育成する。1979年から1985年ドイツ留学。ルドルフ・シュタイナーの人智学、オイリュトミーを研究。帰国後も舞台活動を行わず、15年間舞踊界から遠ざかっていたが、『セラフィータ』で舞台に復帰。その後国内外で数多くの公演活動を行い、「舞踏のニジンスキー」と称賛を浴びる。代表作『花粉革命』は、世界の各都市で上演された。ベルリン、ローマ、ニューヨーク、アンジェ・フランス国立振付センター等で作品を制作。https://akirakasai.com

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