スターダンサーズ・バレエ団「Dance Speaks 2024」 総監督・小山久美×振付家・森優貴インタビュー!
スターダンサーズ・バレエ団のトリプルビル「Dance Speaks 2024」で、森優貴さんが世界初演作『Traum-夢の中の夢-』を発表されます。森さんを振付家に招いたきっかけは何だったのでしょう。
小山>スターダンサーズ・バレエ団では常に新しい作品にチャレンジしたいという気持ちを持っていて、森さんのことはずっとマークさせてもらっていたんです(笑)。実際のきっかけになったのは、3年前に貞松・浜田バレエ団さんと一緒に取り組んだ『Malasangre』を観に神戸へ行ったときのこと。トリプル・ビルの一作として森さんが振付けした『囚われの国のアリス』を観たのがはじまりでした。
まず作品の構成に惹かれたのと、あとダンサー個々の持ち味が最大限に引き出されているのを感じて。作品に合わせるというより、このダンサーだからこう動かす、というのが見えたというか。私自身もそこを目指したいと思っていたので、すごく魅力を感じたというのがまずひとつ。もうひとつはクラス。森さんが公演前のクラスを教えてらして、ご本人の身体の動きと、動きに対する考え、何を求めているかという部分にすごく惹かれるものがありました。
森>もともとスターダンサーズ・バレエ団って僕の中ではスタイリッシュなイメージ で、レパートリーも先代の太刀川瑠璃子先生のころから日本人がつくり出す作品を常に上演されてきて、『ドラゴンクエスト』があったりもする。『くるみ割り人形』にしても、ピーター・ライト版があれば、鈴木稔さんの作品もある。古典を大切にしながら、つくり直してみたりもする。それができるところはたぶん少ないと思う。だから創作をする上ではいい意味ですごくやりやすいだろうなと思っていましたし、オファーをいただいたときは、ぜひぜひという感じでした。
今回は「Dance Speaks」シリーズの第三弾として上演されます。「Dance Speaks」シリーズのテーマとするものとは?
小山>スターダンサーズ・バレエ団が持つ方向性として、ひとりのダンサーの美しさやテクニックをみせる作品ではなく、何を語るのか、という部分がありました。シリーズとしては三度目ですけど、昔から変わらずこの言葉に私たちの伝えたい部分が凝縮されていて、広義の意味では全ての公演が「Dance Speaks」だと思っています。あと「Dance Speaks」というネーミングがわかりやすかったようで、最近ご好評いただいています。
森>シンプルですごくいいタイトルだと思います。やっぱり何を語るか、ですよね。僕たちは何を語らそうとするか。振り返れば結局それをずっとやってきたわけですから。
小山>ダンサーたちに演じてほしいという想いがあって、ずっとそこを目指してきました。でも私自身もそうだったからわかるけど、みんなどうしてもテクニックを追い求めるんですよね。脚の高さだったり、回る回数だったり、空中での姿勢だったり。10年、20年とテクニックを追い求めてきて、日々少しでもよくしようとしてる。もちろんそこはこだわらなくてはならない部分ではあるけれど、でもその壁を登った先に演じるという部分がある。それを忘れてテクニックだけになってほしくない。同時にそれがテクニックが弱いことの逃げであってもいけないんですけど。
森>僕も幼少時代からずっと技術を必死にやってきましたけど、それはあくまでも表現手段なんですよね。どうしてこの動きをするかというものを、感情的、思考的に理解できた上で、きっかけがあって発動してしまった動きが技術で表現されていく。その順番を通らないとすごく無機質なものになってしまう。ダンサーにそれをわかってほしくて、僕もつくるとき全力で見せるようにはしています。バレエのステップの中でも、動機、きっかけがあってのこのパだというのをわかってもらいたい。そうでないと数式でしかないから。ただ古典バレエは形式美をすごく重視する。バレエダンサーはものすごく訓練されてきているからこそ、やっぱり難しい。
小山>頭ではきっとそのテクニックはあくまでも使うべき手段であるということはわかっているんだと思うんです。でもバレエのルールだからこうやる、というのが身についてしまっている。それにわかっていても、その気づき方というのは年代やキャリアによっても変わってくるでしょう。
森>訓練されているぶん、身体が勝手に動いてしまうんですよね。でも役者さんと仕事をするとそこは大変です。例えば「上手から下手に移動してください」というと、「え、どうして?」となる。「立ち上がってください」というと、また「どうして?」となる。どうしてそうなるのかという動機をわたさないと感情の起伏がないから動けない。でもダンサーだと、グリッサード、グランパディシャとパをわたせば何も考えずとも動けてしまう。そういうところを緻密にやっていけば、それこそDance Speaksになると思うんですけど。
小山>私自身、こういう立場になってより演じることを考えるようになってきました。森さんもやはり同じようなことを考えていて、お願いした後でさらに共有感が増しましたね。やっぱりご一緒できてよかったし、この結果がどう出てくるか楽しみです。
新作の創作にあたり、小山さんからはどんなオファーを?
小山>『ワルプルギスの夜』の7年ぶりの再演があり、『Malasangre』の再演があり、トリプル・ビルの最後を締めくくる作品にしたい。そのバランスを踏まえつつ、劇場に合うものをという観点からお願いしています。なんでも好きなものをつくってくださいという方が良かったのかもしれないけれど、最初から制約をわたしてしまったかもしれません。
森>今回はトリプル・ビルということで、まず『ワルプルギスの夜』と『Malasangre』の時間の尺を把握した上で、自分がつくるべき作品の尺を考えていきました。休憩も挟んだ公演の全体の構成を考えると、20分では少なすぎる、40分は絶対に必要だなと割り出して。やるべきことが明確になるから、僕としては制約をもらえる方がすごくありがたいですね。
小山>実は私も先代の太刀川のやり方をはたで見ていたときから、何でも自由にというのは振付家にとってかえって難しく、意外と制約があった方がいいものが生まれていた感覚はありました。だから希望を伝えるのはそう悪いことではないだろうとは思っていたんです。でもはじめましての方にどこまでお伝えしていいのかという気持ちもあって。
森>僕自身ドイツで芸術監督をしていたときは、外部から招聘する振付家にはもっと厳しい条件をわたしてました。例えば今回はダブル・ビルでオーケストラはなし、ステージの図面を送り、衣裳の予算はこれだけ、ダンサーは何人ですという感じで、振付家にとってはちょっと待ってというくらいの情報量です。というのも、劇場のプログラムを発表するために、上演作品は評議会を通して1年半前には全て決まっているから。だから日本の方がそういう面では自由ですね。でも自由ではあるけれど、そのぶん全部自分で抱えていくことになる。
小山>最近ではデヴィッド・ビントレーのトリプル・ビルをやりましたけど、彼の場合は美術さんが別にいて、チームでいろいろ決めていました。それに比べると、森さんは全体をおひとりで考えるから、ちょっと新鮮なところもありますね。
森>やっぱりチームがいないから、ひとりでやるしかないんですよね。実際の創作は、まず音楽を決めて、美術や衣裳も全部ひとりで決めて、全体の構成を考えていきます。ダンサーとのリハーサルはもう最後の作業になりますね。
作品の題材にエドガー・アラン・ポーの詩『A Dream Within a Dream(夢の又夢)』を用いていますが、そこに着目した理由とは?
森>最初はどちらかというと踊って見せるだけの作品にしようと思っていたんです。というのも、最近ストーリー性をもってつくるということに少し飽きがきていたんですよね。ただダンサーを選んだ時点で、もっと個性が出た方がいいだろうと思うようになってきて。それに『ワルプルギスの夜』が抽象で、『Malasangre』も抽象的。そうなると抽象的な表現だとしても、ちょっとストーリー性がある方がいい。そのタイミングでポーの詩にたまたまたどり着いた。もともと夢をテーマにした作品を何かしらつくりたいというのが僕の中にあって、じゃあこれを着想点にしようと考えました。
小山>夢というのは早くから言っていましたよね。
森>ポーがひとりの女性を失う。けれどもしかするとそれは夢だったのか、それまでのポーの生きてきた時間さえも夢だったのか……。生きていくこと、生と死の境界線はどこにあるのか。それは僕自身がもう無意識になっているほど常に抱えているテーマであり、そこにポーの詩が一致した。その時点で感覚的にこれでいこうと決めました。いつも感覚的なので、間違ってないですね。死生観は僕の作品につきまといます。たぶん自分自身、死というものがすごく怖いんでしょうね。だから人間を描こうとしたら必ず生と死に行きついてしまう。
小山>それが唯一の共通事項ですものね。愛だって死と隣り合わせだし。
森>この詩はポーの最晩年の作品で、彼は40歳と若くして亡くなってしまう。自分自身の今までの人生さえも疑念に移るくらい大切な存在を失った。それを自分の死が間近にあることを察しながら書いたという事実が、ものすごく僕はきれいだなと思って。だからポーの詩に一語一句寄り添っていくわけではなくて、着想点としてポーの詩から受けた気持ちが作品に反映されていく形です。
キャストは団内オーディションで決めたそうですね。
森>まず全員集めてコンビネーションをしてもらいました。そこでダンサーそれぞれのコーディネーションや音楽性、ニュアンスの取り方、どれくらいの受信力があるかを見ていきました。さらに男女に別れて、ジャンプや回転、ラインの出し方など技術面を見ています。
小山>オーディションの決断が早くてびっくりしました。結構な人数がいるし、なかにはスロースターターなダンサーもいる。「もうちょっと粘って見てみたらどうですか?」と言っても、「もう大丈夫です」と言われて。キャストはもう全て森さんにお任せしています。なので、なるほどというところもあれば、へーと思ったところもありました。
森>キーパーソンは2人いて、まず夢の中へ旅をして、また戻ってくる、ひとりの男としての象徴が友杉洋之さん。あと白い女という役が榎本文さん。ただ彼らが主演というのではなく、動く量や出ている場面も全員同じくらいの比重になっています。
クリエイションはどのように進めていますか?
森>まず音楽を決めました。今回はフィリップ・グラスやヴォイチェフ・キラールを選んでいます。それをもって、6月に前半のリハーサルに入りました。その時点で3分の1くらいできたでしょうか。そこから時間をおいて、8月に後半のリハーサルに入っています。ただ前半の創作の後、一回スランプに陥って。
小山>え、そうなんですか??
森>何がスランプの原因だったのか……。たぶん具体的すぎた気がします。スターダンサーズ・バレエ団の公式youtube用に収録した動画を見たとき、「音楽を聴きながらダンサーをどう動かすかしか考えてない」と自分で言っていたんですよね。
小山>そのセリフ、確かにありましたね。
森>場面に使うものであったり、表現の仕方や動き方も凝り固まっていたことにそこで気づいたというか。これが背景にあってのこの場面だから、こう見せないといけないとこだわってた。当初はクライマックスに向けてメインとなるひとりの男を中心に周りが動いていく方向で考えていたけれど、そうじゃなくてもいいんだと。どうしてそう凝り固まってたのか、そこで行き詰まっていましたね。
小山>ちょっと苦しんでるんです、とはメールにありましたけど。スタジオでの姿を見ていると、あまりそういう切実な気配がないので。
森>後半のリハーサルがはじまるギリギリまで頭を抱えて悩んでいたので、ちょっとしんどかったですけど。でも彼はこうあるべきだというのが見えてきて、自分の中で新しいルールが見つけられた。突破口が見えたら早かったですね。曲を変えたら、もう全部の結び目がするっとほどけた。時間が空いたことがすごく良かった。たぶんここから先はスランプに陥ることはないはず。もう構成は全部できているから、そこにたどり着くためにどうしていくか、というのがこれからの作業。準備した構成表をもとに、とりあえず着実に進行しています。
小山>森さんのリハーサルを見ていると、すごく楽しいんですよね。でもダンサーに対する要求はすごく細かくて、それでいてすごく的確でもある。
森>そうですね。本当に細かい指摘をもう容赦なくしています。
小山>すごく引っ張り出す力があるなというのを見ていて感じます。
森>でもまだ綱は引いている方なんですけどね。
小山>遠慮してるってこと?
森>まだダンサーにとって情報量が多いので、今の時点で言い過ぎたら固まってしまうし、ある程度身体に入ってからにしようと思っています。演者のダンサーたちが余裕を持って噛み砕いていけるよう、託さないといけないから。加えて自分の色をつけていく時間を考えて、そのために諦めることは諦めて、わたすところはわたすようにしています。
小山>そういう目線はやっぱり感じますし、それはダンサーにとってはすごく信頼感につながると思います。
森>自分が年齢を重ねて思うようになったのが、振付家がどれだけこだわっても、どれだけ新しい何かを探求し続けても、結局自分のエゴでしかないということ。もちろんそれは創作者として大事な部分ではある。でも全てを自分の思い通りにしたいなら、自分で舞台に立った方がいい。ダンサーそれぞれプロポーションが違えば、教育環境も違えば、育ってきた歴史も違えば、年齢も違う。いろいろな人が集まって作品をつくるのであって、そこに託さないといけない。例えば自分の中でこの動きはシンプルすぎると思ったとしても、ダンサーが噛み砕いて良く見えればそれがやっぱりベストなんですよね。そこに嘘がない。そう考えるようになってから、あまり動きに関しては以前より準備しなくなりました。準備しても稽古場に来てダンサーを目にすれば変わってしまうから、やっぱりその場の感覚というのは大切です。
小山>オーケストラの指揮者や野球の監督もそうですけど、自分で実践するのではなく人に託す。それは特殊能力ですよね。
森>僕は全体的な構成さえしっかりしていればいい。何分何秒から何分何秒はこの人がこれをしていて、というのはもう全部でき上がっているから。もしダンサーが応えてくれなかったとしても、そこを見極めるのは結構早い方だと思います。このダンサーはもうちょっと消化をしたいから待った方がいいのか、もう最初から色味が合わないものなのか、それは瞬間的に見極めるようにはしていますし、そこでこれじゃダメだと思ったらもうすぐに変えますね。
リハーサル当初と比べて、ダンサーとの関係性に変化を感じる部分はありますか?
森>関係性は良くなることしかないですね。毎日稽古を重ねて時間を過ごしていけばいくほど、この人はどういう人なんだろうという互いのお試し期間はだんだんなくなってくるから。踊り以外のちょっとしたことでも性格的にわかってくることもあるし、それが自然と反映されるところもあって。
小山>最初からもう心を掴んでいたように見えますけどね。
森>そうかな。ただやっぱり前に立つ人間が土足で踏み入らないと、みんなも心を開いてくれないところがあったりするので、遠慮しすぎてもよくないなとは思っています。
小山>バレエ団にとってはすごくありがたいことだなと思います。やっぱり日本人ってちょっとおとなしいですよね。自分を出していいのかな、と待ってしまう。バレエ団の中でも、自分のポジションはこの辺だからこれ以上は、と考えてしまいがち。うちのバレエ団はそういうのはないのよ、とは言っても、どうしてもそうなってしまう。今までの環境からすると、それを100%なくせというのはたぶん無理なこと。でも森さんのリハーサルをみていると、オープンにしていいんだという雰囲気は最初からあったと思いますし、実際そうしているダンサーはいるのではないでしょうか。
森さんの創作現場を経験することで、ダンサーたちにも何か影響があるのでは?
小山>そこは期待するところです。バレエ団の立ち上げのころは毎回のように新しい作品をつくり続けていましたが、私が引き継いでからは、安全路線も取り入れながら、作品のバランスを模索してきました。ただ近年はかつて怖いものなしでやっていたあのころのチャレンジが減ってきたという感覚があって。安全路線を選んでいたことで、やっぱりダンサーもクリエイションに慣れていない状況にもなってしまった。この現状を補強したいという気持ちもあります。こういう機会がなければダンサーもやっぱり学べない。ダンサーにとってすごく大きな経験値になると思います。それはリハーサルを見ているだけでもすごくわかりますね。
森>それならよかった。
小山>やっぱり固定観念を崩していく作業というのは要所要所で必要です。今までこれがいいと思っていたけれど、そうではないもの、違うのもありなんだっていう気づきが日々どれだけあるか。それはとても大事だと思う。実際キャストに入っている子たちは、振付をもらった時点で変わっているはず。日々朝集まってレッスンをするときも、その振付のために準備をしないといけない。毎日少しずつ取り組み方が変わってくるでしょうし、そういう気づきに繋がればいいなと思います。またそれはクラシック・バレエの方にも必ずいかされていくでしょう。
森>コンテンポラリーやモダンとなると、バレエダンサーは別物だと考えて、日々使っているものを使わず取り組もうとしちゃうところもあるんですよね。ただクラシックの技術を訓練しているダンサーだからこそ、それを保持しつつクオリティを上げていくことが大切になると思う。
小山>ダンサーには染みついたバレエのルールがあって、考えなくてもできるけど、そこを考えはじめたらやっぱり強い。ルールの中にいる安心感から見落とす部分っていっぱいあるけれど、そこを見落とさないでいるといろいろな意味で気づきがある。単純に身体のこともそうだし、空間のつなぎめだったり、音のつなぎめだったり、すごく勉強になると思います。
本作が最終的に目指すものとは?
森>ポーの詩は喪失からはじまり、自分自身の人生の終わりで円は閉じるけど、それがやっぱり救いになればいいなと思う。どんな形であろうが、絶望ではなく救いであってほしい。じゃあ希望なのかというと、提示はしない。絶望ではなく、希望でもない。ただ救いになってほしいというのがある。ここ数年、救いというのはずっとテーマになっていて、作品をつくることで自分が救われている部分もあります。ただ何かしらで救われるというのは必要だとすごく思うけど、それが個々にとってどういう救われ方なのかはこちらは計算できない。だってお客さまがポーの詩を読んだ上で見てくださるのかわからないし、お客さまがどういう心理状況で当日劇場に足を運んで見てくださるのかわからない。もういろいろなことがわからないわけですから。
小山>お客さまによって受け止め方は自由でいい?
森>全然構いません。例えばこれは悲しみの物語なんだって受け止めてもらってもいいし、これが救いなんだでもいい。僕自身の中でこうというものはあるけれど、こう思ってくださいねというのはないですね。それは逃げではなくて、結局無理だから。客席に座っている段階で個々のアンテナを完全に開いてもらわないと難しい。公演って、お客さまの状態も大切になる。相互関係だと思います。ビデオなら何度も見返せるけれど、生の舞台って見た瞬間にもう過去になってしまう。だからこそ、ダンサーも生きててほしい。
小山>教育なのか、時代なのか、自分がこう感じるという意見が出てきにくい状況がありますよね。どう理解したらいいのか教えてほしいと、全部委ねてしまう。ダンサーもそう。だから指示を待っちゃう。今の日本の社会の中で、想像性がどんどん減ってきているような気がします。そもそも私たちの受けた教育だって、正しいか正しくないかという理解を教えられてきて、何を見てもこう理解するのが正しいと判断してしまう。
森>結局ルールばかりつくられて、正しいか正しくないかで判断することになる。それは格差や差別にもつながると思う。
小山>そうですよね。でもバレエは芸術だからこそ、どう感じるかという、主体性を引き出すひとつのきっかけになりうると思っていて。それがバレエでできることであり、もっと大きく言えば芸術家の役割のひとつはそこだと思うんです。ただお客さまも好きに感じていいんですよと言うと、そこが引く材料になりがちで、ほとんどの方はどう見たらいいか知りたいという。上演前にトークをしますが、本来は一切必要のないことかもしれません。でも現状はやっぱり求められいて。なので正解を教えるようなトークではなく、あくまでも助けになるものにしたい。それがあったから想像力が広がって、こういう受け止め方ができた、というものを目指してはいます。
森>よくコンテンポラリーってよくわからないといわれるけれど、僕は古典バレエの方が理解するのが難しいと思っていて。古典バレエの場合、マイムだったり、ある程度形式の中にあるルールを知っていないといけないから。だから逆にこういう振付家のイメージでつくっていく作品というのは伝わりやすいと僕は思っているんですけど。
小山>最近はだんだん舞踊に関係ない一般の方たちの興味が少しずつ増えているという感覚はあるんですよね。そういう喜びを見いだそう、楽しもうとされてる方が少しずつ増えてるような気はしていて。心や感性が動くことの喜びや楽しさを地道に伝えていきたいと思っています。今回この場で新しく誕生する作品に立ち会っていただき、それから個性の異なる3つの作品の違いを楽しんでいただけたらと。日常の生活にはないものがここにあるので、ぜひ劇場に足を運んでいただけたらと思います。