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Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(2)

2004年4月に発足したNoismの結成メンバーであり、舞踊家であり、国際活動部門芸術監督を務める井関佐和子さん。創作の模様から楽屋話まで、Noismと共に歩んだ20年の道程と、全作品を語ります。

「black ice」
『black wind』
演出振付:金森穣
出演:青木尚哉、井関佐和子、木下佳子、佐藤菜美、島地保武、清家悠圭、高橋聡子、辻本知彦、平原慎太郎、松室美香、中野綾子(研修生)
『black ice』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、佐藤菜美、島地保武、平原慎太郎、松室美香
『black garden』
演出振付:金森穣
出演:青木尚哉、井関佐和子、木下佳子、佐藤菜美、島地保武、清家悠圭、高橋聡子、辻本知彦、平原慎太郎、松室美香、中野綾子(研修生)、金森穣
初演:2004年10月28日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール(滋賀)、山口情報芸術センター(山口)、宮崎県立芸術劇場(宮崎)、高知県立美術館(高知)、可児市文化創造センター(岐阜)、新国立劇場(東京)、まつもと市民芸術館(長野)

Noism第2弾公演は「black ice」。第1弾『SHIKAKU』と取り組み方に何か変化はありましたか?

 創作がはじまったのは夏休み明けでした。私自身は夏休み中に穣さんと別々のマンションで暮らしはじめて、ちょっと落ち着いてきたころです。メンバーも休みを経てスッキリした気分で帰ってきました。“よし、『SHIKAKU』の二の舞にはならないぞ!”とみんな考えていたと思います。でも初日から穣さんが厳しくものすごく怖かった。誰も気を抜いてはいけなかったんです。

 穣さんはとにかく細かいことに執着し、できないと理由をとことん突き詰めてきて、納得するまで終わらない。何かに怒るというより、標準が常に怖い人。相変わらず怖いまま緊張感マックスの創作がはじまりました。

『black garden』photo: Kishin Shinoyama

「black ice」は『black ice』『black wind』『black garden』の3部作で構成されています。なかでも『black ice』は実験的な作品でした。

 舞台上にひし形のオブジェがあり、私たちの足跡が映し出されます。私たちが舞台上にあるオブジェの影の中を走ると、そこに足跡がタタタッと映る。クラブハウスを一日借り切り、足跡を収録しています。脚立を並べてアクリルの板を渡し、アクリルの上にオイルのようなものを敷き詰め、私たちがその上を滑りながら踊り、下から映像を撮っていきました。かなり滑る状態で、音に完全に合わせなければいけなかったので、何度も何度も撮り直しをして大変でした。

 メンバーは10人いたのに、穣さんが『black ice』に選んだキャストは5人だけ。カンパニーはまだ若く、異様な空気が生まれました。選ばれた者の、創作での自分の全てをアピールするエネルギー。選ばれなかった者の、いつでも隙を狙うエネルギー。みんなライバル同士だったので、スタジオでのエネルギーがすごかったのを覚えています。

『black ice』photo: Kishin Shinoyama

『black wind』は抽象的な作品でした。コンセプトにあったものとは?

 舞台上に1本のロープがあり、背後には英語のテキストが何枚も貼り付けてある。向こうの世界とこちらの世界があって、それらがやがて入り乱れていくーー。舞台にはいくつかの要素がちりばめられていたけれど、それらが何を意味するのか、穣さんから説明はありません。私自身20代半ばで、意図を読み取ろうなど、深いことを考える余裕もない状態でした。考えるより稽古しろ、身体を動かせ、という時期です。今の若い子たちを見ていると、概念に引っ張られすぎる部分がある。それも大切なことだけど、気づいたらそこに到達していた、というのは重要です。

それぞれに持ち場があって、それぞれの特色をいかした作品でした。穣さんも『SHIKAKU』を経て、「この舞踊家に合うものを」とそれぞれにつくっていったのだと思います。踊り以前の、シンプルな所作や仕草を穣さんが個々に与えていった。それによりその人の個性が浮かび上がり、面白くなっていきます。

 ただ私には、他の人に与えられたタスクや指示がやたらとうらやましく思えてしょうがなかった。たぶん嫉妬したのでしょう。自分も同じように穣さんから与えられはするのだけれど、自分のことってあまりわからないものだから。

『black wind』photo: Kishin Shinoyama

『black garden』は美術衣裳もあいまって独創的な作品でした。

 『black garden』はインプロを取り入れています。インプロは他の作品でも使っていて、『SHIKAKU』や『Nameless Hands―人形の家』にもインプロからつくられたシーンが出てきます。ただ穣さんの場合、インプロといってもお題があって、それに基づいて舞踊家が動きを出していく。単純に自由に動くというものではなく、ある種のルールに基づいているからこそ、舞踊家の本質的な動きや感情が生まれるのだと思います。そこから穣さんがピックアップして、構成していきます。そういう意味では、ワークショップをしている感じでしょうか。最終的にほとんど振りになっています。

 衝撃だったのが中越地震。『black garden』の通し中で、私たち舞踊家は舞台上にいるときでした。でも舞台は暗闇に包まれていて、音がガンガン鳴り響いている。すごく揺れていたはずだけど、私たちは気づかずにいたんです。

 客席で見ていた穣さんが「逃げろ!」とマイクで叫んだけれど、私たちは装置の裏に隠れている場面で、何を言われているのかよくわからない。「穣さん、逃げろって言っている?」なんて言い合って、でも間違えたら怖いから、ちらっと装置の陰から覗いていた。また穣さんが「逃げろ!」と叫び、そこでみんな「あ、やばい」と慌てて動き出した感じです。

 私はそのとき辻本知彦に肩車をされている最中で、「トモ、おろして!」と言ったけど、彼は私を担いだまま固まっちゃったんです。そのままの状態で舞台から逃げ出し、客席を肩車のまま走っている映像が残っていました。みんな無事ではあったけど、劇場に点検が入るということで、その日の稽古は中止になりました。

『black garden』photo: Kishin Shinoyama

「black ice」は全国8ヵ所を巡る一大ツアーとなりました。特に想い出深いツアー先は?

 ツアーはNoismがはじまる前から穣さんにオファーがあったものでした。ツアー先でそれぞれ1週間ほど滞在期間があり、その場その場でつくりなおす、という前提があった。助成金が降りたおかげで、余裕のあるツアーができました。実際に1週間滞在して、つくりなおして、を各地で繰り返しています。日本の舞踊界がバブルだった時代です。それもせいぜい2004年〜2005年まで。共同製作でこれだけの劇場が集結するというのは、今は時代的にありえない。Noismで一番贅沢なツアーだったと思います。

 忘れられないのが高知ツアー。穣さんが30歳になるタイミングでした。誕生日プレゼントを何にしようかみんなで話し合い、映画を撮ろうということになりました。もちろん穣さんには秘密です。

 ツアー先の各地で穣さんのいない隙間時間を見計らっては、稽古の合間に撮影をしていきました。映画の題材は穣さんの半生で、辻本知彦が穣さんのお父さんでピンポンパン体操のお兄さん役、高橋聡子がベジャールさん役、平原慎太郎が当時のりゅーとぴあの支配人、島地保武が井関佐和子役、私は穣さんの昔のマネージャー役と、みんなそれぞれ役を演じています。穣さんがダンスをはじめた小さいころから、ヨーロッパにわたり、ベジャールと出会ってーーと、これまでの半生を再現して、それを美術を手がけていた高嶺格さんが編集してくれました。

 最高の映像ができました。高知の私の実家でお披露目会をしています。みんなで「穣さん、おめでとう!」と、サプライズのお祝いです。

 穣さん、すごくよろこんでいましたね。でも「一瞬、何やってんだお前ら? と思った」とも言っていたけど。確かにそう思いますよね。相変わらず穣さんは厳しいままで、みんな毎日毎日怒られつつ、ハードな稽古の合間をぬい、結構な時間を費やして撮影していたわけだから。

 本当に面白かった。まだ一年目で、あのころのメンバーは遊び仲間であり、みんなライバルという意識が強くありました。

『black ice』photo: Kishin Shinoyama

『untitled』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、佐藤菜美、島地保武、平原慎太郎、松室美香
初演:2005年1月7日
会場:Japan Society(ニューヨーク・アメリカ)、Maison de la Culture Frontenacユージン・ミーン劇場(モントリオール・カナダ)

Noism初の海外公演です。

 『black ice』を20分ほどに改訂したのが『untitled』。ニューヨークとカナダで踊りました。ニューヨークはすごく小さい劇場で、スタジオサイズくらい。日本のコンテンポラリー・ダンスがまだ栄えている時代で、私たちのほかに、山崎広太さん、パパ・タラフマラさん、森山開次さんも一緒にツアーで回っています。Noismのメンバーは『black ice』に出ていた5人のみ。だからNoism海外初進出! という感じでもなく、プロジェクトのようなイメージでした。

『black wind』photo: Kishin Shinoyama

 

Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(3)につづく。

 

プロフィール

撮影:松崎典樹

井関 佐和子
Sawako ISEKI

Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督 / Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

Noism

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。https://noism.jp/

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