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Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(5)

2004年4月に発足したNoismの結成メンバーであり、舞踊家であり、国際活動部門芸術監督を務める井関佐和子さん。創作の模様から楽屋話まで、Noismと共に歩んだ20年の道程と、全作品を語ります。

『sense-datum』
演出振付:金森穣
振付:Noism06
出演:青木尚哉、石川勇太、井関佐和子、佐藤菜美、高橋聡子、高原伸子、中野綾子、平原慎太郎、宮河愛一郎、山田勇気、小島理沙(研修生)
初演:2006年5月6日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、Art Theater dB(大阪)、金沢21世紀美術館(石川)、エル・パーク仙台(宮城)、つくばカピオホール(茨城)、静岡県舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」(静岡)

Noism初のスタジオ公演です。

 初演の会場はりゅーとぴあのスタジオB。私たちがいつも稽古をしている場所です。スタジオは奥行きがないので、できることが限られてしまいます。小さい扉が四隅にあるだけで、出ハケも大変です。でも公演回数が多くなるのがスタジオ公演の良さ。このときもりゅーとぴあだけで計8回上演しています。

 スタジオBのキャパは100人くらい。舞台と客席が近いので、目線の先に観客がいることもよくあります。でも踊り手にとっては空間が小さい方が定まりやすい。大きい空間になると向こうに広がっていく感じがあって、対象がなかなか掴みにくいんです。

 「舞台に立つ者は、目に見えている観客に向けて踊るというより、自らが神を特定の場所に定め、その見えない神に向けて身を捧げる巫女のような存在であるべきだ」

 これは鈴木忠志さんに言われた言葉です。実際、ギリシャの古代演劇や歌舞伎には神が座る場所が劇場に存在し、そこに向かい演じ、そこに向けて踊っていたといわれています。巫女のような存在になるというのは、私が人生を賭けて模索し続けていく、大きな課題でもあります。

 鈴木さんに「自分の中で神を定めろ」と言われました。ただ「でもお前は金森がいるから大丈夫だな」とも言われました。多くの対象に広く見せる感覚ではなく、フォーカスを一点に定め持つ方が、集中力が増し、自分の意識との距離ができます。

 その距離というのが非常に重要で、自分の心情、感情と行動が近ければ近いほど、観客の精神の自由を奪ってしまうことになる。同時に距離を保つことで身体的にも精神的にも強靭なものになる。なので、舞台上で神を定める。私にとって、穣さんはそういう存在でもあります。

『sense-datum』はどこか抽象的な作品でした。タイトルの意味するものとは? 

 『sense-datum』とは、皮膚や感覚器官の意味。このときはインプロベースで創作しています。ただインプロってすごく難しいものです。バレエの基礎的概念を覆そうという、ある種の批判性を持ってインプロをはじめたのがウィリアム・フォーサイスでした。でも今はインプロ=何でもありで、安易に使われるようになっている。音が流れて身体を動かせばインプロです、という意識に対して疑問を持ってしまいます。インプロ自体を否定しているわけではありません。今でもインプロの本質を追求し続けている舞踊家は多くいると思いますが、一体その先どこに向かっていくのか、ということが私には感じられないだけ。まだ私が理解し切っていないということです。このときはワークショップを重ね、最終的に全て振付けになっています。

 創作で重要な役割を果たしたのがプラスチックの枝でした。壁に飾るインテリア用のオブジェで、サイズは手のひらより少し大きいくらい。それをいっぱい買ってきて、床に敷き詰め、その上をどうやって歩くか探っていきました。歩きながら声を出してみたりと、もはや舞踏のようです。何しろ枝なので、上を歩くと痛い。皮膚感覚をいかにリアルに身体で感じるか、というリサーチでした。ちなみに枝はポスターにも写っています。

『sense-datum』photo: Kishin Shinoyama

 枝は本番では登場せず、それでいて枝があるかのように歩く。感覚に敏感にならなければいけない作品で、緊張感がずっとありました。歩きは非常に重要であり基本です。どのタイプの歩きをするかによって、身体性が定まってくる。Noismメソッドは歩きだけで8種類あって、そのときどきで使いわけています。

 現在は創作中、舞踊家側から「この瞬間はどの歩きをすればいいですか?」と穣さんに問いかけることがよくあります。これは長年かけてメソッドを確立し、Noismの舞踊家として「歩く」ということがどれだけ重要なことかをみんなわかっているからでしょう。

 狂気じみた作品で、みんな頭に包帯を巻いています。これは包帯に見せかけたもので、くっつくテーピングを使っています。『NINA』をはじめて踊ったときもこのテーピングを足に巻いて踊りました。髪型は包帯に金髪のおかっぱをつけたもので、みんな揃いのカツラをかぶっています。私たち女性陣は毎日カツラにブラシをかけるけど、男性はそういうことに慣れていないから放置してしまう。結果カツラが傷んで、どんどん横に広がり、公演が終わるころにはばさばさです。平原慎太郎と宮河愛一郎のカツラはとりわけひどいものがありました。舞台裏ではいつもそれを見て笑っていましたね。

 私にとって、はじめて降板を味わったツアーでもありました。新潟公演2日目のことです。床に座る振りのとき、お尻をバーンと打ってしまった。激痛が走りました。歯をくいしばって踊ったけれど、痛すぎてカーテンコールには出られませんでした。泣きながら痛い痛いと訴えて、そのまま救急病院へ行き、仙骨の剥離骨折と診断されました。それからツアー中ずっと踊れず、復活したのが最後の静岡公演です。Noismの公演に出演できなかったのはそれが最初で最後です。

 それから5、6年近く痛みに悩まされました。けがのせいで右の腰がちょっと曲がってしまいました。今でも座るとたまに違和感があり、座る振りは気をつけるようにしています。けれど実は剥離骨折ではなかったということが後々わかって、私もびっくりです。仙骨は横から見ると鉤括弧のようになっていて、それを打ったことで曲がってしまった。専門家に言わせると、本来なら打った直後に指をお尻から入れて、がっと戻すのだそうです。でもその処置をしなかったから、どんどん曲がっていったということでした。

『sense-datum』photo: Kishin Shinoyama

 

「TRIPLE VISION」
『Siboney』
振付:稲尾芳文&K.H.稲尾
出演:青木尚哉、井関佐和子、金森穣、佐藤菜美、高原伸子、中野綾子、平原慎太郎、宮河愛一郎、山田勇気
『solo, solo』
振付:大植真太郎
出演:青木尚哉、石川勇太、井関佐和子、金森穣、佐藤菜美、高原伸子、中野綾子、平原慎太郎、宮河愛一郎、山田勇気
『black ice』
演出振付:金森穣
振付:Noism06
出演:青木尚哉、佐藤菜美、中野綾子、平原慎太郎、宮河愛一郎
初演:2006年11月10日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、北上市文化交流センター さくらホール(岩手)、ル テアトル銀座(東京)、滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール(滋賀)

外部振付家招聘企画第2弾で、稲尾芳文&K.H.稲尾と大植真太郎をゲスト振付家に招いています。

 稲尾さんはルードラ・ベジャール・ローザンヌ出身で、穣さんは彼の1年先輩にあたります。私もルードラ出身ですが、年代的に彼らとかぶることはありませんでした。

 私がNDTⅡに入って1年目のとき、夏休みに同僚と一緒にイスラエルへ行ったことがありました。オハッド・ナハリンの稽古を受けにバットシェバのスタジオに行ったら、そこに稲尾さんと穣さんがいた。それが穣さんとのはじめての出会いでした。それ以前に、穣さんとは1度電話で話しています。NDTⅡのオーディションを受けようかどうしようか迷っていたとき、知り合いのつてで穣さんに電話をかけたら、「受けたいなら受ければ?」と冷たく突き放されてしまった。だからイスラエルで穣さんと会ったときは、「あぁ、あのときの……」という感じでしたね。

『black ice ver06』photo: Kishin Shinoyama

 穣さんは「青山バレエフェスティバル」で上演する作品を稲尾さんを含む日本人数名と振付けするということで、イスラエルに来ていたようです。私はたまたまそこに居合わせた形で、みんなでご飯を食べたり、美術館に行ったりと、楽しい時間を過ごしています。稲尾さんとはそれ以来の付き合いで、私にとってはお兄さんのような存在です。

 稲尾さんの作品『Siboney』からはバットシェバの香りがして、有機的、野生的な動きを模索していきました。バットシェバにあこがれていた私はすごくうれしかった。とてもいい作品でした。

『Sibony』photo: Kishin Shinoyama

 大植さんはNDTⅡ時代の同僚です。彼のNDTⅡ最後の年が私の1年目で、1年間一緒に踊りました。彼にはたくさんのことを学びました。あるときキリアンの作品を踊っている私を見て、ただ一言「つま先が汚いよね」と言われ、悔しくて必死に甲を伸ばし、意識するようになりました。率直な意見をもらい、当時はうれしくなかったけれど、今思うと本当に有り難かったですね。

NDT時代に、大植さんの作品を私ともうひとりの男の子の二人で踊ったことがありました。大植さんはそのころからコンタクト・インプロヴィゼーションに興味を持っていたようです。大植さんにひたすらコンタクトをさせられるのだけれど、私は未経験というのもあり、どうしてもできない。稽古は毎晩NDTのリハーサルが終わったあとで、そのたび泣いていましたね。怒られ続けてばかりで、パートナーの男の子が「ちょっと言い過ぎじゃない?」と大植さんに言っていたくらい。苦しかったけれど、あの経験が少なからず今生きていると思います。今の日本の子たちはコンタクトの経験がほとんどなく、ひとりで動くことが多い。バレエの人たちもパ・ド・ドゥはできても、人の力を使って動く、ということはなかなか身体で理解し難いと思います。

 『solo, solo』は作中大きな人形が登場します。これがなかなかいうことをきかなくて大変でした。穣さんも出演していて、ひとつ10kgの重しを振ったりしていましたね。久しぶりに大植さんの振付けを踊って、本質は変わらなかった。求めていることだったり、それがどう変化していくかだったりと、昔と通じるものがありました。

『solo, solo』photo: Kishin Shinoyama

 

Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(6)につづく。

 

プロフィール

撮影:松崎典樹

井関 佐和子
Sawako ISEKI

Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督 / Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

Noism

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。https://noism.jp/

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