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Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(6)

2004年4月に発足したNoismの結成メンバーであり、舞踊家であり、国際活動部門芸術監督を務める井関佐和子さん。創作の模様から楽屋話まで、Noismと共に歩んだ20年の道程と、全作品を語ります。

『PLAY 2 PLAY―干渉する次元』
演出振付:金森穣
振付:Noism07
出演:青木尚哉、石川勇太、井関佐和子、佐藤菜美、高原伸子、中野綾子、平原慎太郎、宮河愛一郎、山田勇気
初演:2007年4月20日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、静岡芸術劇場(静岡)、THEATER1010(東京)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫)

大きな鏡の大きなオブジェが印象的な作品でした。

 鏡のオブジェは田根剛さんのアイデアで、マジックミラーになっているので、時に反対側が見えたり、時に鏡のようになったりと、向こうの世界とこちらの世界の境界線の役割を果たしています。田根さんは『SHIKAKU』以来2度目で、音楽のトン・タッ・アンさんは『NINA』に続いて2度目、衣裳の三原康裕さんは能楽堂以来のタッグでした。穣さんから3人のクリエイターへの要望は特になく、「今彼らが何をつくりたいか」というある意味一番難しい問いが投げかけられました。彼らが集い何をつくるかすごく楽しみだったし、自分自身も20代で一番いいときだったと思います。

 稽古がはじまったときは鏡はまだなく、まずみんなで大きな三角の段ボールをつくり、オブジェのかわりに使っていました。次に鏡の枠だけがきたけれど、スタジオが小さいから入らない。オブジェを使えるようになったのは、舞台稽古に入ってから。当時は舞台が3週間使えたので、そこは助かりました。大きな舞台美術など、実際の空間で動かす必要がある作品をつくる上で、舞台にいられる時間はすごく重要です。

 現在は舞台を使える期間は少し短くなり、2週間になりました。ただこれでも長い方で、日本はもちろん、世界的に見ても稀有な状況です。演出的に、スタジオでは見えないものが、舞台に乗ることで見えてくる。舞踊家にとっては、舞台という空間に身体を適応させ、そこの住人になることができる。空間に住み着くとはそういうことで、一朝一夕では到底辿り着けません。

 この鏡は他の作品にもよく登場します。2013年の『PLAY 2 PLAY』改訂再演はもちろん、『ROMEO&JULIETS』や『Training Piece』でも使ったし、20周年記念公演『Amomentof』ではバーの後ろに置いています。限られた予算の中で、ひとつの作品だけ使用して終わりという使い捨てではなく、新作にも用途が合えば使う。これはやはり演出振付家が常にいることの強みだと思います。

『PLAY 2 PLAY―干渉する次元』photo: Kishin Shinoyama

作品のテーマとは?

 『PLAY 2 PLAY―干渉する次元』はNoismの第2クールが終わるタイミングで、平原慎太郎が退団し、佐藤菜美がバレエミストレスに移行するときでした。当時はメンバー同士がすごく密だったから、辞めていく彼らに対する強い想いが穣さんにあった。私も当時はエモーショナルな部分が舞台と直結していたので、やはり哀しかったですね。

 静岡公演のときのこと、本番前に「頑張ってね」と穣さんにそっと言われ、私は咄嗟に「任せといて!」と返しています。何でそんな風に言ったのか、自分でも戸惑いました。今考えれば、そのとき確固たるものを掴んだのだろうなと思います。たぶん穣さんの中でも、井関佐和子という舞踊家が何か掴みはじめたのを感じたのでしょう。1年目のメンバーはもうほとんどいなくなり、ここから自分がやっていかなければ、という覚悟が私の中で定まったときだったと思います。

『PLAY 2 PLAY―干渉する次元』photo: Kishin Shinoyama

「W-view」
『Waltz』
演出振付:中村恩恵
出演:金森穣、青木尚哉、井関佐和子、宮河愛一郎、山田勇気、藤井泉、中野綾子
『Nin-Siki』
演出振付:安藤洋子
出演:青木尚哉、井関佐和子、高原伸子、山田勇気、堤悠輔、原田みのる、藤井泉、中野綾子、青木枝美
初演:2007年10月5日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、Bunkamuraシアターコクーン(東京)、北九州芸術劇場(福岡)、北上市文化交流センター さくらホール(岩手)、札幌市教育文化会館(北海道)

中村恩恵と安藤洋子をゲスト振付家に招いた外部振付家招聘企画第3弾で、中村恩恵作『Waltz』は舞踊批評家協会新人賞を受賞しています。

 恩恵さんはNDTの大先輩です。当時NDTでは、夜ごとダンサーがスタジオに集まって、みんなでインプロをするというのが流行っていて、そこで恩恵さんと一緒に踊っていたことがありました。NDTⅠもNDTⅡも一緒になって、小さいスタジオを真っ暗にして踊るんです。みんなが身体の模索をしているなか、私は単純にワクワクし、状況に興奮していましたね。

 キャストは恩恵さんが選びました。Noismは人数が多くないので「金森作品では全員出演」ということが多く、外れた人たちは辛かっただろうけど、そういう経験も大切です。常に役がもらえると思ったら違う。Noismではいつもゲスト振付家に「全員使わなくてもいい、使いたい人だけでいいですよ」と言っています。

『Waltz 』photo: Kishin Shinoyama

 恩恵さんは本当に素晴らしい舞踊家で、素晴らしい振付家です。でも3〜4週間と限られた時間で新作をつくるのは簡単なことではありません。恩恵さんには恩恵さんの言葉というものがあり、私たちがその言葉をきちんと理解するのも時間がかかる。こうしてと言われて実際にそうしているつもりでも、それが彼女の求めているものと違ったりする。恩恵さんが何をほっしているのだろうと理解しようとすればするほど、ずれが生じる。すごく苦労したのを覚えています。

 穣さんと二人だけで踊るシーンがありました。公演の直前に私たちは入籍していて、「だからあのパ・ド・ドゥは二人の結婚へのプレゼントです」と、本番のときに恩恵さんがくれたメッセージカードに書いてありました。私たち自身そんなふうに考えていなかったので、そこではじめて知りました。

『Waltz 』photo: Kishin Shinoyama

安藤洋子作は『Nin-Siki』。創作の様子はいかがでしたか?

 洋子さんの創作は、まずワークショップからはじまりました。洋子さんはフォーサイスのところで培ったものがあり、また武道家の日野晃さんの指導を受けていたので、西洋と東洋の身体の使い方も新鮮で、すごく面白かったですね。

 恩恵さんと洋子さん、二人は正反対だけど、たどり着く場所はすごく似ていた。夢の世界という感じ。浮世離れ的で、それはそれで面白い。ただ正直にいうと、当時はあまりお姉さん方の頭の中が理解できずにいた。女性の振付家の作品を踊ったのはこれがはじめてでした。今だったらもう少し足を踏み入れて、彼女たちと対話し、理解できることもある気がします。

『Nin-Siki』photo: Kishin Shinoyama

『NINA―物質化する生け贄(simple ver.)』
演出振付:金森穣
出演:青木尚哉、井関佐和子、佐藤菜美、島地保武、高橋聡子、高原伸子、中野綾子、平原慎太郎、宮河愛一郎、山田勇気
初演:2007年1月10日
会場:Centro Cultural Matucana 100(サンティアゴ・チリ)、Joyce Theater(NY・アメリカ)、The Dance Center of Columbia College Chicago(シカゴ・アメリカ)、SESC Pinheiros(市民劇場)(サンパウロ・ブラジル)、The Meyerhold Centre(モスクワ・ロシア)

『NINA―物質化する生け贄(ver.black)』
演出振付:金森穣
出演:青木尚哉、井関佐和子、高原伸子、宮河愛一郎、山田勇気、原田みのる、藤井泉、中野綾子、青木枝美、櫛田祥光
初演:2008年2月7日
会場:The John F. Kennedy Center for the Performing Arts(ワシントンD.C.・アメリカ)、Power Center of University Musical Society (ミシガン州アナーバー・アメリカ)、LG Arts Center(ソウル・韓国)、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、横浜赤レンガ倉庫1号館(神奈川)、National Chiang Kai-Shek Cultural Cente (台北・台湾)、Maison de la culture du Japon a Paris(パリ・フランス)

『NINA』は海外ツアーにも多く出ています。2007年1月のsimple verが初の海外上演でした。

 Noism作品の中で『NINA』が1番たくさん踊っています。初演のバージョンは白い床で横と背後に黒い幕がたれていて、最後に暗転幕が落ちて終わります。海外ツアーが決まったとき、その幕を持っていくのは大変だということで、袖幕と黒いリノリウムの黒のボックスに空間をつくり変えました。

 まず30時間かけてチリに行き、12時間かけてニューヨークに行って、シカゴに行き、また12時間かけてブラジルに行ってーー。1ヶ月半の長い海外ツアーでした。季節もそれぞれ違います。チリとブラジルは夏で、ニューヨークやシカゴは真冬。シカゴはマイナス20度という極寒です。しかも劇場と外の間はレンガ1枚だけ。衣裳はレオタード1枚です。私たちは出番までレンガに張りつくようにして待機していて、もうみんな震えていましたね。

 ブラジルではちょっとしたトラブルがありました。小道具で使う椅子を木の箱に入れて、バンの上に紐でくくって移動していたら、木の箱が高速道路の真ん中に落ちちゃった。車を止めて、穣さんと山田勇気が急いで拾いに行きました。変な思い出ばかりが記憶に残っています。

 ツアーはまさに苦行でした。だからでしょうか、「あれで佐和子は変わった」と穣さんに言われます。『NINA』は私が27歳のときで、どう踊るか、踊りとは、ということを考えはじめた時期でもありました。ひとつひとつの公演にかける想いが強くなっていったころでした。

『NINA―物質化する生け贄(ver.black)』photo: Kishin Shinoyama

とりわけ想い出深いツアー先はというと?

 韓国のLG Arts Centerです。ツアー最後の公演地でした。実はこのころ、Noismを離れようと考えていました。『PLAY 2 PLAY―干渉する次元』で自信がついて、もっと成長したいと思うようになっていました。初期メンバーがだんだん辞めていき、新しく入ってくるメンバーも増えて、そうなるとまたいちからはじめることになる。ライバルがいなくなった気がして、これじゃダメだと思った。その気持ちを穣さんもわかって、「辞めるか」という話になりました。

 韓国で「これが最後の舞台になるかもしれない」と思ったら、完全にゾーンに入った。あの感覚は強烈でした。自分が自分から離れていって、この舞台で何でもできる、自由を手に入れた、と思えた。そこまでいってしまうと、自分でもハンドリングがきかなくなってきます。言い換えれば、自分の意思とは無関係に事が運ばれていく。なので、ある種の恐怖感もどこかで生まれています。

 ゾーンに入ったときは舞台と客席という境がなくなり、空間自体が一体となる感じです。客観的に見てもやはり違うようで、観客の反応も違います。ゾーンに100%入ったときの舞台はたいてい「よかった」と言われます。LG Arts Centerのときも「すごくよかった」という声をいただきました。

 それ以来、時折ゾーンに入るようになりました。どういうときにそうなるのかはわかりません。なるべくそこにいきたいと思って精神的なトレーニングをし、経験を積み、最近はある種のスイッチが見えるようになってきました。しかし完全なコントロールはまだできず、やはり突然やってきます。

『NINA―物質化する生け贄(ver.black)』photo: Kishin Shinoyama

 『NINA』を最後に海外へ行こうと考えていて、当時のNDTのディレクターとも話をしていました。ただ私はすでに結婚していたし、穣さんのところに戻ってくるというのは前提にあったので、1年間だけということで計画を進めていました。

 そんななか、バレエミストレスの枠に空きが出た。「誰かいないと困る。視点を変えてミストレスになるのもいいんじゃないか」と穣さんに言われて、とりあえずミストレスを1年やってみようと決めた。海外行きの話は立ち消えになりました。実際にバレエミストレスになったのは次の『Nameless Hands―人形の家』の後、2008年9月のことでした。

『NINA―物質化する生け贄(ver.black)』photo: Kishin Shinoyama

 

Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(7)につづく。

 

プロフィール

撮影:松崎典樹

 

井関 佐和子
Sawako ISEKI
Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督 / Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

Noism

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。https://noism.jp/

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