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金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方(2)

昨年末、Noism Company Niigata芸術総監督の金森穣さんが、2027年8月末の任期をもって退任の意向とメディアで発表。同時にNoism継続の署名活動が起こり、動向が見守られてきました。そんななか、新潟市芸術文化振興財団が新芸術監督の公募とNoism Company Niigata事業終了を宣言し、大きな注目を集めています。果たして、Noismの行方は……。

2026年5月13日に、新潟市芸術文化振興財団がりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館のHPに「芸術監督の公募について」と題する記事をアップ(※1)。そこには、令和9年(2027年)9月から活動を開始する芸術監督を【公募】し、それに伴いNoism Company Niigata事業が終了となる旨が記されていました。お二人はこれをどう受け止めましたか。

井関>びっくりしました。内容にびっくりしたのではなく、起こされたアクションにびっくりした。というのも、私たちがそれを知らされたのは副支配人(新年度から事業部長として再任用されたので以下事業部長)からの一斉メールで、18時の終業後1時間も経たないときのことでした。しかもその2分後には同じ内容がHPにアップされていたんです。私自身、公募になるだろうとは半分くらい思っていました。ただ、何の相談もなく、ああいう切り捨てられ方をされたことに憤慨した。

メールには「取り急ぎ、ご連絡いたします」とありました。私たちの提案に対する返答も、ちゃんとした説明もないままです。人として否定されたような気持ちになりました。結局そこが一番の問題だなと感じます。人として、きちんと向き合って対話が全然できない。全てルールや建前で終わってしまって、面と向かって説明をせずにメールで結果だけ伝えて終わらせる。これは酷いと思います。

金森>この対応には、悔しかったし、許せなかった。自分のときは我慢したけれど、佐和子やメンバー、そしてスタッフは返答を待たされていたわけで、本当に酷い対応だと思います。文化政策だの芸術家と行政の関係だのという制度の問題ではなく、人と人のコミュニケーションの問題だから。管理職として、こんな伝え方をしたら職員が傷つくだろうな、という想像力すら働かないってことですよね。

井関>メールがきた時点で、メンバーみんなにLINEしました。これまで22年間、事業部長からメンバー個人宛てにメールが直接送られたことは一度もなかったので、迷惑メールに入っていたメンバーもいて、佐和子さんからLINEが来るまで気づかなかった、という子たちもいました。

金森>そもそも支配人も事業部長も同じ建物にいるのだから、伝えたいのならスタジオに来ればいいだけなのに、あるいは呼んでいただければ事務所に降りていくのに、なんでわざわざメールなのかがわからない。

井関>昨年12月に財団が一方的に終了宣言(※2)をしたときもそうでした。そのときはりゅーとぴあは既に年末年始の休館中でNoismも休暇に入っていましたが、みんなには何の連絡もなく、SNSやHPで突然知って、すごく傷ついた。これはどういうことだと説明会を設けてもらい、支配人と事業部長からは「今後はこういうことがないようにする」と謝罪もされているんです。なのに、今回また同じことが繰り返された。はじめてじゃないから、みんなもよりショックを受けた。

事業部長からメールがきた翌日、みんなで集まってミーティングをしました。私はメールが届いたときよりも、その日の方が辛かったですね。メンバーひとりひとりの言葉を聞いて、胸が痛くなりました。「自分が今まで大切だと思ってきたことは間違っていたのだろうか」「次の公演に向けて頑張ろうと思っていた矢先のことで、明日からどういう気持ちでここにくればいいんだろう」など、踊りで悔しいという次元ではなく、若いメンバーが、人として傷つけられたことが許せなかった。

ここで黙っていたら自分たちの尊厳は守れないと思い、そのまま全員で事務所に行きました。支配人と事業部長のお二人に、なぜこのような対応になったのか説明をしてくださいと言ったけど、何回聞いても「少しでも早くお伝えしたかったからメールを送った」の一点張り。対話にならず、後日メンバーとスタッフで、財団の理事長宛てに抗議文を書きました。

そもそもの発端は、「2期10年で辞めざるをえないレジデンシャル制度」をはじめ、ままならない現状に業を煮やした金森さんが、「これらの要望を受け入れてもらえないのなら芸術監督を退任する」と発表したのがはじまりでした。それを受け、財団が2025年12月29日に「金森監督への感謝と、そのレガシーを引き継いでいく決意を込めて」(※2)と題した文面をHPにアップ。「金森監督が率いるNoism Company Niigataの活動は令和9(2027)年8月末をもって終了する」と突然発表し、騒動となりました。

金森>自分は辞めることを決めたけれど、もちろん辞めたいと思っていたわけじゃない。何度も何度も支配人と事業部長と交渉してきて、それでも要望がひとつも受け入れてもらえない、もう限界だから辞めますと言った。そうしたら、市民の中から、辞めたらダメだと応援してくれる人たちが動いてくださった。それが議会にまで取り上げられ、会派を超えて何人もの議員の方々が、レジデンシャル制度の意義や新潟市の文化政策そのものを問うような問題提起をしてくれた。自分としては、理解されなかった要求の数々が、もう一度議論の俎上に上がるかもしれない、まだ議論してくれるのかと期待したんです。

すると支配人から2月25日にいきなり電話がかかってきて、「金森さんとの交渉は終わっています」と言われた。これも終業後で、どうしてそのタイミングなのかがわからない。翌日また劇場に行くわけだし、そこで直接説明してくれてもいいんじゃないですかと言ったら、「もうこれは確定なので、以上です」と、完全に一方的な通達でした。これを受けて私は見切りをつけましたが、メンバーとスタッフが話し合い、「これまでNoismで積み重ねてきたことを継続・発展させていくためには、佐和子に次期芸術監督をお願いするしかない」と考えて、佐和子にお願いに来た。

井関>私自身、「芸術監督をやってくれないか」と言われても、最初は正直後ろ向きでした。ただ若いメンバーのことを考えたとき、人生の先輩として彼らの未来を守りたいという気持ちがあって。彼らに何か残せるのなら、数年は自分が芸術監督を引き受けることで、できることがあるかもしれないと思ったんです。彼らに残せるものをちゃんと見つけて、それで去っていこうと。

3月頭に、スタッフから財団へNoismメンバー・スタッフの総意として「井関佐和子を次期芸術監督に」という案を伝え、財団内で検討されている状態でした。その後4月1日に、支配人と事業部長のお二人と私も直接会って話しています。「次期芸術監督は公募する方向で考えているのか、あるいは井関佐和子を芸術監督としてNoismを継続していこうと考えているのか」と聞いたら、「まだ何も決まってない」ということでした。公の組織というのは、何事も方針を決めるのに本当に時間がかかります。でもいつまでも待っていることはできません。Noismがなくなればメンバーもスタッフも無職になるのだから、準備も必要です。

穣さんと私はその後しばらく『かぐや姫』のリハーサルのために東京バレエ団へ行くことになっていたので、じゃあ5月8日までに方針を決めてもらい、帰ってきたらすぐ話しましょうということになりました。すると東京に行っている間にメールが来て、ゴールデンウィーク中に財団内で話し合って結論を出すから、5月14日にミーティングをしたいと言われました。ゴールデンウィーク中に話し合いをするのであれば、当初の予定通り8日には話せるはずです。なぜ14日まで待たなければいけないのか、その理由を聞かせて欲しいと伝えましたが、何の音沙汰もないままでした。そして、5月13日の夜に突然きた一斉メールと、その数分後のHPでの公表です。私のところには、この公開情報しか伝えられることはないので、明日(14日)のミーティングはなしにしてください、と連絡がきました。

金森>きちんと財団とコミュニケーションを取ってこなかったからこういうことになったんだ、と言う方もいるけれど、芸術監督継続の件については去年だけでも9回ミーティングをしているんです。私自身、支配人も事業部長もNoismを続けていきたいと考えている、理解してくれていると信じていたから、会議を重ねてきた。だけど何回話しても、結論は待たされ、最終的に私の提案は何も通らなかった。今すぐには変えられなくても、将来的にこうして行けるように動きましょうとか、そういう話にもならなかった。理解してくれているはずの、この方たちでも変えられない、これが新潟市とりゅーとぴあの限界なんだと思って、辞めるという決断をした。でも退任意向を発表してからのこの半年の彼らの振る舞いを見ていたら、この方たちとだけ議論を続けてきたことがどれほど無駄で、どれだけ不毛だったかということを改めて認識しました。

りゅーとぴあという劇場の中でのことは、支配人と事業部長が全て責任を負っているというのだから、二人がしっかり方針を決めればいいと思うところだけど、財団には理事会があって、物ごとは理事会で決まる。理事会にしても、勝手に決めることはできず、新潟市の意見も伺わなければいけない。けれど自分は支配人と事業部長の二人としか話せず、その二人も上が決めたことをただ伝達するだけ。だから、支配人と事業部長が理事会や市とこれまでどういう話をしてきて、今もどういう方向で話しているのか、自分たちは全くわからないんです。

「金森さんの意向を尊重」という理由ではなく、なぜNoism Company Niigata事業を終了するのか。そして、この先芸術監督を新たに公募するにしても、誰が責任を持って、どういう枠組みで、どういう振付家を呼ぶのか。全く透明性もないし、説明責任も果たせているとは言えないこの財団のガバナンスは問題だと思います。同じ劇場で働いている財団の職員の方々でさえも、Noismやレジデンシャル制度の次の芸術監督選定がどうなっているかは新聞等の報道で知るような状況ですから。

財団の発表に先駆け、金森さん個人として、5月9日に市民説明会を開催しています。反響は大きく、第2回も考えているというお話でしたが。

金森>あれはやってよかったですね。報道だけだとどうしても誤解もあるから。金森穣が何を思っているのか、きちんと自分の言葉で説明したかった。ただ疲れましたね(笑)。みなさんがいろいろ質問してくれて、一部と二部で計6時間半くらい話しています。

Noismを観てくださっている方、応援してくださっている方たちが、辞めないでほしいと言ってくださる。それは100も承知の上で、自分は自分の首を切った。そこまでしないと訴えられないことがあったから、ごめんと思って切った。みなさんの想いには感謝をしているけれど、それによって自分の心のありようが変わることはない。みなさんがそんなに想ってくれているんだったら……、という感じではない。これ以上無理なんです、なぜなら、ということを自分の口で伝えました。

このときには第2回の開催も考えていたけれど、急点直下で財団が13日に公募を発表した。だから説明会はあれが最初で最後になるでしょう。

今年3月、お二人で一般社団法人NEMUSPORTA(ネムスポルタ)を設立されています。

金森>数年前に一度、株式会社を立ち上げようとしたことがありました。今はスタッフもメンバーも個人事業主として財団と契約を交わしていますが、彼らを法人所属にして、法人が財団から委託を受けるのはどうだろうと考えたんです。ただ私は、この国の公共劇場できちんと専門家が雇用されて創作活動を行い、地方都市から独自の芸術文化を発信していくことを目指してNoismを率いてきましたから、舞踊家もスタッフも「劇場の中の職員である」ことが重要でした。法人設立はその趣旨に反するところがあるから、ずっと踏みとどまってきました。けれど、20年経っても何も変わらない、劇場内雇用を諦めないと、彼らの福利厚生を整えてあげられないと思ったんです。ただ今回のことで覚悟が決まって、このタイミングでつくるしかないと考えました。

井関>法人を立ち上げた時点では、まだりゅーとぴあの専属舞踊団としてNoismが続くかもしれない可能性もあったから、とりあえず私と穣さんだけでなんとかしていかなければという想いがありました。来年以降、自分たちが活動していく上で、助成金やいろいろなことを考えると法人が必要だろう、というくらいの感覚でした。でも結局Noism Company Niigataは終了しますと財団に宣言された。それでネガティブな気持ちを持ち続けるより、希望をみなさんにも持ってもらいたいと、穣さんが「りゅーとぴあの事業としてのNoismは終了するけれど、Noismは継続するよ」とみんなに伝えました。

金森>とはいえ、予算繰りができているわけでも、スポンサーがついているわけでもなく、みんなをちゃんと雇用できるだけの財力が今はない。何の保証もない。最終的には、すごく小さなプロジェクトベースのカンパニーになってしまうかもしれない。それでも何かの可能性として、とりあえず器をつくってしまおうと考えました。今までNoismを応援してくださった方たちや、これから応援したいと思ってくださる方や企業の受け皿にもなれるかもしれない。Noismをネムスポルタの一事業として展開していこうということで、今いろいろ下準備をしているところ。ある程度整ったら、寄付を募ったり、企業を回ったり、賛助会員を集めたり、いろいろ動くつもりです。

メンバーの反応はいかがですか。

金森>みんなには選択肢を与えたいと思っています。自分はNoismを続けるし、自分とやりたいと言うのならすごくうれしいし、自分もみんなとやりたいと思う。ただ財団は新しい芸術監督とまだ日本で唯一の劇場専属カンパニーを続けていこうという意志がとりあえずあるみたいなので、りゅーとぴあにまた新しく舞踊団ができるかもしれない。そこでやりたいという子がいたら、遠慮せずにぜひそうするといい、と言っています。自分がNoismを続けると言ったからって、自分と一緒に来なければいけないわけじゃない。りゅーとぴあで続けるもよし、Noismでやるもよし、海外に行くもよし、若い彼らの選択肢はいろいろあると思っています。

井関>みんなたぶん不安だろうけど、「Noismの活動は継続する」という穣さんの言葉は、少なからず希望になっていると思います。彼らがどの選択をするにしても、ひとりぼっちで投げ出されている感覚はないはず。

金森>みんな若いから、そんなに先のことなんて考えられないし、考えなくていい。りゅーとぴあでの活動もまだ1年あるわけだから。だけど、Noismがなくなるという想いに苦しんだり、今この瞬間集中できなくなるのはよくない。とりあえずNoismは続けるから心配するなと言いたかった。それだけのこと。彼らにはまだまだ可能性があるし、彼ら次第で未来は全然変わりうる。この歳になると、後輩たちにとって、少しでも光になることをしたいと思う。

井関>私はみんなに残ってほしい。みんなで一緒に移動したい。

金森>もちろん自分たちが基盤を整えられたら、それがベストなんだけど。自分たちの努力だけでどこまでいけるかは未知なので。最善を尽くして、できる限り受け入れられるようにはしたいと思っています。

今後の展開をどう考えていますか。

金森>まずは自分たちの拠点をつくりたい。誰かの意向で翻弄されるのはもう限界。どこかスポンサーがついてくれたらありがたいけれど、それがあろうがなかろうが、自分たちにはここがあるというものをつくらないといけない。

井関>この22年間、日本で唯一の劇場専属舞踊団ということで、ある意味守られた環境でやってきた。良くも悪くも、それは恵まれた場所でした。だからといって、またどこかの劇場に行くというアクションは、ここまで劇場の中で闘ってきた自分たちとしてはどうしても違うんですよね。もしかしたら、将来的にどこかの公的な機関が援助を申し出てくれるようなこともあるかもしれない。でも劇場を転々とするのではなく、自分たちの拠点をつくりたい。それで、これからの劇場との関わり方を見つけていく。それがたぶんこの国での芸術文化のあり方だと思うから。

金森>実際問題、時代的に公立劇場の予算は減っているし、企業も経済的に厳しくなってきている。それでも志のある政治家や文化官僚、起業家や学者はいると思う。ここから劇場文化がどうなるかはわからないけど、そういう方たちと共闘するためにも、自分たちの場所を持っておいて絶対に損はないから、今このタイミングでやらなければと考えている。

井関>今は場所を探しています。稽古ができる場所を、借金しても何をしても構えなければ、という気持ちです。夢は芸術センターをつくること。稽古場があって、小劇場があって、カフェがあって、図書館があって……。数十席でもいいから、プレ公演的なことができたり、若いメンバーが振付けしたり、いろいろな実験ができる場所が欲しい。創作活動としての拠点は、地方の方が面白いと思っていて。そこからいろいろなところを回ったり、東京に行くようなこともありうるでしょう。

金森>自分が師匠として仰いでいる演出家の鈴木忠志さんは、富山県の山奥の利賀村にまず日本家屋を1軒だけ借りて、自分自身の活動をはじめられた。何年か経って出ていこうとしたら、村長にここでやってくださいと言われ、いろいろ行政も関わるようになり、応援してくれる人たちがどんどん増え、今のような形になった。鈴木さんは30代で利賀に行っているけれど、自分たちはこれまで新潟でやってきたことで、繋がりもあれば、応援してくださる方たちもいる。だから0からじゃない。1からのスタートだと思っています。

井関>利賀というある種のモデルケースがあるので、そこからさらに自分たちで今の時代だからこその形を探求していけたらいいですね。

金森>自分たちにしかできない、ある種のモデルケースをつくろうとしています。地域との関係性においても、自分たちの信じることをやるのなら、今後はもっと自治体も小さい方がいいかもしれない。自治体にとっても、価値として実感してもらえるかもしれないし。

90年代以降、この国はある意味で恵まれていて、企業のメセナもあったし劇場に予算があったからいろいろなことができた。それがどんどん厳しくなって、今後はどういう在り方ができるか。その昔は手弁当でみんなやってきた。そういう時代にまたなりつつあるのかもしれない。どんどん少子化も進むけれど、それを嘆いていても仕方がない。時代は進んでいく。それを可能性と思うか衰退と思うか。時代は移り変わるから、公的機関との新しい関係性の在り方も見つけていかないといけない。

井関>法人を立ち上げたことで、これからやりたいことがもっと見えてきた、未来が見えた感じがしています。自分たちは今すごく前向きです。SNSで聞こえてくる声は今もネガティブなものがあるかもしれませんが、私たちは怒りも傷つきも落胆もいろいろ通り過ぎて、前を向いている感じですね。

金森>22年間、この国で唯一ではじめてのことをある程度立証してきた。そういう在り方があると示したと思っています。だけど自分たちとしては、今までの活動の縮小版をどこかで細々とするつもりはないし、そんなの面白くもない。22年間を積み重ねてきた自分たちにしかできない新しいことをやりたい。具体的な行動は来年夏以降だけど、準備ははじめています。何か決まったら、逐一アップしていくつもりです。

来年の夏まで、あと1年りゅーとぴあでのNoism Company Niigataの活動は続きます。

金森>まず6月に『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』がりゅーとぴあで初演を迎え、続いて7月に彩の国さいたま芸術劇場で上演します。その後は利賀と、9月の「SaLaD音楽祭2026」にも出演が決まっています。年末に新作があり、来年夏がりゅーとぴあでのラストプロダクション。当初来年夏の公演にと考えていたプロダクションがあったけど、一度白紙にしました。この20年間で信頼し合ってきた芸術家とのコラボレーションを最後に考えています。

井関>Noism Company Niigataは残り1年だけど、今年9月に新しい舞踊家がひとり入ります。フランス人の男性です。今のNoismの状況もきちんと説明したけれど、それでもここに来たいと言ってくれて。すごくやる気があって、直接会って見たいからオーディションに来てほしいと言ったら、新潟に1週間滞在していましたね。

金森>いずれにせよ、りゅーとぴあでのNoismのプロダクションはあと3つ。そのうちひとつの公演がもうすぐ上演を控えています。だから今のNoismを観に来てもらえたらうれしいですね。

 

 ※1 芸術監督の公募について
https://www.ryutopia.or.jp/news/42294/

※2 金森監督への感謝と、そのレガシーを引き継いでいく決意を込めて
https://www.ryutopia.or.jp/news/40826/

 

photo: ryu endo

プロフィール

金森穣
Jo KANAMORI
Noism Company Niigata芸術総監督
演出振付家、舞踊家。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ在学中から創作を始め、NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で舞踊家、演出振付家として活躍したのち帰国。'03年、初のセルフ・プロデュース公演『no・mad・ic project ~ 7 fragments in memory』で朝日舞台芸術賞を受賞し、一躍注目を集める。'04年4月、りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督に就任し、日本初となる公共劇場専属舞踊団Noismを立ち上げる。海外での豊富な経験を活かし次々に打ち出す作品と革新的な創造性に満ちたカンパニー活動は高い評価を得ており、サイトウ・キネン・フェスティバル松本での小澤征爾指揮によるオペラの演出振付を行う等、幅広く活動している。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞、第60回毎日芸術賞、第42回橘秋子賞ほか受賞歴多数。令和3年紫綬褒章。2026年3月、一般社団法人NEMUSPORTA設立。

井関佐和子 
Sawako ISEKI
Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督/Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

Noism
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。

photo: ryu endo

公演情報

Noism0+Noism1『私は海をだきしめていたい』、改訂版『春の祭典』

[新潟]
2026年6月27日(土)17:00、6月28日(日)15:00、7月4日(土)15:00、7月5日(日)15:00
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉

[埼玉]
2026年7月25日(土)15:00、7月26日(日)15:00
彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール

Noism

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