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マニュエル・ルグリ『ルグリ・ガラ』インタビュー!

パリ・オペラ座バレエ団のエトワールとして23年間踊り続け、世界中のバレエ・ファンを魅了してきたマニュエル・ルグリ。“永遠のエトワール”と呼ばれる彼が、この夏日本で自身の名を冠したガラ公演『ルグリ・ガラ』を開催! 開幕に先駆け、ルグリに舞台への想いと意気込みをお聞きしました。

来日するのは今回で何回目になりますか? 初来日時の記憶、過去の来日時のエピソードなどをお聞かせください。

ルグリ>これまで何回来日したかは正確には言えませんが、フランスと並び私が一番多く踊った国であることは明確です。初めて日本に来たのは1984年のこと。大阪で開催されたバレエコンクールに参加し、エリザベス・モーランと共に金賞を受賞しました。それからほとんど毎年来日していて、同じ年に2~3回日本に来たこともあります。

数多くの来日を重ね、日本のバレエ・ファンと驚くべき関係を築くことができました。ひとつの忘れられないエピソードがあります。私は故・佐々木忠次氏とNBSの主催する世界バレエフェスティバルに1998年以降すべての回に参加したただひとりのダンサーです。これは素晴らしい経験であり、またこのフェスティバルで私は少なくとも4世代のダンサーを目の当たりにしてきました。

 

パリ・オペラ座バレエ団のスター・ダンサーとして過ごした23年間はどんな月日でしたか? パリ・オペラ座時代の思い出をお聞かせください。

ルグリ>23年間は私がエトワールとして過ごした時間です。バレエ学校時代から数えると33年間をオペラ座で過ごしてきました。私はそこで並外れて素晴らしい振付家、芸術監督、ダンサーたちと一緒に仕事をするという信じられない時間を過ごしました。そして、やっと今自分が何を成し遂げたのかを理解し、それをとても誇りに思っています。

 

©KYOKO

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パリ・オペラ座バレエ団引退から8年。現在はウィーン国立バレエ団で活躍されています。芸術監督としての活動、バレエ団のダンサーたちについて、オーストリアでの生活など、日々の様子をお聞かせください。

ルグリ>ウィーン国立バレエ団に来たのはベストチョイスでした。バレエ団の芸術監督を務めるとはどういうことか理解し、多くを学びました。ダンサーを全く知らず、ゼロからはじめなければならないバレエ団を見つけたことは大きな意味がありました。今やバレエ団はより良い環境となり、全ての公演がほぼ完売(97%の販売率)するほど多くの観客を得ています。このレベルに達するまで大変な努力をしてきましたが、今は舞台に立つ団員たちをみて心から笑顔になることができます。

ウィーンでは非常に忙しい毎日を過ごしています。朝は9時には劇場入りし、事務作業をし、クラスに参加し、リハーサルをして、本番を迎え、終演後、または公演がないときは19時頃に劇場を出ます。

 

パリ・オペラ座バレエ団を代表するスター・ダンサーとして同団の黄金時代を築き上げ、今なお現役として輝き続けています。揺るぎない名声を掴んできた、その背景にあるものは何だと思われますか? 長く第一線に立ち、自分を磨き、舞台に挑み続ける、そのモチベーションは何なのでしょう。

ルグリ>バレエは私の惜しみない情熱です。私にとってとても自然なものなのです。本当に真っ当な場所で、適切な時期に、偉大な人々に出会い、共に仕事をするチャンスを得ました。多大な努力のもと舞台でベストを出し尽くし、この芸術に私の持っている全てを捧げたいと思っています。私は今まで決して諦めることなく、つらい時も必ずその場にいました。多分それを支えているのが、私のバレエに対する情熱でしょう。

また、私は運良くパリ・オペラ座が舞台を映像化しはじめたときに居合わせました(『ロミオとジュリエット』『眠れる森の美女』『ドン・キホーテ』『薔薇の精』『シルヴィア』『ノートルダム・ド・パリ』『プルースト』など)。これにより、私の名が国際的に知られることになりました。

私は自分のことをバレエ界のリーダーだとは思っていません。私のやるべき仕事をしているに過ぎないのです。ただ単にバレエを愛している、それが私の人生なのです。もし私と同じような生き方を望む若い世代のダンサーを奮起させることができるなら、彼らの夢の実現を手助けしたいと思っています。それこそが私の本当の幸せと言えるでしょう。

 

©Hidemi Seto Etoiles Gala2008

©Hidemi Seto Etoiles Gala2008

公演の芸術監督として、どんなガラにしたいですか?

ルグリ>当初は私のキャリアの中でも特に重要な時期を時系列順に追うことで、このガラを私のバレエ人生のレジュメを振り返るものにできたらと考えていました。そのアイデアはまだ演出の候補のひとつとして残っていますが、ノスタルジックすぎる雰囲気にはしたくないと思っています。

みなさんにはきっと、私にとって特に大切なダンサー・名作品・名振付家が、私の過去・現在・未来を象徴していく姿をおみせできると思います。

 

最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

ルグリ>愛するダンサーと共に、上質で魅力的な舞台をつくるためにベストを尽くします。2009年に『オネーギン』を踊ってオペラ座を去ったときが私のアデューであり、今回のガラが私のアデュー公演だとは思っていません。とはいえ、現実的に考えれば、私が踊る将来を思い描くのはだんだん難しくなっています。

どうぞ、私と私の愛するダンサーたちと特別な瞬間を分かち合うために、『ルグリ・ガラ』を観に来てください。いつも変わらぬみなさんの愛情を本当にうれしく思っています。ありがとうございます!

 

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