93歳のバレリーナ 雑賀淑子(4)
牧淑子の名でデビュー
小牧バレエ団でツアーも行きました。当時は全国勤労者音楽協議会という組織があり、いろいろな会社や工場が労働者の人たちにバレエや音楽に触れる機会を設けていました。協議会からの依頼で、小牧バレエ団も各地で上演しています。小牧先生とダンサー、指揮者に少人数のオーケストラという編成です。まだテープレコーダーのない時代で、音楽は全て生演奏でした。今思えば贅沢な話です。ただ地方にはまだきちんとした劇場が少なく、主に寄席や映画館が会場でした。
寄席で上演したときは、当然オーケストラ・ピットもなく、舞台のすぐ下が音楽家たちの居場所でした。演目は『白鳥の湖』の全幕で、指揮者もバイオリニストもみなさん正座で演奏しています。客席も椅子ではなく座布団で、正座して観ている方もいれば、寝転んで観ている人もいましたね。
田舎の小さい映画館で上演したこともありました。おばあさんが映画館に住み込みで働いていて、一切合切をひとりで仕切っています。おばあさんは猫を飼っていて、上演中に舞台を猫が横切った、なんてハプニングもありました。
当時は冷暖房などなく、夏はお客さんも汗でびしょびしょです。休憩時間になると氷の柱を2、3箇所ロビーに置いて、みなさん氷に触って涼んだものでした。
暑いのも大変だけれど、寒いのはもっと大変です。12月に福島へ行ったときは辛かった。暖房はなく、楽屋には火鉢がひとつぽつんとあるだけ。舞台に立っているともう凍りそうな寒さです。2幕はまだ動くからマシでした。問題は4幕で、私たちコール・ド・バレエは王子とオデットが踊る間中ずっと静止していなければなりません。けれど袖から風が吹いてくると自然と身体が震えてしまって、いくらがんばっても止まらない。ロットバルトの小牧先生が、「震えるんじゃない!」と私たちをにらみつけながら歩いていきます。ロットバルトはマントを着ているからあたたかいけれど、私たちはチュチュでほとんど裸に近い状態です。
昔は地方へ行くと、地元のやくざの人たちがプロデュースする興行がたくさんありました。あるとき北九州でやくざの仕切る公演に出ていたら、他のやくざの人たちが怒ってしまった。地元のヤクザの親分同士が喧嘩しちゃった。終演後バスで興行主のやくざに宿へ連れて行かれて、「みなさん外へ出ないでください。××組の連中が、あいつらの公演に出たヤツはみんな刺してやる、殺してやる、と言っているので」ときつく言い渡されました。私たちは1歩も外へ出ることなく、宿屋で震えていたものです。
東北へツアーに行くとき、上野から乗り込んだ列車の中で、小牧先生の目の前の席になったことがありました。向かい合わせの4人席です。小牧先生のそばは息苦しいからとソリストやプリマはみんな逃げてしまい、下っ端の私が仕方なく座ることになったのです。私は入ったばかりで怖いもの知らずでした。
「谷桃子先生はあんなにキレイですてきな方なのに、小牧先生はどうして棒に振ったんですか?」
私が小牧先生に尋ねると、みんなが凍りつき、汽車の中がシーンとなったのを今も鮮明に覚えています。
さすがの小牧先生もびっくりしたのか、怒らず答えてくれました。
「桃ちゃんは美人でいい人だよ。だけど一緒に住むのは大変だよ」
小牧先生いわく、谷先生はお料理はもちろん、家のことは何もしない。日常生活のことは小牧先生が全てやっていたそうです。
「例えばさ、僕がサンドイッチを買ってきて、さ、ご飯だよと渡すとね、うれしそうににっこりしてる。包み紙を開けることもしないんだ。それで、僕が袋から出して、包みを開けて、さぁ桃ちゃんお上がりって言うと、はいってうれしそうにする。僕ね、もうその生活にくたびれたの」
谷先生は日常生活に向かない方だったのかもしれません。そこがまた谷先生の良さだったのでしょう。私は谷先生がとても好きでした。それにしても、小牧先生には大変失礼なことをしてしまいました。天国に行ったらやることがいっぱいあるけれど、小牧先生にまず謝らなければいけません。
北海道、青森、四国、九州と、日本各地に行きました。公演が終わると、みんなで宿舎に泊まる日もあれば、最終列車に乗り、汽車の中で一夜をあかし、次の公演地へ向かうこともありました。ハードでくたびれはするけれど、いろいろドラマチックな楽しい経験ができました。
なによりオーケストラと一緒に踊ることができた。それは今思うと1番贅沢なことでした。けれどあるときオーケストラの予算を削減することが決まり、はじめて録音で上演することになった。会場は日比谷公会堂です。チラシに「録音で上演します!」と大々的に書いて、それを売り文句にしています。まだ録音での公演は珍しかった時代で、今とは全く逆ですね。
ただ慣れていなかったせいか、誰かが幕に引っ込むとき、テープレコーダーの線を蹴飛ばして、コンセントから抜けちゃった。突然音がなくなったので、みんなびっくりして大騒ぎです。小牧先生が舞台に出ていって、お客さんに謝って、そこからもう一度やり直しです。
舞台の完成度は今の方が高いけれど、当時はまだバレエを観たことのない人が多く、はじめて私たちの踊りを観て「これがバレエなんだ」とよろこんでくれた。ある種の温かさがありました。いろいろ困難はあったれけど、そのぶん工夫しながらやってきた。非常に面白い時代を生きてきたと思います。
93歳のバレリーナ 雑賀淑子(5)につづく。
プロフィール
雑賀淑子(さいが・としこ)
1932年8月11日生まれ。9歳より彰城秀子のもとでモダンダンスをはじめる。戦後小牧正英バレエ学園でバレエを学び、小牧バレエ団入団。その間パリへ留学し、オルガ・プレオブラジェンスカ、ビクトル・グゾフスキー、ルネ・ボン等に師事。振付をネリー・ブーシャルドに学ぶ。小牧バレエ団を退団後、サイガバレエ研究所及びサイガバレエを設立。ステージ・テレビ等で古典及び創作バレエの上演、また各地で様々なパフォーマンスを繰り広げている。サイガバレエ研究所主宰。舞踊作家協会理事、(一社)青少年音楽協会理事。https://www.saiga-ballet.com


