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森優貴『白鳥の湖 ―The Lake―』インタビュー!

貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル」シリーズ35弾として、この春世界初演を迎える『白鳥の湖 ―The Lake―』。チャイコフスキー三大バレエのひとつ『白鳥の湖』をもとに、森優貴さんが脚本・構成・演出・振付を手がけ、新たな作品世界を提示します。ここでは、クリエイション中の森さんにインタビュー! 創作の様子と作品への想いをお聞きしました。

古典の名作『白鳥の湖』をもとに、森優貴さんが手がける『The Lake』。この大作に挑む心境をお聞かせください。

森>『白鳥の湖』全幕の演出振付をするのははじめての経験です。きっとこれは自分にとって一生に一度の経験になるでしょう。

私自身これまでいろいろな『白鳥の湖』を観てきたし、ダンサーとして踊ってもきました。いろいろな作品に触れてきたからこそ、音楽の捉え方やイメージは目をつぶっていても浮かんでくる。いかに自分がそこに向き合い、自分らしい作品にするにはどうすればいいか、これは大変な課題です。『白鳥の湖』に取り組むことができるのは振付家としてすばらしい経験であり、また振付家として活動していく上で避けては通れない作品だったように感じます。

ただ最初は戸惑いも強くありました。というのも、これだけの大作に取り組むには、やはりそれだけの条件が必要になってくる。予算やクリエイションに費やす期間にしてもそう。だけど、日本にはその環境がない。ダンサーにしても、いちから書かれた台本で、いちから全幕の創作をするという経験をしていない。そこは乗り越えなければいけない壁であり、今私が直面している部分でもあります。

実はこの企画がはじまった3年前は違う構想での『白鳥の湖』を予定していて、実際に準備も進めていました。けれどそれがさまざまな事情で実現不可能となり、改めて脚本を書き直し、いちからつくりなおすことになりました。

そこで考えたのが、自分ならではの新たな『白鳥の湖』をつくろうということ。今まである『白鳥の湖』の改訂版なら、先人たちがいくつも手がけてきた。

『白鳥の湖』というと、日本のバレエ団はたいてい既存の作品を上演していますよね。そこで伝統を受け継いできた。けれど世界規模でみてみると、60年代にクランコが、70年代にノイマイヤーがと、いろいろな振付家が、いろいろな国で、いろいろな劇場で、新たな『白鳥の湖』として古典をつくり変えてきた歴史がある。

せっかく振付家として一生に一度『白鳥の湖』に取り組むのであれば、『白鳥の湖』の新しいバージョンではなく、全く別のものをつくりたい。『白鳥の湖』ではあるけれど、白鳥を描きたくはない。それよりも人間の魂の部分を描きたいと考えた。それでいて最終的に、“あれ、これ『白鳥の湖』だよね”というところは目指したいと思っています。

森さん自ら脚本を手がけ、独自の物語を生み出しています。

森>娘を不慮の事故で失い現実世界で生きていけなくなった母親と、母の愛に飢えた孤独な息子、家族が崩壊した現実から逃げ出してしまった父親、肉体を失い魂として生き続ける娘の一家4人を中心に物語は展開します。

全二幕構成で、一幕は湖畔にある閉ざされた部屋の中。娘を失った母親と父親、その息子がいる。彼らを含め、大切な人を失くしたいろいろな人たちが、同じ悲しみを共有しながら月に一度そこに集い、時がくるとそれぞれ湖畔に行き、祈りを捧げ、魂と再会する。魂は“あなたたちは生きてください、私たちも生きていますから”と言う。

二幕で母親は娘と再会を果たす。母親はそこで息子を、そして現実から逃げた父親をどう受け入れていくかーー。

特に意識はしてはいなかったけれど、私自身の想いや死生観はやはりどこかしら作品に入っているように感じます。

人間は傷ついたり悲しい想いをしても、自分の力で治癒し、前に進んでいく力を絶対に誰しもが持っている。その悲しみ、痛みをなんとか肯定できないかという意識があります。またそれを創作することで、私自身が救われることもあるでしょう。

作品の根底にあるのは、二面性であるということ。『白鳥の湖』という作品が持っている性質に、二面性がある。善と悪、純粋な愛と悪の勝利、白と黒、孤と集団、閉塞と解放、生と死……。イメージしたのは、一幕は映画のようにドラマ的な、二幕はフィジカルだけれど真っ白な精神世界。ドラマで成り立つ感情的な場面から、フィィジカルで本能的な世界まで、二面性でコントラストをつけていこうと考えています。

クリエイションはどのように進めていますか?

森>まず選曲からはじめています。チャイコフスキーの『白鳥の湖』はもちろん、チャイコフスキーの別の楽曲に、フィリップ・グラス、ポーランドの作曲家で英国アカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞しているアベル・コジェニオウスキなど、さまざまな作曲家の楽曲を使っています。

同じ楽曲でも、この人の指揮の、この演奏の、この録音で、という部分が大切になってくる。それが違えばステージングも違ってくるし、音質、音色の種類で浮かび上がる照明のイメージも違ってくる。動きのニュアンス、ダイナミックさ、繊細さも違ってくる。これだという曲を選び、曲を聴き込み、耳に不自然のない順番に並び替え、そこからステージングに入ります。

ステージングでは、いつどこで何分何秒にこうなってないといけないというシーンを、ストーリーラインを考えながら決めていきます。ただストーリーものは物語の流れに固執しすぎるとつまらなくなるので、Aの場面からBの場面にきたからCの場面にいく、という流れも思い切って切るようにしています。例えばAからBにいかず、Dの場面を持ってくることもある。その時間の飛び具合を照明で表現してみせたりもします。

全ての流れをプロットに落とし込み、稽古場に入るまでに準備を万端に整えていくので、ステップに取りかかるのは一番最後の段階です。ステップにしても、音楽を聴いて頭で準備はしていくけれど、稽古場でダンサーを前にすると、彼らにはこっちの方がいいと変えることもよくあります。

ダンサーはかなり大変だと思います。私の作品の特質として、発散するし、爆発する。そこに至るまでものすごいタメがあって、爆発しても分散せずに、それを収めるエネルギーが非常に重要になる。そうなると動きの小さな所作だとか、身体の使い方、ちょっとしたフォルムの違い、動線の動かし方など、こういう風に動かないとできないというような、解剖学的なレベルになってくる。

爆発的に動く前のタメ、身体が開くひとつ前の動きや状態、アクションを起こすひとつ前の状態はやはりすごく意識するし、歩き方、見方、目線、所作まで、“芝居もしくは映画を撮る際にカメラワークとしてどう見せたいか?”と考えてつくっています。必ず感情にきっかけがあり、衝動が起こり、動機を見出してから動く。

そうなるとやはりバレエの振付のように、“グリッサード、グランパディシャ、ピルエットを回って”と、口頭で情報を渡すような振付はできません。動きもそうだし、場面ごとの芝居的な感情も含め、私自身が実際に動いてみせています。

一般論として、コンテンポラリー作品はわかりにくいという考えがありますよね。でもそれは間違いだと思う。コンテンポラリーの方が表現の仕方が直接的だし、絶対にわかりやすいはず。抱きしめるときはこう、この感情で手を取るときはこうだというように、日常の私たちの動きになっているから、より動きに感情が伴うし、衝動的であり、本能的でもあり、より官能的になる。それらを細かくつけていくのは演出面での課題でもあります。

キャストについてご紹介ください。

森>貞松・浜田バレエ団の団員に、外部ダンサーも含めて全29名が出演します。うち主役は母親と娘、父親と息子の4人。この4役はバレエ団の主要メンバーが踊ります。

父親役はプリンシパルの水城卓哉さん。彼は過去の私の作品に多数出演しており、信頼を置いている人材です。母親役の上山榛名さんも同じくバレエ団のプリンシパルとして水城さんと長年にわたり主演を踊ってきた人材であり、私の過去の作品にも出演しています。私としては、観てくださるお客様に、彼らの新たな一面を届けられるよう、彼らの今、そして限界を見出し、同時にまだ秘めているであろう可能性を引き出したい。それに応えられるか否かはそれぞれが負うところではあるけれど、この2人にはやはりそれを期待したいと思います。

娘役は水速飛鳥さんで、息子役は切通理夢さん。2人はバレエ団の若手ですが、私が必要としているものを持っている。高い身体能力に加え、私が最も重要視する“音楽を聴き取る力”です。音を取るとかカウントを取るということではなく、音楽の性質を体現できるということ。あと感情移入ができ、自分が飛んでしまうぐらいその世界観や場面に憑依することができるということ。

外部ダンサーとして、林田海里さん、戸田祈さん、西岡憲吾さんが出演します。彼ら3人の培ってきた多様な経験が、現場でも今すごくいい風を吹かせてくれているし、ほかのバレエ団の出演者にとっても大きな刺激になっているのを感じます。外部のダンサーたちと共にゼロからつくり上げるという機会がなかなかないので、身体性であったり、取り組み方であったり、そして何より3人の人柄にインスピレーションを受けながら、みんなも着実にクオリティアップし続けています。

リハーサルの手応えはいかがでしょうか。

森>一幕は昨年の10月から、二幕は今年の1月からはじめています。

振付家がまずダンサーにイメージを伝え、ダンサーがそれをどう受け止めるか。ダンサーがどれだけ自己プロデュースをして、各々どうつくってくるかとかというのは、こうした大作に取り組む上では絶対に必要な部分です。

創作で大切なのは、振付家とダンサーの相互関係です。互いに自身という存在は捨て、あくまでも作品のためにどう存在するのかということを各々が考えないと成り立ちません。けれど、みんなが必ずしもそうした無からの創作過程に慣れているわけではありません。そこが難しい。だからこそ厳しいことも言うけれど、そこで意識改革がされ、目覚め、向き合うことが必要とされる作品だと思っています。

ダンサーには常々「最終的に舞台に立つのは君たちだよ」と伝えています。舞台というのはとても恐ろしいところです。そこに立つ人の精神状態が全てわかるし、伝わってしまう。それは歌や芝居にも共通するところでもあるでしょう。

自分は踊りでやっていくんだと決めた時点で、あるひとつの覚悟を持たないといけない。自分はいちダンサーとしてこう見えていたい、見せたい、こう演じたいというポリシーがなければいけない。それはやはり観に来てくださるお客さんには全て伝わるものだから。

森さん自身、10代の頃は貞松・浜田バレエ団に所属されていました。どんな想い出がありますか?

森>私が貞松・浜田バレエ団のジュニアクラスに通いはじめたのは15歳のときでした。貞松・浜田バレエ団はボーイズクラスがあって、同年代の男の子たちと一緒に並んで稽古をすることで大きな刺激をもらいましたね。もともとはミュージカル志望だったけど、そこでバレエの楽しさに目覚め、バレエにのめり込んでいった。当時はこの先ずっとバレエの道を進んでいきたいと思っていたし、日本のバレエ界を背負うダンサーになるんだ! と強く思っていました。

当時はちょうど私の先生である貞松正一郎さんが松山バレエ団を退団され、神戸に戻ってきたあたりの頃で、彼は日本のバレエ界をリードするスターでした。正一郎さんをはじめ、バレエ団には追いかける存在、追いかけるべき存在がたくさんいましたね。すごく個性的だったし、熱い印象が記憶にあります。彼らを見て、私自身も“いずれはダンスールノーブルに!”と本気で思っていました。けれど当時は私自身バレエの技術が不安定で、周りの男の子たちより技術が身に付かなかった。それでも身長が伸びたことで、“自分には自分にしかできない見せ方や存在の仕方がある”と考えていました。

コンクールで踊るたった数十秒の『白鳥の湖』の王子や『ジゼル』のアルブレヒトのヴァリエーションのために、自分の出番までに時間を計算し、全幕の曲を聴き、感情の流れのイメージをつくった上でヴァリエーションを踊る。何もわからない10代だけれど、人とは違うもの、部分を探し、違うところを見せなければいけない、見せようと常に意識していました。

ハンブルクに行く前は、特に振付に興味は抱いてはなくて、それ自体が一体どういうことなのかもわかっていませんでした。それでも周りの子たちがヴァリエーションの練習をしていたとき、私はバランシン作品のビデオを観たり、バリシニコフがブロードウェイでいろいろなミュージカルを歌い踊る場面をビデオを観て、振り起こしをしては踊ってたりしていたので、やはりどこかで枠にはまらない表現というものが好きだったのだと思います。

高校卒業後、一度貞松・浜田バレエ団に入団させていただきました。その後、先生方のご理解と応援のもと、ドイツ・ハンブルクバレエスクールに留学となりました。

ハンブルクバレエスクールでは、ジョン・ノイマイヤーの創作の現場や、ジョンの監督下にあるスクールで活発に行われていた創作授業に参加し、他の生徒への振付や、自らも他の生徒の作品に出演したり、ハンブルクバレエ団の公演に出演させてもらえる機会がありました。それはまた振付をすること、自ら生み出すことに向き合うことができた最初の扉でした。

スクール卒業後に入団したニュルンベルクバレエは、ダンサーも一緒にアイデアを出し合い、コンセプトミーティングから参加し、インプロヴィゼーションを重ねて新作を創作していくという方針で、そこで自ら与えられるテーマを汲み取り、提示するクリエイションという場を経験しました。

その後、私の師であるシュテファン・トスの新しく立ち上げるカンパニーに入団することになりました。彼のもとで全てが覚醒したと言っても過言はありません。作家性、音楽性、独自性、シュテファン自身が師であるパトリツィオ・ブンスター(元クルト・ヨース舞踊団のダンサー)から引き継いだドイツ表現主義ダンスフォルムを、私自身引き継ぎました。文献としても引き継ぎましたし、シュテファンの作品を12年間にわたって数多く踊ってきたことで自然と身についたものが、今の私の振付のスタイルのベースになっています。

ドイツ表現主義ダンスフォルムと聞くと何か難しいイメージを抱きますが、全くそうではなく、「感情、時間、空間」の3つの要素がいろいろな変化を紡ぎ、永遠的な可能性に広がります。シュテファンの下でダンサーとして彼の作品のために生きられたことは、私にとって一番の財産であり、その頃には確実に振付家として人生を歩んでいくと決めていました。シュテファンは惜しみなく全てを教えてくれ、そして全てを引き継いだ。2001年にシュテファンと出会っていなければ今の自分はありません。

その頃から振付家としてもシュテファンのカンパニーで作品を任されるようになり、またドイツ内外のカンパニーからも新作依頼を受けるようになりました。貞松・浜田バレエ団での振付は、それ以前から機会が与えられるたびに新作を提供してきました。シューベルト『冬の旅』は再演も重ね、バレエ団が文化庁芸術賞大賞を受賞することに繋がりました。そう考えると、ドイツに留学することを理解し、応援してくれた先生方には感謝していますし、本当に長い付き合いになりますね。

ドイツ・レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニーの芸術監督を7年間務め、2019年に帰国。日本に活動の拠点を移しています。

森>早いもので、日本に帰って5年目を迎えます。帰国直後にパンデミックが起き、キャンセルになった公演もいくつかありました。

帰国して良かったことの一つは、多方面からのご縁、そして挑戦に出会えたこと。帰国後すぐに新作を2度続けて発表したNoismとの出会い、そして私自身が5歳という幼少期にはじめて知った舞台の世界であり、自分自身の今のルーツでもある宝塚歌劇団とのご縁。歌劇団ではバレエと森優貴スタイルであるコンテンポラリーの講師を務めながら、公演の振付にも関わらせていただいています。私自身が構成、演出、振付、照明に至るまで全てを自分のスタイルで完結する普段の創作活動とは違い、演出家の先生方の世界観を汲み取りながら、その中で私自身の世界観も提案し、提示しあいながら関わらせていただいていることで、私自身だけでは辿り着くことができない世界観への挑戦にとても刺激を受けています。

K-BALLET TOKYOでは、コンテンポラリーダンス企画公演を行うOptoのアーティスティック・スーパーバイザー(芸術監修)に就任させていただきました。社会問題を積極的に取り上げ、今年の4月にはヤングケアラーを題材にした新作『シンデレラの家』の上演が決定しています。振付家は、イタリア人振付家のジョゼッぺ・スポッタを招きます。ドイツMiRダンスカンパニー・ゲルセンキルヒェンの芸術監督であり、ヨーロッパで注目される振付家です。彼は私の現役時代の後輩でもあり、互いにダンサーとしても振付家としても切磋琢磨した同志です。彼は建築や美術の知識が豊富で、ビジュアル力とコンセプトアイデアがすばらしい。ダンスに限らず、近い将来ヨーロッパの舞台芸術をリードしていく人材だと思います。

さまざまなご縁がドイツで22年間経験を積んできた自分自身へ新たな挑戦と出会いを与えてくれています。今ようやく日本で新たな章を踏み出せたと思っています。

森さんがダンサーに求めるものとは? 彼らと共に、どこを目指すのでしょう。

森>ダンサーには絶対の音楽性を求めます。音感という意味ではなくて、音楽をどう読み取れるか。それをどう感情的に想像でき、身体に落とせるか。そこは持ち合わせていてほしい。そしてこの振付家が見えている世界に、自分は何色で、どういう作用を起こせるのか、というものを見出してほしい。それを自覚して取り組んでいるダンサーは強い。振付家にとってそういうダンサーはやっぱり魅力的だし、自分が思っている以上のものを提示してきてくれますね。

自己プロデュース、自己ポリシーはダンサーにとって欠かせない部分です。技術・能力面に関しては、私が一緒に手取り足取りすればなんとでもなる。だけどそういうなんとでもならないところは持ちあわせておいてほしい。

それらを得るには、バレエに限らず、いろいろなものを目にし、聞き、感じないとまず難しい。いろいろな情報、いろいろな景色、いろいろな物事を吸収しようという興味を持っいてる人、それが私が求めるダンサーです。

ダンサーは振付家に飽きられたらダメ。それは逆もしかりで、振付家もダンサーに飽きられたらダメ。お互い飽きられないよう、ずっと上を目指していくのがベストな関係性だと思います。

まだまだ創作の途上です。他にない、森優貴ならではの『白鳥の湖』を手がけることができるのは、振付家として喜びを感じるところです。ただ日本だと1回2ステージで終わってしまうのがが残念なところ。作品というのは舞台に上がって、お客さんが入って、連日上演することにより育つものだから。日本のダンス界にはいろいろな制約があって、今その狭間で闘っている感じでしょうか。

おそらくこの作品は今までつくってきたなかでベストワンの難産になるでしょう。五体満足では生まれない。もうそれはわかってる。ただ五体不満足だとしても、自分がその子をきちんと受け入れ、自分の子として認識できるようにはつくるつもりです。

照明、映像、音楽、舞台美術、衣裳も全てが一致し、登場人物の感情の起伏、描こうと思っていた物語が最初から最後まで途切れなく完結していること。ダンサーだけではなく、全ての要素が集まったとき、納得するものができること。それが私がこの作品で追求したい場所であり、彼らと共にそこを目指していきたいと思っています。

 

公演情報

貞松・浜田バレエ団 創作リサイタル35  新制作『白鳥の湖 ―The Lake―』(世界初演)
日程:2024年3月16日(土)、17日(日)15:00
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/the_lake/index.php

 

プロフィール

撮影:田中みずき

森優貴 Yuki Mori
振付家・ダンサー。1997年ドイツハンブルクバレエスクール留学後、1998-2001年ニュルンベルグ バレエ団、2001-2012年トス・タンツカンパニーに在籍、芸術監督のシュテファン・トスの数多くの新作品で主役を務める他、イリ・キリアン、ウィリアム・フォーサイス、マッツ・エックなど多数の著名振付家作品を踊る。2012年日本人初、欧州公立劇場(レーゲンスブルク歌劇場ダンスカンパニー)芸術監督兼常任振付家に任命され就任。就任後、次々に新作を発表。ストラヴィンスキー『春の祭典』ラヴェル『ボレロ』、『ベルナルダアルバの家』などの大作を発表するとともに、ダンスサスペンス『The House』などのオリジナル脚本/演出/振付作品や、ダンスオペラ『恐るべき子供たち』などダンスのみならずジャンルを超えた演出振付作品を手がけ、「緻密で繊細な演出と構成力を強みとし音楽性豊かにダンス作品を生み出す今最も注目するべき振付家が率いるダンスカンパニー」と評価される。2016年ドイツ舞台芸術界の栄誉ある賞・ファウスト賞の振付家部門でダンスサスペンス『The House』が最優秀賞にノミネートされる。2018年3月マンハイム国立劇場からの招聘で新作『カルメン』全2幕を演出振付。2018年秋にレーゲンスブルク劇場ダンスカンパニー芸術監督退任を発表。『死と乙女』、ラクロ原作『危険な関係』全2幕を発表し2019年8月付けでダンスカンパニー芸術監督を退任。2019年7月にはスイス、ザングト・ガレン芸術祭から招かれ新作『Desiderium』を発表、世界遺産であるザングト・ガレン修道院にて上演。日本へ活動拠点を移し、帰国後数多くの話題新作を発表し続けている。また宝塚歌劇団にて講師を務め、雪組『ODYSSEY-The Age of Discovery-』、星組『Stella Voice』、月組『万華鏡百景色』、雪組『Frozen Holiday』、月組『Golden Dead Schiele』などの公演にて振付に参加。2023年秋、K-BALLET TOKYOが活動を展開するK-BALLET Optoのアーティスティック・スーパーバイザー(芸術監修)に就任。第19回ハノーファー国際振付コンクール観客賞と批評家賞同時受賞、平成19年度文化庁芸術祭新人賞、2018年「週刊オン★ステージ新聞」新人ベスト1振付家、平成24年度兵庫県芸術奨励賞、平成29年度神戸市文化奨励賞受賞。

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