Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(13)
「青山バレエフェスティバル - Last Show -」
『Under the marron tree』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子
日程:2015年1月29日
会場:こどもの城 青山劇場
最後の青山バレエフェスティバルで、井関さんがソロで『Under the marron tree』を踊っています。
穣さんが19歳のときつくった処女作です。NDTⅡ在籍時で、穣さん自身舞踊家としていろいろな振付家の作品を踊っていたころでした。どの振付家の作品も、これでもかというくらい動かされて、穣さんの中に「こんなにたくさんの動きをしないと作品ってできないのだろうか」という想いがあったそうです。そこでできたのが『Under the marron tree』。シンプルな動きで構成した作品です。
冒頭、舞台上にテーブルがひとつ置かれています。その裏側から私がぽとっと落ち、作品がはじまります。テーブルの裏に丸く穴が開けられていて、私はそこに肘と膝でカエルみたいにはりついている。まず肘を抜くと上半身だけ落ち、続いて膝を抜くと身体が落ちる、という仕掛けです。
リハーサルは、穣さんの求めるものとの闘いでした。『Under the marron tree』はもともと自分のためにつくられた作品ではなくて、私の中では感情移入しにくいところがありました。けれど私自身、あたかも自分のためにつくられた作品のように踊ろうとしていた。必死だったんです。でも何度踊っても穣さんにはダメ出しをされるし、自分でもしっくりこない。
どうしても掴めない。とにかく細かく音に合わせて踊ってみようと思いたち、本番前、劇場のリハーサル室でひとり練習を重ねました。自分の感情の波ではなく、音楽を聴きながら、ひとつひとつ言われた音にはめていった。そうしたら何かがはっきり見えたんです。忠実に振付に従ったことで、やっと自分が自分を超えられた。
そのとき学んだのは、作家の持つ力を信じて、借りる、ということ。この音でこの振りをするのは理由がある、という本質的なことをはじめて知りました。自分のために振付けられていたら、一緒につくっているから最初の段階でそこは乗り越えられる。けれど『Under the marron tree』は穣さんが他者のために振付けた唯一の作品で、創作過程で得るはずのものがなかった。
数年後にサラダ音楽祭で再び『Under the marron tree』を踊っています。そのときもやはり闘いでした。私もまた年を重ねていて、同じことをなぞったところでいいモノにはならない。すでに見つけて、手にしているものと年齢をすり合わせなければいけません。
初心忘るべからず、です。とても大切にしている言葉です。間違った意味で捉えられがちな言葉ですが、本質的な意味としては、その年齢、その年齢に見合った初心があり、それを見極めるべきということ。それを逐一思い出させてくれる作品です。この作品を踊るのが好きか嫌いかと聞かれたら、決して好きですとは言い切れない。いわば挑戦で、毎回そうなんです。
「NHKバレエの饗宴2015」
『supernova』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、亀井彩加、角田レオナルド仁、チェン・リンイ、石原悠子、池ヶ谷奏、吉﨑裕哉、梶田留以、佐藤琢哉
初演:2015年3月28日
会場:NHKホール
『supernova』は『Training Piece』の振付をベースにした作品でした。
衣裳はイッセイミヤケで、頭まですっぽり被る網タイツです。しかも私は全身白。みんなは黒の全身タイツです。あの格好でみなさんに「おはようございます」なんて言いながらNHKホールをうろついてたものだから、いろいろな意味で衝撃だったと思います。
黛敏郎さんの現代音楽の生演奏で、1回だけの公演でした。NHKホールの大空間で踊っているというのに、客席が全く見えません。しかも放送されるということで、良い意味の緊張感ではなく、本当に「緊張」だけしましたね。
公演の模様がその後NHKで放映されました。Noismとタイトルが出て、全身白の私がわっと画面に大映しにされた。もはや宇宙人です。「これはもう放送事故だ! これ放送していいの?」と、穣さんとテレビを見ながら大爆笑でした。
『箱入り娘』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、亀井彩加、角田レオナルド仁、チェン・リンイ、石原悠子、池ヶ谷奏、吉﨑裕哉、梶田留以、佐藤琢哉、上田尚弘
初演:2015年6月6日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川)、金沢21世紀美術館(石川)、Namsan Arts Center(韓国・ソウル)
新シリーズ・近代童話劇の第1弾作品で、3年ぶりのスタジオ公演となりました。
バルトークの『かかし王子』の音楽に穣さんが着想を得たのが作品のはじまりでした。『かかし王子』の物語を現代のニートに照らし合わせる、という趣向です。以前やはりバルトークの『中国の不思議な役人』で作品をつくったとき、『かかし王子』が穣さんの中で引っかかっていたようです。台本があって、みんな役がありました。私は箱入り娘役。見た目だけで人を判断するような娘で、最後はおばあちゃんになって、誰からも愛されず、孤独になっていくお話です。
ニートの部屋をつくり、劇場のホワイエに設置しています。部屋には私たちの私物を持ち込んで、うちからは古いテレビを持っていきました。ツアーごとに毎回この部屋をつくり、同じように再現しています。
一番大変だったのは映像の撮影です。穣さんはとにかく指示が細かい。それでいて編集せず、1曲分をワンカットで撮ろうとする。動線やカメラの位置まで全部計算し尽くしています。ワンカットだから途中でミスができない。そのドキドキ感は相当です。
人工芝が敷き詰められた舞台に箱がぽつりと置かれ、そこに4人がぎゅうぎゅう詰めで入っています。芝は目印が付けられないので、毎回メジャーで測って箱を設置していきました。作中シーン転換でいったん幕が閉じると、1分くらいでみんな総出でガーっと芝を引っ張り、ものすごい勢いでハケています。最後はただの黒い床になり、箱が1つだけそこに置かれている。ひとりになった老婆の心情を描写したものでした。
童話的な要素がある作品で、発想がすごく面白かった。木が突き刺さっている欅父がいたり、母親は異様に裾の広がるスカートを履いていていたり、王子は格好いい衣裳を着ているけど後ろを向いたらお尻が丸出しだったりと、飛躍がもう半端ない。楽しい作品だったと思います。小学生限定公演もしましたが、リアクションがとても可愛くて、刺激的な公演だったと思います。
でも私はずっとイライラしていた。今考えればこのころが1番きつかったですね。メンバーとも絶不調です。みんなと全く通じ合わなかった。自分はもっとできる、もっともっと上にいきたい、という想いがありました。ひとりでずっともがいていた。中川賢がケガで舞台を休んでいたときでした。賢が一緒に踊っていたらまた違い、通じるものがあった気がします。
みんながもっと頑張ってくれれば、もっと自分は舞台で生きられると思っていた。それより前は、自分自身がもっと上手くなりたい、という気持ちが強くあった。けれどこのころは、他人のせいにしていた部分があった。下の子たちに教えなければいけないのも苦痛でした。慕われることに対しても、疑問を持っていました。当時は育てたいなんて思っていなかったから。でも、教えなければ自分が思うようにできない。心身ともにボロボロでした。
子どもがほしいと本気で思ったのもこの辺りでした。30代半ばになっていて、子どもをつくるなら真面目に考えなければいけない。そのために舞台で踊るのを少し減らしています。
年齢的なこともあり、揺れていた。踊りたい自分もいるし、子どもを産むならそろそろタイムリミットが近づいている。治療もしました。でも治療で体型が変わることにも耐えられなかった。結局何を選択していいかわからない。踊らない方がいいのだろうかと思うのだけれど、そう思うこと自体が苦しかった。踊らないという選択をするのはあり得ない。だから結局選べなかった。
女性舞踊家は出産という問題に直面するけれど、これからカンパニーに来る子たちに、夢を諦める必要はないということを知ってほしいという想いもありました。子どもができてなお、プロの舞踊家として踊っていく、そんな理想を追いかけていた。けれど結局自分がそこに翻弄されてしまいました。
ここからの数年間は闘いの時期でした。子どもって本当に奇跡なんだと知りました。もちろん子どもがいたら素晴らしいでしょうし、そういう人生もあったかもしれない。今でも妄想するときはあります。だけど、認められるようになりましたね。いろいろなことを求める過程で、自分のエゴだったり、弱さだったり、本当に大切なモノだったりを。人生で最大の勉強をした時期だったと思います。
Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(14)につづく。
プロフィール
井関 佐和子
Sawako ISEKI
Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督 / Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
Noism
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。https://noism.jp/








