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バレエ、ダンス、舞踏、ミュージカル……。劇場通いをもっと楽しく。

93歳のバレリーナ 雑賀淑子(9)

戦時中にダンスをはじめ、パリ留学を経て、小牧バレエ団のプリマとして活躍。サイガバレエを主宰し、93歳となった今なお現役を続ける雑賀淑子さん。そのバレエへの愛と半生を語ります。

パリ・オペラ座のダンサーたち

オルガ先生のレッスンの常連に、若いプティスジェの夫婦がいました。エトワールと違いまだプティスジェということで、私たちも彼らなら気兼ねなく話せます。二人もとても気さくで、私たちとも仲良くしてくれました。

ある日のこと、事件が起きました。奥さんが突然姿を消したのです。プティスジェとはいえオペラ座の団員ですから、新聞にも大きく取り上げられました。夫の方はそれでもクラスへ参加しています。「僕も彼女がどこにいるかわからないんだ」と涙ぐんでいます。私たちは「元気を出して、きっと大丈夫よ!」と励ますしかありません。

けれど警察がいくら探しても、奥さんは見つかりません。
2週間以上経ち、私たちも、もしやもうこの世にいないのでは……。などと心配したものです。すると、ノルマンディーだったでしょうか、田舎の宿屋に彼女がいるのが発見された。

記事が新聞に載りました。
「自分はもう舞台の上手や下手で踊るのに飽きた。舞台の真ん中で踊りたい。それができないなら、ここにこのままこもってる」と彼女が泣きながら言った、と書いてありました。

このことはしばらくの間話題になり、雑誌にも取り上げられました。彼女はその後、バレエ団に戻っています。最終的に、グランスジェまでいったと聞きました。エトワールにはなれませんでした。

バレエだけをみつめて生きる

オルガ先生の「アラポルト(出ていけ)!」がなかったら、私は中途半端なダンサーで終わっていたでしょう。けれどオルガ先生のおかげで、根本的な自分の欠点がわかり、生まれ変わることができた。

気づけば、私はオルガ先生に1番可愛がられる生徒になっていました。ただ可愛がられすぎて、今度は先生が私を離してくれなくなりました。

オルガ先生のレッスンは1日3クラス。最初はエトワール・クラスで、私も毎朝レッスンを受けています。レッスンが終わると「トシコがいると楽しい。次のクラスも招待するからいてくれ」と先生に引き留められ、続いて中級クラスに参加することになる。中級クラスが終わると「お前がいてくれると助かるから」とまた引き留められ、今度は初級クラスに参加することになる。

オルガ先生は高齢で自分で踊ってみせることができなかったので、初級クラスでは私がかわりに手本をみせるのです。初級クラスに来ていた男の子と女の子が私のファンになり、「マドモアゼル・トシコと一緒にレッスンする!」と言うから余計に帰りにくい。私はオルガ先生のもとで1日3クラスをこなすようになりました。

レッスンが終わると劇場へ向かいます。パリまで来たからには勉強しなければと、夜な夜なステージを観て歩きました。バレエだけでなく、芝居、オペラ、オペラ・コミック、マジックショー、人形劇ーー。

パリ・オペラ座にはじめて行ったときは、本当に感動しました。ガルニエの階段に座り、感極まって涙したものです。大劇場だけではなく、小劇場やスタジオ公演にも足を運んでいます。稽古場の掲示板にさまざまな公演の広告が貼られていて、チラシをチェックしては、関係者だけが行くような小さな会にも繰り出しました。

モーリス・ベジャールをはじめて目にしたのも、そうした小さな会でした。会場はパリから電車で1時間くらい離れた郊外でした。日本でいえば東京から横浜に行くくらいの感覚でしょうか。駅ビルの中にある小さな劇場が会場です。ただ出演者はなかなかの豪華キャストで、エトワールをはじめパリ・オペラ座のダンサーも出ています。

客席は関係者ばかり。隣の席は、ちょうどオペラ座のディレクターになったセルジュ・リファールでした。知人に「トシ、この人、ムッシュ・セルジュ・リファール」と紹介され、彼に挨拶しています。

リファールは舞台がはじまったとたん、こっくりこっくり居眠りをはじめました。多忙な方なので、きっとお疲れだったのでしょう。知り合いばかりの会で、終演と同時に出演者がホールに出てきます。するとどうでしょう、リファールはエトワールのところに駆け寄って「すばらしかった!」とハグするではないですか。人生勉強になりました。やっぱり誰だって第一声は褒めてもらいたいもの。何を置いてもまずは「がんばったね」と言うべきだとそこで学びました。

ほかのキャストがクラシックを踊るなか、ベジャールはほうきを持って自作自演のソロを踊っていました。「なんかヘンな作品!」というのが、私の正直な感想でした。彼はまだ若く、すらりとしてなかなか可愛い青年でした。当時20代中ごろで、彼がバレエ団をつくるずっと前の話です。

93歳のバレリーナ 雑賀淑子(10)につづく。

プロフィール

photo:Ayano Tomozawa

雑賀淑子(さいが・としこ)
1932年8月11日生まれ。9歳より彭城秀子のもとでモダンダンスをはじめる。戦後小牧正英バレエ学園でバレエを学び、小牧バレエ団入団。その間パリへ留学し、オルガ・プレオブラジェンスカ、ビクトル・グゾフスキー、ルネ・ボン等に師事。振付をネリー・ブーシャルドに学ぶ。小牧バレエ団を退団後、サイガバレエ研究所及びサイガバレエを設立。ステージ・テレビ等で古典及び創作バレエの上演、また各地で様々なパフォーマンスを繰り広げている。サイガバレエ研究所主宰。舞踊作家協会理事、(一社)青少年音楽協会理事。https://www.saiga-ballet.com

 

 

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