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マリインスキー・バレエ 永久メイ インタビュー!

今春マリインスキー・バレエに正式入団を果たし、現在セカンド・ソリストとして活躍する永久メイさん。この冬の来日ツアーでは、『ドン・キホーテ』、『白鳥の湖』、ガラ公演『マリインスキーのすべて』に出演し、マリインスキーも認めたその実力を披露します。来日公演を前に、永久さんにインタビュー! マリインスキー・バレエ入団の経緯と、公演への意気込みをお聞きしました。

12歳のとき出場したユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)で優勝し、モナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーに留学されています。モナコでの学生生活はいかがでしたか?

永久>YAGPで3校からスカラシップの申し出をいただきましたが、なかでもモナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーは年間スカラシップだったのと、友だちが行っていたこともあり、迷うことなく決めました。中学一年の一学期だけ日本の学校に通い、13歳でモナコに留学しています。

モナコでは思い切りホームシックになりました。ホームシックは治らなくて、今でもなります。休暇で日本に帰国して、また向こうに戻るときはいつも“帰りたくない!”って思ってしまう。海外と比べて日本はやっぱり住みやすいし、帰国するたび“日本は本当に素晴らしいな!”と感じます。今年の夏休みは日本に一ヶ月以上滞在することができました。休みが長いのはうれしいけれど、その分ホームシックが心配です(笑)。

モナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーに通っていたのは4年間。学校は本当に厳しかったです。ルールもたくさんあるし、バレエスタジオの地下に寮があったので、どこにいても見張られているような気分というか……。体重制限があって食べる物が制限されているため、モナコの学生たちは食に対していつも欲求不満状態です。私も休みで日本に帰るたび、ここぞとばかりに大好きなお菓子を食べていました(笑)。

私が通っていた頃は学校がコンテンポラリー・ダンスにかなり力を入れていて、コンテンポラリーのクラスがカリキュラムにたくさん組まれてました。他のバレエ団からも先生がワークショップに来たり、モンテカルロバレエ団のレパートリーをコンテンポラリーのクラスで習ったり、テストのときはその作品を踊ることもありました。もともとコンテンポラリーは苦手だったのですが、これだけクラスがあるとやらざるをえない。苦手を克服しなければと、がんばって課題をこなしました。

 

 

アカデミー在学中に、マリインスキー・バレエへの入団を打診されたそうですね。

永久>学校の二年目が終わった夏休み、カリフォルニアで開催されたYAGP関連のマスタークラスに参加して、そこでマリインスキー・バレエのユーリーファテーエフ監督に声をかけていただきました。私は当時15歳。卒業まであと二年間あると思っていたので、その先のことは全く考えてなくて。海外で踊りたいとは思っていましたが、ロシアというのは全く頭になかったですね。学校の先生もヨーロッパで活躍している方が多かったので、踊るならヨーロッパのバレエ団なのかなとぼんやり考えてました。

入団に先駆け、2016年4月にマリインスキーで開催された国際バレエ・フェスティバルに出演することになり、そのとき初めてロシアに行きました。国際バレエ・フェスティバルでは、『ラ・バヤデール』のつぼの踊りを踊っています。マリインスキーで踊るのだからと、モナコの校長先生が毎日一緒に練習をしてくださいました。

ロシアには一週間ほど滞在しました。マリインスキー・バレエ団のメンバーと一緒にレッスンをしたのもいい経験でしたし、劇場もすごくステキで、“私がここで踊るんだ!”とうれしい気持ちでいっぱいでした。緊張せずに楽しめたけど、ただ初めて踊ったときのことは全然覚えてなくて。きっと興奮しすぎていたんだと思います(笑)。ロシアに行ってからは、もうマリインスキーのことばかり考えていましたね。

それから二年間モナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーに通い、卒業と同時にロシアに行きました。ただ当時17歳だったのでワーキング・ビザが取れず、まずは研修生として入団しています。

 

(C)Natasha Razina

 

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