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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(24)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

退団のジンクス『One of a Kind』

『Bella Figura』と並び、私のNDT1時代の代表作となったのが『One of a Kind』でした。ただ『Bella Figura』はうつくしく受け入れやすい作品であるのに対し、『One of a Kind』はより哲学的で咀嚼するのに労力が必要だったりと、それぞれ作品のテイストは異なります。私の中で『One of a Kind』は一番重い作品で、いまだに夢でうなされることもあるくらい。それだけ大きなプレッシャーがあったということだと思います。

冒頭、客席に座っていたひとりの女性が舞台へ上がり、彼女は見ている存在から見られる側の存在になる。からっぽの舞台で踊る彼女のソロからはじまり、ダンサーたちが群舞やデュオを踊る間も、彼女はそこに居続ける。幕間も女性はずっとひとり舞台上で踊り続け、最終的に暗闇の中に消えていき、場だけがそこに残されるーー。

冒頭のソロからはじまり、ラストまで舞台上で踊り続ける。20分の休憩が2回あり、その間も即興で踊り続けます。まるで長い旅に出るようです。『One of a Kind』は踊り手にとって果てしない作品で、体力的なきつさに加え、人を拒む険しい山にひとり挑むような恐ろしさがありました。

『One of a Kind』はオランダの憲法記念のためにつくられた作品で、“個”がテーマに扱われています。このメインキャストに抜擢されたダンサーは、一年後にカンパニーを辞めると言い出すというジンクスがありました。『One of a Kind』という作品自体が、ダンサーに独り立ちのきっかけをつくる。キリアンとしては、そのとき一番いいと思うダンサー、育てたいと思うダンサーを起用する訳だけど、この役を踊るとみんなカンパニーを離れてしまう。ある意味アイロニーではありますが、作品に込められた“個”というテーマが独立を促し、ダンサーとして独り立ちしようと考えさせるのかもしれません。

『One of a Kind』は私が27歳のときに初演を迎え、その後2年間踊りました。私の場合はこの作品がきっかけという訳ではありませんが、NY公演でこの作品を踊ったのを最後にカンパニーを離れています。

『One of a Kind』は『Bella Figura』『Black & White』『Where About Unknown』『かぐや姫』と並ぶカンパニーの看板作品として、たびたび再演を繰り返していきました。日本ツアーのプログラムにも選ばれ、私も彩の国さいたま芸術劇場で踊っています。当時館長をされていた諸井誠さんがそれを観て、“うちでソロ作品を踊って欲しい”と声をかけてくださり、それが後に彩の国さいたま芸術劇場でキリアン振付作『BLACKBIRD』を上演するきっかけになりました 。

1999年、NDTを退団

気付けばNDTに入って9年の月日が経っていました。長いこと同じカンパニーにいると、だんだんそこが自分のアイデンティティになってくる。一日のスケジュールが決まっていて、月にもらうお給料も決まっていて、生活のパターンというものができてくる。そうなるともうそこから離れた自分を想像しにくくなってきて、離れるのが怖くなってくる。当時の私は、そんな自分を好きにはなれませんでした。

あるとき脚の靱帯を痛め、6週間カンパニーを休むことになりました。仕事場から離れるのは不安でしたが、実際のところ、予想以上に平穏に暮らす自分を発見しました。“あぁ、全然大丈夫だ。これはもしかしたら潮時なのかな”とそのとき感じた。ケガから復帰し、NYツアーで『One of a Kind』を踊り、それが最後の舞台になりました。

NDTは次年度のプログラムをかなり前の段階で発表するので、カンパニーを離れる場合は数ヶ月前に伝えなければなりません。まず12月のミーティングで“辞めます”という意志表示をし、その空きを埋めるためカンパニーはオーディションを開催し、新しいメンバーを選ぶ、という流れです。けれど私が辞めるという意志表示をしたのは最後のツアーに出る直前で、“やっぱりこの舞台でカンパニー離れます”と伝えています。ケガをしたのが春で、カンパニーを辞めたのは7月だったので、かなりぎりぎりのタイミングです。キリアンは“『One of a Kind』も踊り、これからも一緒にたくさん創作をしていきたかったのに残念だ”と言ってくれました。

1999年、NDTを退団しました。辞めた後のことは全く考えていませんでした。ノープランです。とにかくNDTから離れたかった。けれど他のカンパニーに移籍しようという考えもなく、踊り続けたいのかすらわかりませんでした。

キリアンから与えてもらったものは数え切れません。キリアンと出会う前、私は何ものでもなかったから。

キリアン作品は重く暗いのに、何故か観たあと光が感じられる。それは踊り手にとってもそう。『Bella Figura』の初演のとき、“ようこそキリアンワールドへ”とキリアンに言われ、これがキリアンワールドなんだ、と思った。あのときのキリアンの言葉は今も忘れられず心に残っています。

『One of a Kind』のラスト、ダンサーがすっと闇に消えて終わる。それと同様、私たちは生まれてからさまざまな経験をし、頑張ったり泣いたりしながら、最後は命尽きて消えていく。ただその人が消えたとしても、生きていた場というのは残る。

キリアンにとって、場が残るというのがたぶん一番大切なこと。多くのものが生まれては死んでゆくこの世界で、常に変わり続ける営みを支える場が変わらずあり続けるということが、彼にとってはとても大事なことのように感じます。

キリアンの考えが行き着く先は“あなたの存在も私の存在も全く無意味なものだ”というもので、とても悲観的ではあるけれど、最終的に“全く無意味な存在だと思い知るところに救いがある”という想いに向かっていく。

なかなか共感しにくいところではあり、けれどそこにキリアンの世界観というものがある。21歳でカンパニーに入り、ダンサーとしてその世界観を理解し、体現しようと格闘するなかで、自分自身の羅針盤が形作られ、精神の北極星を見い出していった。それはたぶん私だけではなく、キリアンのもとで踊っていたダンサーたちはみな同じ想いを共有していたと思います。

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(25)につづく。
 

インフォメーション

Iwaki Ballet Company『Ballet Gala 2023』
新宿文化センター
2023年5月21日
https://ibc.yukie.net/schedule.html

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<ワークショップ>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

 

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。

 

 

 

 

 

 

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