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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(32)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

子どもを産むか産まないか

ダンサーのキャリア形成にはいくつかの道があり、壁もあります。私が思うに、NDT以外のカンパニーで踊ったことのないダンサーは、長くNDTにいる傾向がある気がします。NDT2でキャリアをスタートし、NDT1で踊り、NDT3に移り、バレエマスターになってーーと、定年退職までNDTとずっと関わり、そのままハーグに住み続けていく。一方、カンパニーを転々とするダンサーもいて、彼らは一ヶ所にあまり長く定着することはなく、一時期所属してもまたどこかへ移り、違う場所で踊り続け、キャリアアップを目指していく。

いずれにせよ、女性ダンサーがキャリアを重ねていく上でひとつの壁となるのが出産で、子どもを産むか・産まないかという選択をいつか迫られることになる。どこかでその選択を考えつつ踊り続け、30代中盤になるとタイムリミットを感じるようになり、けれどその頃はダンサーとして一番脂が乗ってくる時期でもある。特にNDTはダンサーが国際的で、ずっとオランダにいるとは限らない。そこでどんな選択をするか。

私がNDTに入団した頃は、結婚しても子どもを産まずダンサーに専念する、という風潮がカンパニーにありました。そんななか誰もが認めるザ・ベテラン女性ダンサーが子どもを産み、あっという間に復帰してきた。彼女をきっかけにNDTにベビーブームが起こり、子どもを産むダンサーが一気に増えた。けれどベテランの彼女もふたり目の子どもが逆子で大変な難産になり、ダンサーを続けていくのが難しくなってしまった。現役を退きバレエマスターになったものの、バレエマスターもツアーが多く、結局辞めてバレエ学校の先生になった。

ダンサーは出産ぎりぎりまで動いていることが多く、そのため妊娠中毒になってしまったり、難産になったり、産後の肥立ちが悪くなるケースも多いようです。無事に産まれたとしても、NDTはツアーが多いので、そのたび子どもを預けなければならない、という苦労もある。そうした心労が重なり、産後うつになる人もいる。

出産後にカンパニーへ戻りはしても、実際問題ダンサーとして復帰するのは難しく、舞台に立てないまま在籍するような人も多く出てきた。形式的には復帰しているのでカンパニーもダンサーを新たに採用することはできず、16人のダンサーのうち4人が休みということになると、それ以外のメンバーがそのぶん負担することになる。女性ダンサーはそこで辞めていくことも多く、一時期ベビーブームが起こったけれど、その後は逆にダンサーの出産の厳しさをみんなが感じることになった。そういう意味では男性ダンサーの方がキャリア形成は易しいと言えるでしょう。

私は29歳までNDTにいましたが、在籍中は子どもや家庭について考えることはありませんでした。私が子どもを授かったのはNDT退団後で、フリーランスとして活動をはじめたころのことでした。父親はキリアンです。

フリーランスで母になる

妊娠4ヶ月まで舞台で踊り、出産の2ヶ月前まで教えの仕事を続けました。難産で苦しんだ先輩ダンサーたちの例があるので、周りには“早めにレッスンをストップした方がいいよ”と何度も言われたけれどーー。

NDTに入団した当初から、カンパニーを辞めたい、とずっと思い続けていました。NDTを辞めたいのか、ダンスを辞めたいのか、日本に帰りたいのかわからなくて、自分でもその気持ちを持て余してた。けれど子どもができると、ダンスを辞めたい、他の職業に移りたい、という気持ちはなくなった。外国人の私が子どもを育てる上で必要な生活費なり養育費なりのお金を稼ぐには、やはりダンス以外に想像がつきません。

大きなお腹を抱え、パリ・オペラ座バレエ団やモンテカルロ・バレエ団などあちこち指導に行きました。自身も子どもがいるお母さんダンサーはともかく、男性ダンサーは“怖くて触われない”“リフトなんてとてもできない”“頼むから動かないで!”と言っていましたね。

教えの仕事は泊まりがけで行くことが多く、食事も外食が増えがちです。妊娠中はつわりで魚などタンパク質の焼ける匂いがダメになってしまい、ベジタリアンのレストランを選ぶようになりました。食べ物の嗜好というのは面白く、普段はバターの類はあまり口にしないのに、妊娠中はなぜか無性に食べたくなった。キリアンのお母さんがバターが大好きで、よくパンにこれでもかと厚塗りしていましたが、いざ子どもが産まれたら同じようにバターをたっぷり塗って食べています。もしかして子どもがほしがっていたのでしょうか。

子どもを産んだのは33歳のときで、オランダで自宅出産をしています。日本では自宅出産を選ぶ人は少ないけれど、オランダではごく当たり前のこと。高齢出産や逆子など医療処置が必要でない限り、みなさん自宅で産んでいます。子どもを産むというのは自然なことで、病気ではないから病院に行く必要はない、という考えです。それに病院は病気の人が集まるのでたくさんの菌があり、産んだとたん感染してしまう危険もある。自宅出産なら産まれたときから自分の家の菌に慣れるので、免疫力が強くなるなど、さまざまなメリットがあるといいます。陣痛がはじまって慌てて病院に駆け込むようなこともなく、妊婦にとっても負担は少なくなってきます。

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(33)につづく。
 

 

インフォメーション

 

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

草刈民代プロデュース
『Infinity Premium Ballet Gala 2023』
2023年7月29日・31日
オーバード・ホール(富山公演)
新宿文化センター(東京公演)
https://classics-festival.com/rc/performance/infinity-premium-ballet-gala-2023/

横浜能楽堂 
『芝祐靖の遺産』
2023年8月5日
https://yokohama-nohgakudou.org/schedule/?cat2=7

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<クラス>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。
 
 
 
 
 
 

 

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