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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵 (4)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

国際コンクールの成果が条件

母は私がバレエを続けることに懐疑的で、できれば別の道に進んで欲しいと考えていたようです。高校生になると何かにつけ“もうすぐ試験なんだからバレエのお稽古は休みなさいよ”と言われるようになりました。親としてはそれが普通の感覚なのかもしれません。しかし私は大学には行くつもりはなく、だからといってどうするという具体的なプランもなく、バレエを続けたいという気持ちだけが強くありました。

けれど当時は今ほど情報がオープンではない時代で、海外のバレエ事情はよくわからない。パリ・オペラ座バレエ学校の本を見ていても、劇場はデコラティブだし子どもたちも妖精のようで、自分が踊っているバレエとは別世界のもののような気がしてどうも結び着きません。“自分がプロになったら”とか“ヨーロッパに行くならどうする”といったことも皆目わからず、全く想像がつかない状態でした。

母は私を医者にしたいと考えていて、いろいろな大学の医学部の情報を集めていました。父の家系は代々医者をしていましたが、祖父の代になって誰も跡を継ぐことなく、ひとりが学者になり、ひとりが芸術家になった。次の代で誰かを医者にしようと思ったら、ヴァイオリン制作者とヴァイオリンの先生になってしまって、また誰も跡を継がなかった。

じゃあ3代目にあたる私が継ぐかもしれないと、母は期待をかけたのでしょう。でも私は医者ではなく、バレエの道に進みたい。そうと宣言すると、“国際的に認められたらバレエを続けてもいいけれど、そうでなければダメ”とひとつの条件を課せられました。      

自宅にて

伝説のプリマの教えを請う

学生時代は講習会にも積極的に参加し、多くをそこで学びました。日本バレエ協会が主催する年に一回のバレエの講習会でバーゼルのピーター・アペール先生に毎年教わり、成長過程を見ていただけたのもいい経験でした。

マーゴ・フォンテインが講習会をしたときは、中学生ながら清水哲太郎さんや森下洋子さんなどプロのバレエダンサーに混ざって参加させていただきました。マーゴに『コッペリア』と『海賊』のヴァリエーションを教わったのも貴重な経験です。

私が小学生の頃、ボリショイ・バレエが神奈川県民ホールで来日公演をすることになりました。私はリュドミラ・セメニャカが大好きで、テープがすりきれるまで繰り返し彼女の踊りを観ていました。

ボリショイ・バレエが横浜に来るならば、どうしてもセメニャカに会いたい。父があれこれコネを駆使して大使館とやり取りした結果、特別にボリショイ・バレエの朝のレッスンを見学させてもらえることになりました。そこでセメニャカから直々に第一アラベスクを教えていただいたのも忘れられない思い出になりました。

見たこともないようなプリエに……

工藤大弐先生の講習会も印象に残っています。工藤先生はパリ在住で、年に一回日本で講習会をされていました。バレエのレッスンというのは長々と説明を聞かされて、少し動いたと思ったらぱちっと音が止まって説明がまた入り、バーが終わった頃には帰らなければいけなかったりと、注意事項が多くあまり実際に動けないことがよくあるもの。けれど工藤先生は一切止めずにどんどんクラスを進めていくので、センターになったとき身体が有効に働いて、今までできなかったことがするするできるようになっていく。さらに講習会ではそれまで触れたことのなかったネオ・クラシック作品を教えていただいたりと、すごく楽しかった覚えがあります。

あるとき工藤先生が講習会の生徒の中から数名をパリに短期留学させるという取り組みをスタートし、私もそのひとりに選んでいただきました。パリに行ったのは高校二年の冬休み。私にとってはイタリア以来の海外です。パリの印象は、すごい大都市だなということ。工藤先生はパリにある大きな私立のバレエ学校で教師をされていて、先生の担当している上級クラスでレッスンをさせていただくことになりました。

先生のお宅は郊外にあって、車で学校に行くこともあれば、地下鉄を乗り継いでレッスンに行くこともありました。先生はパリ・オペラ座バレエ団の公演やヴェルサイユ宮殿に連れて行ってくださったりと、レッスン以外の部分でも大変お世話になりました。

外国人に混ざってレッスンをするのは初めての経験です。みんな本当にスタイルが良くて、脚が腰から出ているのかしらと思うくらい。日本人とヨーロッパの人たちでは股関節の状態も違っていて、四番プリエなんてもう見たことのないようなプリエをしてる。

そのクラスの生徒は選ばれた人たちだったので、余計に優れて見えたのでしょう。自分とは肌の色も頭の大きさも違うし、すごく違和感がありました。その後フランスのバレエ団に入ることになりますが、日本人でこういう骨格に生まれた私が何で彼らに混ざってチュチュを着て肌を白く塗って舞台に立っているのだろう、という違和感は踊りながら常に感じていました。           

ローザンヌにて

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(5)につづく。

 

インフォメーション

<公演>

 DaBYツアー『パフォーミングアーツ・セレクション 2022』
〜2022年12月11日
https://dancebase.yokohama/event_post/performing_arts_selection2022

アーキタンツ ショーケース
2022年12月18日
http://a-tanz.com/event/28109

 

<ワークショップ>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

 

<オーディション>

(公社)神奈川県芸術舞踊協会主催公演 「モダン&バレエ 2023」
中村恩恵作品 出演者オーディション 2023 年 3 月 21 日開催
2023 年 10 月 28 日上演 「モダン&バレエ 2023」の出演ダンサーをオーディションで募集。
詳細は追って協会HPで発表。
https://dancekanagawa.jp/

 

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。

 

 

 

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