ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(31)
アーティストの理想と現実の狭間で
『BLACKBIRD』の初演は2001年10月6日。本番に先駆け早々にさいたま入りし、劇場でリハーサルを重ねています。
当時私の姉が出産間近で、さらに地元に台風が上陸してと、実家が大変なことになっていました。私も日本にいることだし、公演の直前ではあるけれど、実家の様子を見に行った方がいいかもしれないーー。リハーサルが終わり、台風情報を見ようと夜ホテルの部屋でテレビをつけたら、ビルに飛行機が突っ込む映像が映し出された。映画か何かと思っていたら、続いて2機目がビルに突っ込んでいく。9.11のアメリカ同時多発テロでした。
大きな衝撃を受け、動揺し、“こんなときに舞踊をやっているべきなのだろうか”と心乱れた。『BLACKBIRD』は“人々は共感することができる”というテーマを掲げているのに、現実はそうではなく、宗教や社会の亀裂が目の前に映し出されている。人間同士の憎しみがこんなにも巻き起こっている社会の中で、今自分が限られたお客さまのために『BLACKBIRD』という作品を踊り、それがどう社会に還元するのだろうと考えた。何かもっとメッセージ性なり力あるものを発信していかなければいけないのではないか、というアーティストとしての自負と葛藤がものすごい勢いで渦巻いていった。
作品はすでに幕を開けられる状態まで出来上がっていたけれど、作品が産み落とされる直前に恐ろしいことが起こったことで、やはり動きの香りというものは変わっていく。振りは変わらなくても、そこで受けた衝撃や傷のようなものが作品の中にグサッと入り込んでいるような気がします。
自分がアーティストとしてこういう生き方を提示したいと思っている、その理想と現実のギャップが実際の社会の中にある。初演をしたとき受けたイメージというのは作品の中に固定されている気がして、『BLACKBIRD』を踊るたび今でもそれを思い出します。
再演はケン・オソラと
翌2002年、『BLACKBIRD』を彩の国さいたま芸術劇場で再演しています。初演前から再演の話は出ていたものの、「まずは産み落としてみてから『BLACKBIRD』がきちんと飛べるかどうか見極めたらいいのではないか」というキリアンの言葉があり、再演については初演の後に決定した形でした。
再演のときはケンと一緒に踊っていて、なのでかなり見え方は変わっていたと思います。彼は私より一年早い入団で、NDT2在籍時は共にカンパニーの寮に住んでいました。ケンが寮で飼っていた猫が私の部屋に住み着いてしまい、そこからすごく仲良くなった。彼とはとても気が合って、寮を出たとき二人でアパートを借り、しばらく一緒に暮らしています。ケンとは仕事でさまざまな国を共に訪れ、プライベートではディスコに一緒に行ったりと、友人としてたくさんの時間を共有しました。NDT2ではキリアンの名作『Un Ballo』をケンと踊り、NDT1では『One of a Kind』『Symphony Of Psalms』といったキリアン作品のほか、オハッド作品などいろいろな作品を一緒に踊っています。
ケンは本当に素晴らしいダンサーで、ブッタのように静かで動じず、それでいて身体は活発に動いてる。チーターのように筋肉がしなやかで、瞬発力とコントロールに優れてる。踊る彼は無表情で、そのぶん身体で語る。何て上手いのだろうと、一緒に踊っていていつも感心させられていました。
後にケンと一緒にキリアン作品を教えに行くようになり、そこではじめてその秘密を知りました。ケンのコーチングは本当に細かく、ステップひとつひとつについて“こういう風に動くとこういう結果につながる”と、こと細かにテクニックがアナライズされている。彼のダンスの才能は持って生まれたものだろうと考えていたけれど、教える立場になってようやくわかった。こうやって考え、こうやって練習していたから、あんなに上手かったのだと改めて気づかされました。
妊娠中に舞台に立つ
再演のとき、私は妊娠中で、14週を超えたころでした。初産ということもあり、自分が公演のときどういう体調になっているのか、どのくらい動けるのか、きちんと踊ることができるのかわからない。公演は告知され、チケットはすでに売り出されていました。けれど私自身、ベストのパフォーマンスがきるかどうかわからない。キャンセルした方がいいのではないかと思ったけれど、“それは難しい”という話になった。
ベストの状況でパフォーマンスに臨めているということがプロとして一番大切で、ベストの状況に持っていくために生活を調整し、実際にお客さまにベストの状態をみてもらうようずっと務めてきました。NDTにいたときは、私はカンパニーのいちダンサーであり、自分が第一キャストに入っていても、体調が悪くベストのパフォーマンスができなければ、もっと良い状態の第二キャストが踊ればいい、と考えていた。お客さまは私を観に来ているわけではなく、NDTというカンパニーでありその作品を観に来ているのだから、という意識が強くありました。
けれどフリーランスとなった今は、みなさん中村恩恵を観に来てくださっている。それを裏切らないという覚悟ができた。病気でも、どこか不自由でも、車椅子でもいい、必ずしもベストの状況でなくても、パフォーマンスとしては成立するのだという方向に考えがシフトした。今の状況でいい、そのときの自分を十分に出し尽くすことができ、そこで生きることができたら実はそれでいいのではないかと、自分の中の価値観が変わった。そこから私の踊りが飛躍的に変わった。そのころから踊りが楽しめるようになったもしれません。
キリアンのHPに『BLACKBIRD』の映像部分が紹介されている
http://www.jirikylian.com/creations/theatre/blackbird/#
ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(32)につづく。
インフォメーション
新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/
貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml
草刈民代プロデュース
『Infinity Premium Ballet Gala 2023』
2023年7月29日・31日
オーバード・ホール(富山公演)
新宿文化センター(東京公演)
https://classics-festival.com/rc/performance/infinity-premium-ballet-gala-2023/
横浜能楽堂
『芝祐靖の遺産』
2023年8月5日
https://yokohama-nohgakudou.org/schedule/?cat2=7
神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp
<クラス>
中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428
中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com
プロフィール
中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。