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Noism設立20周年! 国際活動部門芸術監督 井関佐和子インタビュー

日本初の公共劇場専属舞踊団として、2004年にりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館に誕生したNoism。設立20周年を迎えた今、国際活動部門芸術監督・井関佐和子が想うこととはーー。これまでの20年と、現在、そしてこの先の展望を聞いた。

2022年に体制が変わり、Noism Company Niigata 国際活動部門芸術監督に就きました。現職の役割についてお聞かせください。

国際活動部門芸術監督として、舞踊家との契約、広報、制作面まで、全般的な部分を手がけています。どういう風にNoism1をプロデュースしていくか、制作と一緒に話をしたり、例えば写真をどれにするか決めたりもします。プログラムを何にするかや、再演の演目選びもそう。国際活動部門芸術監督に就いたのは『鬼』の初演後でしたけど、その再演は私が決めました。

今回の20周年記念公演はダブルビルですが、その内容についても私の方から穣さんに依頼しています。実は穣さんが2月頃「もう一個つくろうかな」と言い出して、それは止めました(笑)。「今つくりたいのはわかるけど、ちょっと待って。まだまだ公演はあるから」と。だから今回はトリプルビルになるかもしれなかった。たまに穣さんの脳みそを整える役目もしています(笑)。

『Amomentof』リハーサル 撮影:遠藤龍

メンバーの相談に乗ることも仕事のひとつです。以前は芸術監督と演出振付家を穣さんが兼ねていましたが、それがわかれたことで、メンバーとの関係に一線を置けるようになった気がします。振付家から稽古中に「動きが違う」と厳しく言われることがあったとしても、それは舞踊家としての彼らに対して言っていることで、彼らの人格そのものに関わってくることではない。

けれどやはり芸術監督と振付家が一緒のときは、その部分が危ういところもありました。だけどそこがわかれたら、みんなも落ち着いた。私になら些細なことも話しやすいだろうし、実際相談しに来ることもよくあります。例えば、これからの人生について。私にそのことを話すことによって、振付に何の影響もないわけだから、彼らも言いやすいのでしょう。

今の子が多く抱えているのは、コミュニケーションについての悩み。年齢的にみんな若いというのもあるけれど、人とコミュニケーションが取りにくいと言う。やっぱり踊っていると、自分、自分、になっていくんですよね。自分のスキルだったり、自分がどうあるか、ということになってしまう。

だけどあくまでもNoismは集団として活動していて、毎日みんなと顔を合わせている。もちろん自分に集中する瞬間はあっていい。でもみんなともっとコミュニケーションを取ることができれば、より高みを目指すことができる。みんな個人主義になりがちになっていて、そこに対して問題意識はすごくあって、でもどうしていいかわからない。どう解決していいかわからない、ということが多々ありました。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

一年に一度のメンバーとの契約トークも私の役目で、みんなとそれぞれ話をします。コミュニケーションについてはほとんどが抱えている問題で、そこで吐き出すことによって、自分ひとりではないんだということを感じたりもする。実際その話をした後からいい空気が流れるようになった気がします。

誰でもへこんだりすることはあるじゃないですか。それを支え、助けてくれるのが同僚や仲間のはず。私や穣さんなど立場の違う人間に求めてもそれは違う。この人たちに認められればいいんだという判断基準を持ってしまうと、彼らと私たちだけの関係になってしまうから。

例えば穣さんにだけ意識が向いていると、穣さんに“ノー”と言われたら全てが“ノー”になってしまう。でも人生はそれだけではない。豊かさがなくなるし、深みがなくなってしまう。“ノー”といわれたら、その“ノー”の意味をみんなで語り合えばいいし、みんなそれぞれ違う意見がきっとある。

やっとみんな普通にコミュニケーションを取って、自分たちで関係性を良くすることができるようになってきた。そういう意味で、最近はちょっとずつ深みができた感じがします。みんな点でバラバラの方向を向いているのも良くないし、かといってみんなが同じ方向を向いていますという振りも良くない。同じ方向を向くためには、やっぱりみんなそれぞれに語り合わなければいけないということですよね。

『Amomentof』リハーサル 撮影:遠藤龍

20周年記念公演として、Noism0+Noism1+Noism2総出演の『Amomentof』とNoism0+Noism1出演の『セレネ、あるいは黄昏の歌』のダブルビルを上演します。プログラムはどのように決めたのでしょう。

まず穣さんに「つくりたいものをつくってください」と伝えました。でもこれって、振付家にとっては一番悩むパターンですよね(笑)。

穣さんの頭の中には“こういう作品がつくりたい”というものがいろいろあって、それは私も日々聞いています。実際それらはパソコンにたくさん書かれていて、“つくりたいものは何か?”=“何をピックアップするか”という作業にもなる。ただ今回はその“何をピックアップするか”という思考をしなくていいよ、ということ。抽象的なものをつくったから、次は具象的なものをつくってみたいというように、振付家には“この流れでいってみたい”という波がある。前々回は『Silentium』で、次に『鬼』を再演した。“じゃあ次は20周年だからこれをつくろう”ではなくて、その流れをなるべく汲みたい、見極めたい、という気持ちがありました。あと、穣さんに勝負をしてほしいという強い想いがあって、あえて「つくりたいものをつくってください」と投げかけたというのもあります。

でも私自身、作家に「こういうものをつくってください」というのは難しいですね。作家に対して失礼だと感じてしまう。作家とずっと一緒にいるので、作家の気持ちが私も少なからずわかってしまう。穣さんでなくてもそうで、作家にとって作品はやはり生まれてしまうものだと思うから。

『Amomentof』リハーサル 撮影:遠藤龍

穣さんから、まずマーラー第3番第6楽章を使うとだけ聞きました。マーラー第3番第6楽章はもう3年くらい前から穣さんの頭の中にあって、それは私も知っていました。でもそれを今回やると思ってはいなかった。「なんでもいい」とは言ったものの、ここでこう来たか、という感じでしたね。

マーラーの音楽がまず素晴らしい。6楽章の波がすごいので、その波をどうやって使っていくのだろう、どうやって作品をつくるのだろう、という興味がありました。ひと通りできたあと改めて音楽を聴いて、“あ、この演出振付家、やっぱりすごいな”と思いましたね。穣さんの感性なんでしょうけど、音楽の抑揚に逃げることなく、かといってベタにならずに向き合っている。かわすこともできるはずだけれど、かわさない。でもそこに薄っぺらさがない。だけど実際踊ると、もう大変でしかなくて。

『Amomentof』は約25分間。まずバーレッスンからはじまります。だけどいつもやっていることをお見せするのって、ちょっと恥ずかしいですよね(笑)。この作品を踊りながら思うのは、ものすごくメンバーにかかっているなということ。穣さんは「井関佐和子を中心とした作品だ」と言うけれど、私を中心に置いたとき、彼らがどういう流れをつくるかで作品が全然変わってくる。彼らの人生感が分厚ければ分厚いほど、このひとりの女性が生きた20年が生きてくる感じがすごくして。ただ若い彼らにしてみれば、今は一生懸命テクニックをすることだけ考えている状態で、ここからどうやって深めていくかという段階でもあります。

『Amomentof』リハーサル 撮影:遠藤龍

あるシーンでみんなの踊る様子を見ていたとき、グッとこみ上げてきたことがありました。すごくシンプルなシーンなのに、音楽とみんなが重なって、うるっときてしまった。彼らは一生懸命やってくれていただけだけれど、いろいろな絵がバッと見えてきた。作品がどうこうではなく、それは20年間私たちが見てきたもので、私と穣さんしか感じられないものだったと思います。その瞬間だけはたぶん2人とも20年間を振り返ってた。“これちょっとやばい”とうるんだ目で横にいた穣さんを見たら、穣さんも私に触発されたのか、そのままスタジオを出ていってしまいましたね。

たぶんいろいろな目線で見ることのできる作品だと思います。長くNoismを愛してくださってきた方にとっては、2004年からの20年間の歴史もそうですし、ひとりの舞踊家の人生という意味でもすごく深いものがあると思う。でも改めてこの作品を俯瞰で見ると、舞踊家でなくても同じことだなと思う。ひとりの人間が長くそこで生きてきて、いろいろな人が通り過ぎていく。そこでの葛藤は舞踊家に限らない。そういう目線で見ていただけるといいな、という想いがあります。

『Amomentof』リハーサル 撮影:遠藤龍

『セレネ、あるいは黄昏の歌』は黒部シアターで5月に初演し、舞台版として改めて20周年記念公演で上演します。黒部シアターで昨年『セレネ、あるいはマレビトの歌』を上演していますが、その時点で「次はこういうものをつくりたいんだよな」と穣さんが言うのを聞いていました。ただ黒部シアターは野外劇場なので、それをどう舞台版にするかというのは悩んでいて。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』は『Amomentof』に先駆けて一応完成はしたけれど、毎日変わっていましたね。四季が巡るはずなのに、なかなか春が抜け出せなくて、「もう永遠に春だね」と言って笑っていました(笑)。

特に物語があるわけではなく、人間や生物の営みが淡々と描かれていく。ひとりひとりの人間の人生について描かれている感じもするけれど、もっと宇宙的な感覚があって。人間と言っても、人の性格とかそういうことではない。宇宙における人間って何だろうというくらい壮大で、だから面白い。十分な情報量なので、あまりひとつひとつの意味を読み解いたり、何か受け取らなければと思って見ない方が、逆に受け取れる感じがします。

春夏秋冬のそれぞれにテーマがあって、春はオープニングで息吹があり、夏は動物的な要素が入り、秋は人間的な要素が入り、冬は枯れていくものに対する生け贄性がある。四季の巡りがあり、それぞれ身体的にも全然違います。だからメンバーはみんな大変だと思う。私は祭司の役なので身体性が急に変わる部分はさほどないけれど、メンバーはそれぞれに身体性を使いわけなければいけません。でも若いときにいろいろな経験ができるのはいいですよね。みんなその瞬間瞬間を毎日必死になって稽古している。それこそNoismならではじゃないかなと思っています。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

 

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