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Noism設立20周年! 芸術総監督 金森穣インタビュー

日本初の公共劇場専属舞踊団として2004年にりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館に誕生したNoism。設立20周年を迎えた今、芸術総監督・金森穣が想うこととはーー。Noismの20年とこれからの展望を聞いた。

今年4月、設立20周年を迎えたNoism。この20年を振り返り、今の心境は? 現在のNoismと20年前の違いをどう考えますか?

20年といっても一瞬でしたね。29歳で芸術監督になり、30代を経て、40代ももうすぐ終わり。今年で50歳です。本当にあっという間だった気がします。

現在のNoism1メンバーを見ていると、すごく若いなと感じます。年齢的にも若いし、ジェネレーションも二回り違うので、本当に時代が違うのだなと思う。設立当初は私自身と舞踊家たちが年齢的にも近かったので、私自身そう思っていなくても、彼らの中にはある種のライバル意識のようなものがあったかもしれない。だけど今はもう自分の子どもくらい年が離れているので、やんちゃだなと思ったり、わがままだなと思いながら教えたりと、昔とは彼らに対するアプローチも違います。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

 

もうひとつ昔と違うのは、今のメンバーはみんなNoismの舞踊家として舞踊と向き合うことにフォーカスしているということ。最初の頃はオーディションにくる人たちも、Noismという舞踊団がどういうもので、金森穣がどういうクリエイションをするかわからずに来ていた。ただ社会的に注目を浴びているというのはわかってはいたし、金森穣と一度クリエイションをしてみたいといった、単発のモチベーションで集まっていたところがありました。だからいざ入団しても、2〜3年したら旅立っていくのが当たり前のようになっていた。だけど今はNoismの活動の仕方、金森穣のクリエイションの仕方をある程度知識として知った上でみんなオーディションにやってくる。それは歴史の意味でしょう。

設立からずっといるメンバーは井関佐和子(国際活動部門芸術監督/ Noism0)だけになりました。佐和子も40代になって、新たな境地に入ったように思います。私自身もそうでしたけど、舞踊家にとって30代はきつい。30代になると身体的な衰えを感じはじめて、若かった頃できたことができなくなったり、不調を抱えたりもする。でもそこを突き抜けると、力の抜き方や身体との向き合い方、精神面もだいぶ成熟してきて、また新たな舞踊や自身の身体の可能性に気付く。佐和子も今が踊っていて一番楽しいと言っているし、だから彼女は今すごく生き生きしていますよ。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

 

佐和子と山田勇気(地域活動部門芸術監督/ Noism0)に関しては、今はもう私から何か言う感じではないですね。むしろ頑張り過ぎてどこか痛めることがないよう気にしてあげるところにきています。でも20代の子たちは昔から変わらなくて。彼らは今こそもっとやらなければいけない時期だから、もっとやれ、もっとやれとハッパをかけるようにはしています。

ただ、今はもうメンバーのことは山田と佐和子に任せているので、昔みたいに私自身がNoism1もNoism2も含めて全てを見ていたときとは立ち位置が違う。彼らが今どういう状態で、どういうアドバイスが必要で、といった部分はもう二人に委ねているので、あまりそこは立ち入らないようにしています。だからいい意味で私自身俯瞰で見ることができていますね。もちろんひとたびクリエイションに入ればそこは関係ないけれど。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

 

2004年に発表したNoism作品第一弾『SHIKAKU』からはじまり最新作まで、振付家として特に想い入れのある作品は? 当初と今で創作方法に何か変化はありますか?

どれも想い入れがあるので自分では選べないですね。常に新しいことにチャレンジしようと志しているし、実際に自分の中では毎回新しいことにチャレンジしてきてる。自分にとっては全てがきっかけをくれた作品であり、学びをくれた作品だし、ひとつひとつが大切な作品です。

創作法に関してはいろいろなアプローチをしてきているし、変わってきてはいます。ひとつ言えることがあるとしたら、つくり方がシンプルになってきていると思う。若い頃はそれこそつくり方にもコンセプトを設けていた。自分が実際に身体を動かして振付するのではなく、メンバーに振付させてそれを組み合わせたり、即興的に動いてそこから動きを抽出したりと、いろいろ実験的なことをしていたし、作品によってつくり方、振付の仕方もいろいろなアプローチをしていた。ただ40代に入ってからは、音楽を聴いて、自分で動いてーー、という一番根源的な方法にどんどん入ってきている。それでいて使う音楽もどんどん古典的なものになっていて、動きもある種シンプルになってきている感じです。

『SHIKAKU』(2004) 撮影:篠山紀信

 

ただ自分も年齢を重ねてきたので、趣味思考が偏ってきがち。なので音楽、映画、ドラマもそうだけど、普段なら観ないもの、聴かないものにあえて触れようと意識しています。最近の子たちってどういうものを見るのかなと思ってアニメを見てみたり、それに使われている音楽を聴いてみたり。若いメンバーがどんなものに接しているのか聞いたりして、視野を幅広くもつようにはしています。

劇的舞踊『ラ・バヤデール―幻の国』 (2016) 撮影:篠山紀信

 

金森さん自身Noism0のメンバーとして現役で踊られています。この20年の歴史の中で一時舞台出演を控えていた時期がありましたが、近年はまた出演する機会が増えました。何か心境の変化があったのでしょうか。

振付家が出ると、やっぱりそこが力点になるので、どうしてもみなさんそこを通して見てしまう。良くも悪くもそれが正解だと思ってしまって、創作をある種限定してしまう。集団性を限定してしまうということが嫌で、舞台から距離を置いていた時期がありました。でも今はもう金森穣が出ていようがどうしようが作品を害すようなことにはならないし、作品として自分自身が出た方がいいと思うものは出るようにしています。

あともうひとつは、佐和子のキャリアが突出してきたという理由もある。もちろん若い子たちが佐和子と踊ることも大事だし、そこから学べることはあるけれど、40代の井関佐和子という舞踊家を生かすのはなかなか難しい。彼女の円熟と対等に向き合えるのはもう今は山田か自分しかいない。そういう意味で踊る機会が増えてきているというのもありますね。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサル 撮影:遠藤龍

 

何より自分自身やっぱりバレエは好きだし、踊ること自体はもちろん好き。好きというか、生きてる感じ。もちろんそのために毎朝稽古はしているし、みんなと踊りながらコミュニケーションを交わすのもいいなと思う。その時間と空間で緊張感を共有した中で届けられる情報というものもある。例えば同じユニゾンでも一緒に踊っているのとただ見てあげているのでは違う。その気配感や間の取り方、呼吸というのはなかなか言語化しにくいものがある。今そこに一緒に生きているという感覚、それは舞台上でしか伝えてあげられないことだから。

振付をするためにも、自分は踊らなくてはいけない。音楽を聴いて、自分の身体を動かし、振りをメンバーに与えて、というように振付自体がどんどんシンプルになっているので、踊るということと振付が切っては切れない場所にあって。もちろん人前で踊るのはまた全然別のプロセスだから、舞台に立つとなったら舞踊家としていろいろすべきことが増える。1日の過ごし方とか、身体のケアの仕方に割かなければいけないエネルギーと時間が増える。でも、やっぱり生きてるなって感じられるし、舞台自体好きですね。自分の身体が利かなくなったとき、はじめて踊るということと振付けるということが別れるかもしれない。いつまで踊るかはわからない。けれど、今はこれがちょうどいいバランスだなと感じています。

Noism×鼓童『鬼』(初演:2022) 撮影:篠山紀信

 

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