Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(12)
劇的舞踊『カルメン』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、中川賢、真下恵、青木枝美、藤澤拓也、宮原由紀夫、亀井彩加、角田レオナルド仁、簡麟懿、石原悠子、池ヶ谷奏、吉﨑裕哉(Noism1)、梶田留以、菅江一路、関祥子、及川紗都、浅海侑加、田中須和子、野﨑啓吾、松原広稀(Noism2)、奥野晃士(SPAC – 静岡県舞台芸術センター)
初演:2014年6月6日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫)
『カルメン』はNoism設立10周年記念作品としての上演でした。
私が「ZAZA」のアンケートに「『カルメン』を踊りたい」と書いたのがきっかけでした。まず穣さんが『カルメン』の原作を買ってきて、休日にカフェで読みはじめた。私は整形外科で股関節の診療をしていてカフェを離れ、私が戻ると穣さんは全部台本を書き上げていた。台本にはキャラクターの関係性のほかに、タイムコードや舞台装置、音のタイミングなど、状況が事細かに書かれていました。ただ実際の振付けで台本をなぞることはありません。クリエーションをしていると「ここはもうちょっと引き伸ばさないとダメだよね」などと感覚的なものが出てきて、時間軸も変わっていく。作品ができあがった後に台本を見て、「そういえばこんな感じだったっけ」なんてこともよくあります。
私はカルメン役です。ちょっと動くだけでダメ出しの連続でした。最初のシーンからしてそう。動きではなく、「ニュアンスが違う」と言われてしまう。違うとは言うのだけれど、何が違うとは言われない。自分で見つけろ、ということなのでしょう。1歩動くと違うと言われて、その1歩をずっとやる。穣さんの中に理想があったわけではなくて、私が何度も実践することで出てくるものを見つけようとしていた感じです。
作中は影絵を使っています。ひとりの人物が歩いていて、その後ろを木やお城、修道院など背景が流れていく。リノリウムに木やお城を置いて、歩く人はその場で足踏みをして、それに合わせて引っ張りながら舞台上で撮っていきました。背景が移動することで人物が歩いているように見える、というわけです。木やお城、修道院にしても、全部私たちがダンボールで手作りしたもの。そういう作業が得意な人がいて、硬いダンボールが切り絵のようにうくつしくできあがっていましたね。
利賀村で私と穣さんが踊った『still / speed / silence』の映像にも影絵が出てきます。私たちは床に寝転びながら絡んでいて、それを天井から撮っています。滑りやすいようモジモジくんのような格好で撮影をしてみたり、穣さんが思いつくことは本当にアナログ。でもできあがると、無重力で回転しているような、宇宙のような絵になるんです。今の時代、簡単にCGでできるものを、あえて人の手で3倍以上の時間をかけてつくる。結局、全て身体に結びついているのだと思います。
『カルメン』を新潟に観に来た鈴木忠志さんに、穣さんがすごいダメ出しをもらっていました。かなり凹んでいましたね。可哀相なくらいです。でも私も一緒につくり上げ、そして実演に関してもダメ出しをもらったので、穣さんのことなんて構っていられません。鈴木さんに「最初は良かったのに最後は疲れちゃったな、あれはダメだな」と言われて、その意味をずっと考えていました。次の日も本番でしたが、二人とも一睡もしていません。
自分なりに緻密に計算をして、演じていたつもりでした。でもやっている自分に酔っていたのかもしれない。カルメンとの距離が近くなり過ぎてしまったのだと思います。必死に彼女に成り切ろうと、ありとあらゆることをしました。その存在を批判的に考察せず、自分の感情と直結させようと必死でした。全身全霊でつくっていたから、ダメ出しはショックです。けれど、それだけストレートに言ってくださる方がいるのは本当に大切です。
穣さんは『カルメン』のことを振り返るとき、物語の台本を書き上げた時点である種の満足感があったのだ、と言います。私と同様に、この物語への批判性を持たずに、自分の書き上げた台本をどうやってお客さんに伝えるか、という方向に意識がいっていたのだと思います。付け足し、付け足し、デコラティブにして、形にして、それを見せた。あれくらいしないとわからないという人がいるのは事実。でも芸術というのはそうではなくて、削ぎ落としていくべきだと鈴木さんに指摘された。説明的になると、説明することに私たちの身体の集中が向かっていく。でもお客さんの想像を喚起させられることが舞台芸術の本質で、説明は別に舞台でやらなくていいことでもある。年月を重ねてきて、鈴木さんの言葉が腑に落ちるようになりました。
「ASU―不可視への献身」
『Training Piece』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、亀井彩加、 角田レオナルド仁、チェン・リンイ、石原悠子、 池ヶ谷奏、吉﨑裕哉、梶田留以、岡本壮太、佐藤琢哉、上田尚弘(準メンバー)
『ASU』
演出振付:金森穣
出演:井関佐和子、亀井彩加、 角田レオナルド仁、チェン・リンイ、石原悠子、 池ヶ谷奏、吉﨑裕哉、梶田留以、佐藤琢哉
初演:2014年12月19日
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(新潟)、KAAT神奈川芸術劇場(神奈川)
『Training Piece』は、NoismバレエとNoismメソッドを用いた作品でした。
当時「Noismバレエとメソッドを見たい」という要望が多く寄せられていました。穣さんの中でも1回形にしようという考えがあって、作品化したのが『Training Piece』でした。
ただ、舞台上でメソッドやクラスを見せるのはかなり辛いものがありました。クラスというのは見せるためのものではなくて、自分と向き合うためのもの。Noismメソッドは毎回難しく、十何年やっても毎回発見があって、今でもできないことがあるくらい。形だけならある意味誰でもできるけど、突き詰めていかなければいけない。身体との向き合い方には終わりがないことを、Noismメソッドは教えてくれます。
メソッドをどれくらい突き詰めているか、舞踊家によっても差がついてきます。でもパフォーマンスとしてお見せするからには、「あの子全然できてないよね」ではダメです。表面的にでも整って見える段階までもっていかなければいけません。観客に形が伝わるように、決まった音で、みんなと一緒に、その瞬間に動く。そこでは自分のやり方やこだわりを捨てなければならなくなってくる。しかも見せる前提のものではないから、遠い客席から見栄えがするかというと、そうではないのです。自分の中でジレンマがあり、悩んでいましたね。
Noismバレエ、Noismメソッドの特徴とは?
Noismバレエは指の使い方がまず違います。通常バレエでは中指を内に入れますが、Noismでは薬指を内にします。薬指を使うと、腕の下の部分を感じやすいんです。バレエのアラベスクは上から立ちますよね。体重がポンと上に乗る。でもNoismは下から上になる。点には置かず、乗るときに足を滑らせる。ベタ足で摺り出し、地面をシフトする。Noismバレエにはアームスや身体のねじりも出てきます。私たちは舞台でクラシックバレエを踊るわけではなく、西洋のアカデミックから派生したものを、この東洋的身体をもって踊る。西洋の真似事ではなく、この身に宿る文化や歴史を再認識し、唯一無二の身体性を追求する。そうすることで自分たちのアイデンティティを見つけていくことができます。
Noismメソッドは、穣さんの作品に出てきた動きを形にして残しているものが多くあります。例えば摺り足。頭の高さを変えずに歩くエクササイズで、いろいろな作品に登場します。
「カルメン走り」というのもエクササイズに入っています。四つん這いで手をついて、動物のような感じで走る。これはチーターの映像がヒントになりました。脚と腕のつき方を見ていたら、動物ってほとんどナンバになっていて、右脚と右腕が一緒に出ているんです。まぁ動物にとっては前脚、後脚と全て脚なのですが。私の理想は、前手、後手になることですね。
空間移動が1番舞台上で難しい。右から左に移動する、その瞬間に何が語れるか。どう移動するかで語れるものが変わってきます。クリエーションをしていると、このシーンはつま先側から歩く、このシーンは踵から歩いてと、かなり細かく指定が入ってきます。メソッドがないとそれぞれの歩き方になってくるので、やっぱりそこは強いですね。
『ASU』はプリミティブな作品でした。
『Training Piece』との差も考えていたと思います。動物的な動きを組み合わせた作品でした。音楽はアルタイ共和国の伝統的な楽器と喉歌を使いました。実際にCDで喉歌を歌っているボロットさんという方に、穣さんが会いに行きました。そこに惹かれている穣さんがいた。踊りはそもそも儀式からはじまっているという意識が穣さんにあって、それが強く出た作品でした。
「佐和子、最後まで踊れ」と穣さんに言われ、みんなが走り回っているなか、ずっとひとり踊り続けました。あのころが1番身体がきつかった。35歳になっていたけれど、若いころと同じような感覚で動くので、ものすごく身体を痛めつけていた。毎回公演ごとに鍼を打っていました。身体が向上するための治療やトレーニングではなく、その場をどう凌ぐか。踊るためにとりあえずケアする、その繰り返しでした。
ずっと焦っていました。踊る年齢は限られていると思っていた。穣さんに「私には時間がない、時間がない、もっともっとやらせてくれ」とひたすら言い続けていました。年齢的に、子どもをどうするか考えなければ、という気持ちもありました。切羽詰まっていたように思います。焦りはしばらくの間引きずります。どうしようという想いが常にあって、踊っているときが1番考えずにいられる、そんな状態でした。
このころは夫婦揃って大変な時期で、穣さんもNoism活動内のいろいろなストレスが重なって、しばらく踊っていなかった。ずっと舞台に立っていなくて、もう踊りは辞めるつもりだったのではないでしょうか。穣さんは40歳で、年齢的なものもあったと思います。私はまだまだ穣さんは踊れると思っていたし、踊っていてほしかった。そう伝えると、そのことですらストレスで、「そんなことは自分で決める!」とよく喧嘩していましたね。クラスは受けてはいたけれど、打ち合わせやらなにやらで抜けることも多くありました。小さいころからずっと身体を使ってきた人が辞めるとなると、それは大きなストレスです。当時はまぁ怒っていましたね。その後また踊りだして、心身のバランスが取れた、と穣さん自身言っています。今は打ち合わせがあっても、絶対にクラスの時間は削りません。
Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(13)につづく。
プロフィール
井関 佐和子
Sawako ISEKI
Noism Company Niigata国際活動部門芸術監督 / Noism0
舞踊家。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督を務める。22年9月よりNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
Noism
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。プロフェッショナル選抜メンバーによるNoism0(ノイズムゼロ)、プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)、研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の3つの集団があり、国内・世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動。2004年の設立以来、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに展開する活動(国際活動部門)とともに、市民のためのオープンクラス、学校へのアウトリーチをはじめとした地域に根差した活動(地域活動部門)を行っている。Noismの由来は「No-ism=無主義」。特定の主義を持たず、今この時代に新たな舞踊芸術を創造することを志している。https://noism.jp/








