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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(14)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

キリアンの世界に魅せられて

今日の朝までなかったのに、今この瞬間つくられて、少しずつ作品が出来上がっていく。今までなかったものがここにある。けれど私が踊らない限り、作品はない。そこに魔力のように取り憑かれてた。どんなに若く駆け出しの振付家と仕事をしても、その時期はまるで恋をしているかのように魂を奪われたし、触発されるものがありました。とりわけキリアンとの創作はとても大切な時間でした。

振付家としてのキャリアの中で、キリアンの創作法も時代ごとに変遷がありました。20代で若くしてNDTの芸術監督になったキリアンは、その重責に対する不安を少しでも和らげるため、当初は振付をあらかじめ全部つくっておいて、現場でダンサーに教える、という方法を取っていたそうです。ただそれも少しずつ変わり、私が入団した頃は、まず創作初日にダンサーが車座になって作品のコンセプトと使用する楽曲を聴き、振付は現場でつくっていく、というスタイルに変わっていました。

その後キリアンはソノロジー(音響学)の音楽家と仕事をするようになり、そこからまた作品づくりが飛躍的に変わっていきます。舞踊と音楽の創作を同時進行することで、楽曲の構成にとらわれず作品をつくることができようになった。キリアンが言葉で何かを伝え、それをダンサーが身体で体現していく、といった即興的な作業も増え、より自由な作品づくりが可能になった。なかでも『Bella Figura』はキリアンにとって“自由な踊り”という新たな領域の扉を開けた作品でした。

『Bella Figura』初演(C) Joris Jan Bos

全ての演技をやめたとき

NDTに在籍していた私の9年間のキャリアの中でも、『Bella Figura』を踊った経験はとても大きな出来事でした。当時私は25歳で、オリジナルキャストとして出演しています。

『Bella Figura』のキャストは9人。作品は男女のデュエットで展開していきますが、私のパートだけはソロで、かなり自由な踊りになっています。キリアンの作品はそれまで即興という要素がほとんどなく、また私自身にとっても初めての経験でした。

自由に踊るパートの動きは、キリアンとのやりとりの中から生まれていきました。例えば、自分の中にある言葉にならないような想い、どんな言語でも言葉にできないような、でも自分の中にしっかり内在している想い、それらを手振りでやってみてとキリアンに言われ、私がそれを表現する。ダンサーとしての個が重視され、自分の存在というものが浮き彫りになっていく。だから同じパートを踊ったとしても、ダンサーが変わるとまた変わる。決して同じものにはなりません。

キリアンは“人間は誰しも目覚めると常に何かを演じているものだ”と言う。父親だったり、すてきな女性だったり、悪女だったり、学校では良い生徒だけれど、家に帰ると反抗期の娘だったりする。人はみな常に少しずつ何かを演じているのだと言う。そして“その全ての演技を辞めたときの自分、本当にニュートラルな自分というのはいったいどんな自分なのか?”と、問いを投げかけてくる。

キリアンの問いに対して私が提示したものが、また次の問いに結びつく。形にならない形でどんどん置き換えられていく。ひとりの芸術家がゆっくりと成長し、ひとつひとつ年輪を重ねていく道程に、ダンサーとして関わっていく。それは何より得難い経験でした。NDT2時代、NDT1の先輩たちが醸し出す何とも言えないあの雰囲気はどこから来るのだろう、といつも不思議に思っていました。キリアンとの創作を経験し、あれはこういう作業から生まれるものだったのだ、ということをそこで知りました。

『Bella Figura』の初演時、私は第一キャストに加えて第二キャストにも入っていたので、両方の動きを身体に入れる必要がありました。第一キャストの方は比較的ゆっくりとした動きで構成されているけれど、第二キャストは難しい技や速い動きがふんだんに盛り込まれています。私は速い動きがどうも不得手で、頑張って速く動こうと思うのだけれど、どうしてもスピーディとはいきません。キリアンに“もうちょっと速く動ける?”“もうちょっとスタッカートに動いて”“うーん、もうちょっとシャープに”“クリスピーに”と言葉を変えて注意され、しまいには“ねえ、英語わかる?”と呆れられてしまいました。私としては、言ってることは全部わかって、ベストを尽くしているのだけれど……。その印象が強かったのか、後に私がカンパニーを辞めるとき、“ずいぶん速く動けるようになったね”と言っていましたね。

Bella Figura

ダンサーの恋愛事情

『Bella Figura』の冒頭、私は宙に浮いていて、そのまま手振りから動きはじめる。客席からは見えないけれど、実は後ろから男性ダンサーが幕ごと私の身体を抱きかかえています。抱きかかえるタイミングも難しく、パートナーのユーリと何度も練習を重ねました。ユーリは私の恋人で、NDT2時代にポルトガル人振付家、パオロ・リベッロの作品でやはり一緒にデュエットを踊り、それがきっかけでお付き合いするようになりました。

私がお付き合いした男性はダンサーばかり。特にNDTは海外ツアーが多く、治安が悪い場所に行くときは、カンパニーから“ひとり行動禁止”のお達しが出ます。ただツアー先でも常にみんなが団体行動をしている訳ではなくて、リハーサルではまず群舞の練習をして、デュエットの練習をして、ソロの練習をしてーー、と進行していき、出番が終わった人から順々に解散となる。一人行動禁止だと、必然的にデュエットを踊る相手と行動を共にすることになり、そうなるとやはりパートナーとの関係も近しいものになりがちです。

何よりダンサー同士だからこそわかることもある。ダンサーというのは感情のアップダウンが激しく、内面の苦しみを常に各々抱えています。それらを全てひっくるめて尊重し、受け入れないと、なかなか一緒にいるのは難しい。とはいえよく知っていると思っていた相手でも、“え、この人ってこんな人なんだ?”という部分を舞台上で知ることもよくありました。舞台に立つと、実生活では見えない側面が見えてくる。それはすごく不思議な感覚です。

『Bella Figura』はキリアンにとってある意味エポック的作品でした。即興性の導入や、上半身裸での踊りも含め、従来のキリアン作品とは違った新しい境地があった。それまでは難解な音楽を使った抽象性の高い作品を多く手がけていたけれど、バロック音楽を使ったうつくしく繊細で個人的なメッセージを持つ作品へと変化していった。

『Bella Figura』の初演は大成功を収め、すぐ再演が決まりました。キリアンの初期作品の中でも特に『Forgotten Land/Vergessenes Land』は名作と呼ばれ、ツアーでも多く上演されていましたが、『Bella Figura』は次の時代の代表作となり、『Whereabouts Unknown』『Wing Of Wax』と並ぶキリアンの名作として広く知られるようになっていきます。

『Bella Figura』の新聞評

 

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(15)につづく。

 

インフォメーション

 

新国立劇場『ダンス・アーカイブ in Japan 2023』
2023年6月24日・25日
https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

貞松・浜田バレエ団
『ベートーヴェン・ソナタ』
兵庫県立芸術文化センター 
2023年7月16日・17日
http://sadamatsu-hamada.fem.jp/sche.shtml

神奈川県芸術舞踊協会
『モダン&バレエ』
神奈川県民ホール 
2023年10月28日
https://dancekanagawa.jp

<パフォーマンス>

中村恩恵カナリアプロジェクト 
沈黙のまなざしSilent Eyes
世田谷美術館 
2022年12月22日〜2023年3月21日
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev01011

<ワークショップ>

神奈川県芸術舞踊協会主催研修会
ダンスワークショップ
2023年3月19日
https://dancekanagawa.jp

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

<オーディション>

(公社)神奈川県芸術舞踊協会主催公演 『モダン&バレエ 2023』
中村恩恵作品 出演者オーディション 2023 年 3 月 21 日開催
2023 年 10 月 28 日上演 「モダン&バレエ 2023」の出演ダンサーをオーディションで募集。
https://dancekanagawa.jp/

 

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。

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