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湯浅永麻 ダンサーズ・ヒストリー

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)の主力ダンサーとして11年間活躍し、イリ・キリアン、マッツ・エック、ピーピング・トムなど錚々たる振付家の作品に出演。2015年に独立、以降フリーランス・ダンサーとして精力的な活動を続けている湯浅永麻さん。身体ひとつで世界を駆ける、湯浅永麻さんのダンサーズ・ヒストリー。

11年間のNDT生活にピリオドを打って。

NDT最後の夏にツアーでマドリッドに行ったとき、マッツと彼のミューズでパートナーのアナ・ラグーナが公演を観に来ていて、久しぶりにマッツとお会しました。アナはスペイン人なのでマドリッドに家があり、夏のバカンスで帰っていたところだったようです。マッツに“NDTを辞めることになりました”と伝えたら、その後すぐ“『JULIET & ROMEO』のジュリエット役を探してるんだけど踊ってくれないか”と連絡をもらい、スウェーデン・ロイヤルバレエ団にゲストで出演することになりました。

 

Matsu Ek振付『JULIET & ROMEO』©Lea Ved

 

11月にアントワープで上演したピーピング・トムの作品が私のNDTでの最後の公演です。終演後に劇場でパーティーがあって、みんなと一緒にご飯を食べていたら、“シディ・ラルビ・シェルカウイがエマと話をしたいと言ってるけど……”といわれて。ラルビはアントワープ在住なので、たまたま公演を観に来ていたんです。そこでラルビに“君が踊った役がものすごく面白かった。NDTを辞めるなら一緒に仕事をしないか”と誘われました。

彼とはそれが初対面。私のNDT最後の日の話です。NDTを辞めようと決意したときに決まっていたのは、イダンとOptoのプロジェクトくらい。ほかは全く何もなくて、すっきりしたという気持ちと同時に、これからどうしようという想いがありました。けれど、実際に退団となったら、いろいろな話が舞い込んできた。滞っていたものが一気に流れ出したような、何か不思議な感覚でした。

 

NDTラスト公演後、ピーピング・トムと作品セットの中で

 

退団後最初の一ヶ月間はイダンの仕事でイスラエルに滞在し、さらにウルグアイにもツアーで行きました。マッツのジュリエットを踊ったのはその後で、2016年の1月1日にスウェーデン入りしています。そのときスウェーデン・ロイヤルバレエ団では、マッツの『JULIET & ROMEO』と同時にサシャ・ヴァルツの『Körper』がプログラムに組まれていました。

『Körper』はベルリンの壁崩壊をコンセプトにしたサシャ・ヴァルツの代表作のひとつです。当時芸術監督だったヨハネス・オーマンがコンテンポラリー作品も取り入れたいという意向を持っていて、その新たな試みとして上演を決めた挑戦作です。だけど、ダンサーが踊りたくないと言っているという。なぜなら裸のシーンがあるから。クラシック・バレエをずっと踊ってきたカンパニーだったので、ダンサーも抵抗があったのでしょう。

“エマさえよければ『Körper』にも出てくれないか”と言われて、私も“サシャの作品ならぜひ”ということで急遽出演が決まりました。でもそのときは、素っ裸とは聞いていなかったけれど……。『Körper』には児玉北斗くん、三東瑠璃さんも出てました。思ってもみない話だったけど、本当にすばらしい作品で、とてもいい経験になりました。

 

スウェーデン王立バレエにて『Körper』終演後、サシャ・ヴァルツ、三東瑠璃と

 

ラルビとの初仕事は、長編ダンスオペラ作品『Les Indes Galantes』。ミュンヘンでオペラの祭典があって、そこでオペラを新解釈した作品を上演するという依頼のためにつくった作品です。ラルビはロイヤル・フランダース・バレエ団の芸術監督ですが、平行してEASTMANというプロジェクトカンパニーを主宰していて、私はそちらに所属しています。

シェルカウイとはその後もたびたび仕事をしていて、フィリップ・グラスのオペラ『サティアグラハ』に出演したときは、バーゼル、ベルリンで上演し、さらにゲントツアーを予定しています。『プルートゥ』のときは東京公演を経て、欧州をツアーしています。

 

『Pluto』メンバーと

 

いろいろな人との巡り合いがあって、いろいろなご縁をいただいてきました。向井山朋子さんもそのひとりで、2016年にさいたまトリエンナーレで上演した『HOME』でご一緒しています。『HOME』は向井山さんの手がけたインスタレーションの中で踊るソロ作品で、足かけ4か月間さいたまに滞在しました。

向井山さんの演出作品ではほかに『雅歌』にも出演しています。これは向井山さんが日本のさまざまな儀式をリサーチしてつくった作品で、振付は山田うんさん。舞台は屋外の過酷なロケーションが多く、オランダ、高知、神津島などさまざまな場所で踊りました。『雅歌』は映画化されるということで、撮影クルーが公演を追いかけてました。南アフリカ在住のAryan Kanganof監督のセミドキュメンタリーフィルムとして公開される予定です。

 

向山朋子x山田うん作品『雅歌』©Yutaka Endo

 

2018年の春、Dance New Air2018のプレ公演として自作『enchaîne』を発表しています。Dance New Airのプロデューサーに、“誰か一緒に作品をつくりたい人はいる?”と聞かれて浮かんだのが、長年の友人でもある田根剛さん。彼は建築家ではあるけれど、NDTの公演をよく観に来ていたり、Noismとも一緒に仕事をしたことがあったりと、ダンスにも関心がある人で、いつか一緒に作品をつくってみたいと思っていたんです。衣裳は『HOME』で知り合ったデザイナーの廣川玉枝さんにお願いました。ダンサーはNDT時代の仲間でもあるアラン・ファリエリと、ラルビの作品で知り合ったジェームズ・ヴ・アン・ファンのふたりを招いています。

母と一番上の姉が公演を観に来てくれました。『enchaîne』は六本木の国際文化会館を会場にしたサイトスペシフィック作品で、赤い紐をみんなに渡して繋げていくという演出でラストを迎えます。会場にいた母に赤い紐を渡した瞬間、そのしわしわの手に胸が詰まって、涙がぐっとこみ上げてきた。両親には今まで本当に苦労をかけてきました。ふたりがいなかったら今の私はここにはいないでしょう。母は本当にパワフルですばらしい人で、父とふたりで私たち姉妹を無償の愛で育ててくれました。

 

『enchiane』メンバーと。国際文化会館屋上でのインスタレーション前にて

 

プロジェクトカンパニーOpto。

Optoはレイさんが立ち上げたプロジェクトカンパニーで、私は第二回公演から参加しています。中心メンバーは、レイさん、健太くん、私の三人。あとはプロジェクトごとに知り合いのダンサーに声をかけては、いろいろな人に出演してもらっています。

レイさん、健太くん、ヴァツラフもそうですけど、今までずっと一緒に踊ってきた仲間と仕事をするのは本当に貴重だなと感じます。オリジナリティはそれぞれ全然違うけど、バックグラウンドが同じなので考え方が似ているし、何も言わなくても意思疎通ができる。みんな普段はそれぞれ自分の活動をしていて、なかなかスケジュールが合わないのでリハーサル期間はどうしても短くなってしまうけど、その中でぎゅっと凝縮できるものがある。信頼感があるから一緒に踊っていても心地いい。そういう縁ってなかなかないだろうし、Optoは続けていきたいと思っています。

 

Optoリハーサル ©Milena Twlehaus

 

ただずっと一緒にいると、どうしても視野が狭くなってきてしまう。三者三様の活動をして、また集まってそこで生まれるものを見つけていく方がいい。毎回いろいろな情報をリニューアルしていくところが面白い。これはヨーロッパの仕事の仕方に似ていて、EASTMANなどもその例です。カンパニーという訳ではないけれど、登録されているダンサーの中から“今回はこの人、この作品はこの人を”と、プロジェクトごとにラルビが声をかけていく。

EASTMANの場合はバックグラウンドが全く違う人たちばかりなので、集まった瞬間はものすごく大変です。普段はみんなフリーランスでそれぞれ活動をしているので、意見のぶつかりあいも多い。一方ですごく才能ある人たちが集まっているので、ぶつかりあいをして生まれるものが非常に面白くもある。Optoもずっと一緒に活動する訳ではなくて、各々が得てきた新しい情報をシェアし、何かまた面白いものをつくろうという方針です。制作的にはすごく大変だけど、とても刺激的なものを感じます。

 

Sidi Larbi Cherkaoui振付『Satyagraha』EASTMANメンバーと

 

Optoの公演は基本的に二年に一回。第一回から第三回までは群馬県の桐生市で開催してきましたが、第四回は埼玉と愛知で上演します。第四回はクリスタル・パイトの作品のほか、ヴァツラフの振付作と健太くんの演出振付作、そして私の新作ソロも上演します。

私が創作をする場合、一番大切にしているのは、何を本当に伝えたいかということ。『enchaîne』もそうでしたけど、そのとき感じているものが一番強いと思う。振りはもちろん大切だけど、やはりコンセプトが重要になってくる。伝えるという意味では、自分はダンサーではあるけれど、この身体はいろいろな人の作品やメッセージを入れて出す媒体なんだと思っていて。自分の中のテーマとして、“媒体である身体”というものを強く感じています。

 

Opto公演より、Vaclav Kunes振付『Reen』©Hiroyasu Daido

 

2018年の夏から彩の国さいたま芸術劇場で『さいたまダンス・ラボラトリ』というワークショップをスタートしました。ワークショップを一日6時間×10日間行い、最後に公開リハーサルを開催して成果を発表します。対象は15歳〜35歳のダンス経験者。あまり若いと身体性に時間を費やし過ぎることになってしまうし、精神性をシェアするためにはある程度の成熟したマインドがある方がいいだろうということで、年齢制限を設けました。

実は以前はさほど教育に関心はなく、それよりも自分が教育されたいと思ってました。でも実際ワークショップでいろいろな人と向き合ってみると、どんな年齢の人、どんなジャンルの人からも学ぶことがすごく多いということに気付かされて。教える立場ではなく、人として対峙したい。作品をつくる立場ではなく、一緒につくっていきたいと思うようになりました。立場の垣根を取り払い、向こうがこちらをどう思っているか、こちらが相手をどう思っているかを考えてみる。一方通行ではない場、というのが理想です。

 

さいたまダンス・ラボラトリ アトリエ作品『solos』リハーサル

 

受講生はみんなバックグラウンドがばらばらで、だからこそどういう人たちがいるか、どういう考えの人がいるか、それを知るきっかけになればいいなと考えています。新しいムーブメントをリサーチするといったダンスの要素はもちろん大切だけど、それよりも同じ時間をシェアして作品をつくるとはどういうことなのかという部分を大切にしたい。またそれが終わった後どうやってつながっていくのか、どう自分の中に残り、どう生活に反映していくか、ということを重視したい。“学んだ、やった、終わった!”ではなくて、それがきっかけとなってどう他者と関わるかということを探りたい。

『さいたまダンス・ラボラトリ』は継続していく予定です。ダンスだけではない何か、身体を動かした先に何があるのか、どうしてダンスをするのか、といった根本的のものを共有していきたい。だからきっと私も学ぶことが多いと思います。

 

湯浅永麻演出/構成『solos』©matron2018

 

トランクひとつで世界各地を駆ける。

ハーグに自分のアパートを持っていますが、フリーになってからほぼ寝泊まりしたことはなく、せいぜい衣替えに帰るくらい。オランダの永住権を持っているので、アパートがあった方がヨーロッパの仕事はしやすいし、それはキープしておくつもり。一応家はあるけれど、退団後は各地を転々としながら踊ってきました。

スウェーデンではカンパニーが宿を用意してくださって、『プルートゥ』のときは渋谷のウィークリーマンションで4か月間暮らしたりと、まさにトランク生活です。できればこの生活はもう辞めて、そろそろひとつの場所に根を張りたいと思っています。でも日本も好きだし、ヨーロッパも大好き。なかなかひとつに選べずにいます。

 

Matsu Ek振付『FLUKE』マッツと ©Joris Jan Bos

 

さいたま市に4カ月滞在したとき、空気の匂い、食べるもの、光の変化にすごく感動させられたことがありました。11月に急に冷え込み、突然雪が降ってきたりと、四季って五感で感じるものなんだと驚かされて。プロジェクトで地方に長い間滞在することもあり、現地の人と関わると、日本という小さな国でもそれぞれすごくカラーが違うのを感じます。田舎でありながら考えが開けている人と出会ったりすると、何てすばらしいんだろうと胸を打たれてしまう。日本は面白い国だなと思う。

もしひとつの場所に根を張ったとしても、いろいろなものを見聞きしないといけないとは思っていて、ずっとあちこちを行ったり来たりするんだろうなという気はしています。

 

『enchiane』©Yutaka Endo

 

NDTで出会ったすばらしい作品を日本で再演したいという気持ちもあるし、ダンスを浸透させていきたいという想いもあります。日本に限らず、ヨーロッパもコンテンポラリー・ダンスってまだまだ集客力が弱いから。舞台は大好きだし、これからも創作活動は続けていきたい。同時にダンスのジャンルに関係なくいろいろな要素を取り入れた作品をつくりたいという気持ちがあります。

『enchaîne』のときもそうでしたけど、常に身近にある、気付きそうで気付かないメッセージに取り組んでいきたい。これまでいろいろな所に行っていろいろな人と会い、ひしひしと肌で感じてきたこと、時事的なテーマを作品にしていきたい。それはもしかしたら舞台作品ではないかもしれないし、ダンスではないかもしれないし、詩だったり映像だったりするかもしれない。ダンサーではない人たちと一緒にパフォーミングアーツをしてみたいという気持ちもあります。作品はどんどんつくりたいと思っているけど、それを表現するのはダンサーではないのかもしれないし、子供かもしれないし、マイノリティと言われている人たちと一緒かもしれない。

 

Jiri Kylian 振付『Tar and Feathers』©Joris Jan Bos

 

他人と意見を共有していくためには、この身体とダンスがないとできないこともある。ただダンスだけに限らなくてもいいのかもしれない。結局ダンスもアートも媒体であるというか、ツールとしてはあるけれど、そこからどう化学反応が起こり、ひとりひとりがどう変化していくのかという方に興味があって。

自分の身体やダンスは表現方法としてあるだけで、結局は何かを伝えたいんだと思う。メジャーな企画・場でなくてもいい、自分がそのとき感じたこと、そのとき違和感を持ったことを提示していきたい。それが必ずしも全ての人が納得する訳ではないとは思う。私自身ヨーロッパに行って、多様性があるということを身に染みて感じてきた。世界は多様で、いろいろな考えがある。たとえその考えを理解できなかったとしても、多様性があるということを理解して、合意はできなくても許容していきたい。その気持ちは一貫してありますね。

 

向山朋子演出『HOME』©Yataka Endo

 

-コンテンポラリー