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ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(38)

ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でイリ・キリアンのミューズとして活躍し、退団後は日本に拠点を移し活動をスタート。ダンサーとして、振付家として、唯一無二の世界を創造する、中村恩恵さんのダンサーズ・ヒストリー。

寛容な音律にのせて

帰国翌年の2008年11月、『The Well-Tempered』が大阪で初演を迎えました。野間バレエ団の委嘱作で、初演ではまず群舞作品として創作し、ダンサーは野間バレエ団の団員が出演しています。

Well-Temperedとは、古典調律の方法の一種。今はWell-Temperedで調律されている楽器はほとんどなく、完全平均律になっているけれど、昔は純正和音が大切にされていた時代がありました。転調するには調律し直さなければならないため、曲の途中で転調することができませんでした。ひとつの調しか使えなかったものを、途中で転調できるようにしたり、純正和音を大切にしつつ音を成り立たせていく、いわば完全平均律と純正和音の間がWell-Tempered。バッハなどがWell-Temperedを用いて作品をつくっています。

当時世界中でテロなどさまざまなことが起こり、人類がそれぞれの原理主義に縛られ、ぶつかり、戦争へと発展していた。人類もWell-Temperedのように自身の純粋な部分を保ちつつ、少しだけ歩み寄ることはできないのだろうか……。そんなテーマが作品の根底にありました。

『The-Well-Tempered』©️塚田洋一

“しつこい女”といわれても

初演の翌年、早くも『The Well-Tempered』の再演が決まりました。今度は野間バレエ団ではなく、神奈川県芸術舞踊協会の「モダン&ダンス」での上演です。当時小倉礼子先生が協会の会長をされていて、機会を与えてくださった形でした。

再演にあたり、最後のシーンをデュエットに改訂しようと考えました。舞台のラスト、男と女がそれぞれの道を歩んでいく。平行線ではあるけれど、お互いを信頼し、寄り添い合う。お互いを愛し合うことができれば、Well-Temperedのように白黒つけずとも成り立つ世界ができるのではないか……。そう模索したものでした。

デュエットのシーンは私と首藤康之さんが踊っています。以前野間バレエ団に『シンデレラ』を振付けたとき、王子役にぱっと思い浮かんだのが首藤さんでした。彼が東京バレエ団在籍時にキリアンの振付作『パーフェクト・コンセプション』を踊っているのを観たことがあり、とても印象に残るものがありました。首藤さんとは共通の知り合いを交えて一緒に食事をしたことがあり、ちょっとした縁もありました。

『The-Well-Tempered』©️塚田洋一

首藤さんに電話をかけ、「『シンデレラ』の王子を踊ってもらえませんか」と直接お願いしました。もともと私は電話というものをめったにしないタイプで、かなり頑張ってかけたつもりです。けれど首藤さんの返事は「もうバレエ作品は踊らない。王子は踊らないんです」というものでした。

『シンデレラ』の王子は諦めたけれど、『The Well-Tempered』のデュエットはぜひ首藤さんと一緒に踊りたい。バレエの王子はダメでも、コンテンポラリー作品なら踊ってもらえるかもしれません。また首藤さんに電話をかけて、「しつこくて申し訳ないのだけれど、私と一緒にデュエットを踊ってもらえませんか?」とお願いすると、今度は首藤さんも快く引き受けてくださいました。ただそれ以降、首藤さんには“しつこい女”と言われるようになります。

お互いのことをまだよく知らず、創作は手探りでした。当時創作に使っていたのが鏡がないスタジオで、横に並ぶとお互いが何をしているか見えない状態です。まずはじめに一歩出てみましょうか、次に左足を出して、じゃあ右手を出しましょうかーーとひとりずつできる動きからはじめて、徐々にデュエットに入っていく。作品の終盤になってくると、互いのウエイトを使ったリフトが盛り込まれていったりと、相手がいないとできない動きに発展していきました。

二人がお互いのキャラクターを計り合いながらつくられていった。実際にそういう関係性だったのかもしれません。『The Well-Tempered』には、創作の過程と二人の関係性がそのまま反映されている気がします。

『The Well-Tempered』はその後ガラ公演で何回か踊り、最終版ができました。新国立劇場バレエ団でも上演され、2013年に湯川麻美子さんと山本隆之さんが私たちのパートを踊っています。

『The-Well-Tempered』©️塚田洋一

見たことのない顔が見たくて

首藤さんとの共演は『The Well-Tempered』がはじめてで、この先“ダンス・パートナー”といわれるようになっていきました。

長い時間共にリハーサルを重ねていくなかで、いろいろな顔を見たと思っていても、本番でステージに上がるとまだ一度も見たことのない顔をしていることがある。“あ、これが生まれながらの、本当の首藤さんの顔なんだ”とそのとき強く思った。彼の魂がぽんと舞台にある気がした。この人は舞台の上でしかこういう顔ができないから踊ってるんだろうなと感じた。ニュートラルな姿がそのままストンとある。その時間が舞台の上にある人なんだと思った。これに出会いたくてこの人は踊っているのかなと考えたとき、もう一度この顔を舞台の上で見てみたいと思った。そして一緒に舞台を重ねるようになっていきました。

首藤さんはフットワークがすごく軽くて、例えば「次の作品はベートーヴェンをテーマにしようと思ってる」と言うと、ウィーンまでベートーヴェンのお墓を見に行ったり、「次はコルビジェをテーマにしようと思ってる」と言うと、フランスに行ってコルビジェの作品を見てきたりする。私は子どもがいるからそうそうヨーロッパまで行くことはできないけれど、彼がそこで写真を撮ってきたり、美術館でこんなものを観たという話を聞くうちに、私もじゃあこんなことも調べてみようかと考える。そこで作品に深みが生まれてくるのを感じることがよくありました。

ダンサーズ・ヒストリー 中村恩恵(39)に続く。

インフォメーション 

<クラス>

中村恩恵 アーキタンツ コンテンポラリークラス
毎週水曜日 15:45〜17:15
http://a-tanz.com/contemporary-dance/2022/10/31153428

中村恩恵オンラインクラス
土曜日開催。詳しくは中村恩恵プロダクションへ問合わせ
mn.production@icloud.com

プロフィール

中村恩恵 Megumi Nakamura
1988年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロフェッショナル賞受賞。フランス・ユースバレエ、アヴィニョン・オペラ座、モンテカルロ・バレエ団を経て、1991~1999年ネザーランド・ダンス・シアターに所属。退団後はオランダを拠点に活動。2000年自作自演ソロ『Dream Window』にて、オランダGolden Theater Prize受賞。2001年彩の国さいたま芸術劇場にてイリ・ キリアン振付『ブラックバード』上演、ニムラ舞踊賞受賞。2007年に日本へ活動の拠点を移し、Noism07『Waltz』(舞踊批評家協会新人賞受賞)、Kバレエ カンパニー『黒い花』を発表する等、多くの作品を創作。新国立劇場バレエ団DANCE to the Future 2013では、2008年初演の『The Well-Tempered』、新作『Who is “Us”?』を上演。2009年に改訂上演した『The Well-Tempered』、『時の庭』を神奈川県民ホール、『Shakespeare THE SONNETS』『小さな家 UNE PETITE MAISON』『ベートーヴェン・ソナタ』『火の鳥』を新国立劇場で発表、KAAT神奈川芸術劇場『DEDICATED』シリーズ(首藤康之プロデュース公演)には、『WHITE ROOM』(イリ・キリアン監修・中村恩恵振付・出演)、『出口なし』(白井晃演出)等初演から参加。キリアン作品のコーチも務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。現在DaBYゲストアーティストとして活動中。2011年第61回芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2013年第62回横浜文化賞受賞、2015年第31回服部智恵子賞受賞、2018年紫綬褒章受章。
 
 

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