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さわひらき×島地保武『siltsーシルツー』インタビュー!

映像作家として国際的な注目を集めるさわひらきさんと、ダンサーであり振付家として活躍する島地保武さんが初タッグ。さわさんの映像作品『silts』から想起したイメージをもとに、島地さんがダンス作品を創作するという新たな試みに挑みます。開幕を前に、クリエイション中のおふたりにインタビュー! 作品の構想と創作の様子をお聞きしました。

さわさんの映像作品の中から、『silts』をテーマにしようと考えた訳、そこに惹かれた理由とは?

さわ>『silts』は2009年に発表した映像作品で、これを島地さんにお見せしたらすごく気に入ってくれて。タイトルも『siltsーシルツー』でいきましょう、と島地さんが提案してくれました。

島地>『silts』を初めて見たとき、舞台の画が浮かんだんです。その瞬間、“これだ!”と。酒井はなさんが踊っている姿と、『silt』の音楽と映像、空間やにおいも含めて、“これは上手くいくだろうな”と思って。でも『silts』は15分間の映像なので、ひとつの舞台作品にするには素材が足りない。15分間の作品を1日に4回繰り返すというのも面白いのではと考えてもみたけれど、やはり作品としては60分のピースにしてお見せする必要がある。『silts』の他にもさわさんの映像で使いたい作品があって、ただそれをどこにどう投影するかというのは考えていかなければいけない部分でもあります。

 

さわひらき《Silts》2009年

 

そもそも映像を使うということ自体今回が初めてなので、まずは試すところからはじめています。音楽にしても普段はクリエイションをしながら新しくつくってもらうことが多いので、今回のように最初から音があるということ自体が今までなくて。この作品のために、今回初めてテキストも書きました。初めてのことだらけです(笑)。

テキストに書いたのは、ループする物語。そこに砂男と泥女が登場します。『siltsーシルツー』には“沈殿した砂”という意味があって、そこから砂というひとつのワードがまずできた。人間というのは実は泥。フムスという言葉がありますが、それは泥という意味で、またそれはヒューマン=人間の語源でもあるらしい。人のドロドロした部分とか、実は人間という言葉自体の語源も泥から来てるところも面白い。泥から人をどうかたどっていくかと考えたとき、それが人形になり、はなさんが踊るということでバレエのコッペリアが浮かび、コッペリアの元になったものを調べていたらホフマンが書いた砂男だった。砂男・泥女はそこからの着想です。

コッペリアには目が象徴として出てきて、目は命であり目を取って人に与えるというようなことが書かれてる。砂男の中にも目を取られるといった描写が出てきたりする。それがまたさわさんのいろいろな作品のモチーフに結び着くのではないかと思っているんです。

さわ>実際に『Did I ?』だとか、目が覗いている作品をこれまでもつくっているので、確かに結びつく部分はありますね。

 

さわひらき《Souvenir IV》 2012年

 

アートと身体を融合させていく上で、どのような作業がおふたりの間で進められているのでしょう。

島地>身体を使う前にまず素材をいろいろ集めていき、またそれをどうするか試すという作業です。つくったものを抜き出して、それをちょっと引き延ばしたり、繰り返したり、違うシーンにしたり。

さわ>島地さんがこういうことをやりたいと言ったものを絵に描いたりと、素材づくりはしているけれど、イメージとして面白くても想像だけでは決断はできない。ビデオを流すと島地さんの動きも変わってくるだろうし、クリエイションにはその時間がたくさん必要になると思っています。

島地>用意していた素材にしても、最終的に使わなくなるかもしれないし。

さわ>そうですよね。彫刻をつくろうという話もあるけど、最終的に映像だけにするかもしれない。想像とは違うところにいってもらいたいという気持ちもある。カップの作品と島地さんを並べてみたりと(笑)、いろいろ試してはいて。

島地>指でつまんでもらいました(笑)(※下記画像作品)。例えばはなさんがコーヒーカップになってみるのもいいし、これとこれを組み合わせたらこうなるのかと、組み合わせていく作業も必要になる。

 

 

さわ>今回は僕も初めてのことだらけ。これまで舞台美術として作品を提供したこともなければ舞台に関わったこともないので、正直勝手がよくわからないんですよね。ギャラリーだとか芸術祭で作品を展示するということはあっても、劇場というのは知らない世界。“会場はKAATの大スタジオです、舞台ともまた違います”といわれても、その違いがまずよくわからない。

僕のいる美術畑はキュレーターと作家のふたりの関係でしかないから、基本的にふたりで話し合って決めていく。だから劇場関係者の役割にしても、プロデューサーとか舞台監督といわれても、何をする方なのかどう違うのかがまずわからない。僕の作法とは全く違うから全てが手探りだし、まずはやれることをやるしかないという心境です。

 

 

映像に立体や平面を組み合わせた独自のアート作品で世界的な注目を集めているさわさん。その創作手法とは?

さわ>シンボルだとか象徴的なものを集めてコラージュしていく、という手法です。映像をつくりはじめた頃からずっとこの方法で創作を続けてきました。僕の作品を観た人から、“20世紀初等のシュールレアリズムの影響を受けてるの?”と言われることがよくあって。

僕自身シュールレアリズムが好きかきらいかといわれると好きだけど、きちんと追求したことはなかったし、美術史や美術学をきっちり学んできたという訳でもない。ただ改めて勉強してみると、どうやらシュールレアリズムとは、ふたつの象徴的なものを組み合わせてみたり、それによって超現実なものをつくり出していったりすること、本来それがない場所に別のものを持っていくということらしい。

 

さわひらき《Within》2010年

 

そのシンボルを集めて組み合わせるという能力が、もともと僕にはあったんでしょうね。人には“シュールレアリズムの影響か”と言われるけれど、ずっと自然とやっていた。僕としては、シンボルをまず集めておかないと組み合わせられないんです。クリエイションに入るまでに道具を集めて、そこで合わせても合わなかったり、合っても意味の成さないもの、意味のわからないものが出てきたりする。意味がなくてもいいけれど、それをいろいろ試していくという作業です。

 

さわひらき《Dwelling》 2002年

 

 

-コンテンポラリー