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Kバレエ カンパニー プリンシパル堀内將平インタビュー!

Kバレエ カンパニーの12月公演『くるみ割り人形』で主演を務める堀内將平さん。10月にプリンシパルに就任し、今回昇格後初の舞台を迎える彼に、舞台への意気込み、そしてプリンシパルとなった現在の心境をお聞きしました。

Kバレエ カンパニー12月公演『くるみ割り人形』で主演のくるみ割り人形/王子を踊ります。リハーサルの手応えはいかがですか。

堀内>『くるみ割り人形』に主演するのは一昨年に続き2度目です。前回踊ったときより大幅に向上したいと考えていて、今また新たにいろいろなことに手を加えている最中です。『くるみ割り人形』はグラン・パ・ド・ドゥがとにかく大変で、体力的な負担もかなり大きい。とりわけソロは難しいジャンプもあるし、勢いで見せる『海賊』のような作品とはまた違い、王子様なので丹精に踊っていかなければなりません。

ただ王子の踊りはもちろんですが、今回はどちらかというとくるみ割り人形の方を中心に考えて稽古をしています。特に表現したいと思っているのが、くるみ割り人形のおもちゃ感。三大バレエでも『白鳥の湖』の王子はまだ感情の起伏があるけれど、『くるみ割り人形』の王子はイメージの中の王子様で、あまり感情の移り変わりもなければ誰かに対して好きという気持ちをはっきりあらわすこともない。ずっとノーブルでニュートラルな雰囲気でいなければいけなくて、だからこそくるみ割り人形のときはおもちゃ感を大切に、王子に変わったときのコントラストをお見せできればと考えています。

『くるみ割り人形』©瀬戸秀美

けれどおもちゃ感というのもなかなか難しく、カチカチした動きは少し苦手。前回の公演時に、ねずみたちと戦うシーンでもう少し強さやキビキビとした動きがほしいという課題をいただいたこともあり、今回はその反省点も踏まえつつリハーサルに取り組んでいるところです。

一昨年この役を踊ったときとは全然違う感覚があって、それは精神的なものが大きいと思います。あのときは『ロミオとジュリエット』、『ドン・キホーテ』、そして『くるみ割り人形』と一ヶ月ごとに主役デビューさせていただいていて、とにかく目の前の課題をこなすのに精一杯という状態でした。今回は少し余裕ができたぶん、体力的にも精神的にも落ち着いた状態で舞台に臨めている手応えがあります。

今回は4キャストが王子役を踊りますが、ダンサーによってそれぞれ優しい王子だったり品格のある王子だったりと表現するものも違うはず。その辺はパートナーの塚田真夕さんとの相性もみつつ演じていきたいと考えています。

塚田さんとペアを組むのは初めてです。彼女はすごく真面目で素直で吸収が早く、一回一回リハーサルごとに目に見えて変わっていくのを感じます。これまでも若手ダンサーが主演デビューする際は、先輩プリンシパルとペアを組んでいろいろ教わり、それでどんどん変わっていく様子を僕も間近で見てました。自分がそのポジションになった今、何か塚田さんにしてあげられることがあればという気持ちでいます。彼女はテクニックが強いので、アドバイスをするとしたら表現につながる部分でしょうか。例えばひとつの動きから次の動きにいくとき、今の動きを残したまま移行していくことはバレエにとって大切だったりする。そうした部分は僕自身Kバレエ カンパニーで教わってきたことであり、リハーサルでもどんどん伝えるようにしてしいます。

『くるみ割り人形』©瀬戸秀美

10月17日、『海賊』のカーテンコールで熊川哲也芸術監督からプリンシパルに任命されました。今回はプリンシパル就任後初の舞台になりますが、心境の変化はありますか?

堀内>プリンシパル任命は誰も事前に知らされてなくて、カーテンコールに突然熊川ディレクターがあらわれて昇格を告げられました。実は以前、ディレクターから“そのうちプリンシパルに昇格するから”と声をかけていただいていて、僕もどこかで“いつか昇格する日が来るのかもしれない”という気持ちはありました。けれどまさかこんなに早く任命していただけるとは思ってもみなかったし、本当に驚きでした。任命された瞬間は、喜びはもちろん、何より感謝の気持ちが大きかったですね。

5年前にKバレエ カンパニーに入団したときは、自分がどうしたらいいのか本当に分からなかった。主役を踊っているのは“Kバレエ カンパニーの男性ダンサーはこうあるべきだ”というダンサーで、けれどそれとは全く違うタイプの自分がいた。入団してしばらくの間、その違いに苦しんでいた時期がありました。けれどディレクターが僕を育ててくださった。テクニック的に学んだことはもちろんたくさんあったし、苦手だったパートナリングもいろいろ教わってできるようになった。演技もすごく苦手だったけど、いつしか演技派と言われるようにもなって、そこはディレクターが引き出してくださったことのひとつ。だから全部Kバレエ カンパニーに入って教わった感じです。

『海賊』©小川峻毅

ターニングポイントになったのは『クレオパトラ』の頃で、自分でもわかっていなかった何かをディレクターが認めてくださり、そこで僕自身“自分はこのままでいいのかもしれない”と思えるようになった。“もっと上手くなりたい”とか“完璧に踊りたい”というよりも、“そのままの自分で踊ろう”と考えられるようになった。

他のダンサーとは違っていたかもしれないけれど、でもその違ったところをうまくディレクターが引き出してくださり、そして評価してくださった。「いわゆるテクニシャンタイプではないかもしれない。ただ君はアーティスティックなタイプであり、演技派の踊りだ」と言われ、自分の中でもそこは大切にするようになりました。

僕の演じる役は優しすぎる部分があるとずっと前から言われていて、それはそれで自分の個性として保ちつつ、一方で『海賊』のような作品は僕にとって大きなチャレンジでした。けれど今回『海賊』を踊ったとき、アプローチを変えてみたら、Kバレエ カンパニーに入団した当初だったらできなかったコンラッドが表現できた。そこは成長できたところだと自分の中で実感した瞬間でした。

僕自身はプリンシパルになりたいと思っていたというよりも、役をいただくごとに毎回喜びを感じていた部分がありました。“いつかロミオを踊りたい”という昔からの夢があって、実際に踊ったときはすごくうれしくて、その後も新たな役を踊るたび自分の中の勲章が増えていく感覚があった。だから今まではそれだけで満足してしまっていたかもしれません。

Kバレエ カンパニーに入り、熊川ディレクターに出会えて、そしていろいろな人が支えてくれてここまで来れた。生きる意味というと大げさかも知れないけれど、自分の存在意義や価値を認めてくださった。自分一人では何もできなかったし、今の自分はなかった。他のバレエ団に入っていたらこんなに成長できなかったと思います。

みんなはプリンシパルになっても心境は変わらないと言うけれど、僕はすごく変わりました。自分を認めてもらえているんだということが理解でき、そこで落ち着いた部分もあると思います。ただプリンシパルになって初めての舞台という意味ではあまり気にしてないですね。プリンシパルになってもすることは変わらず、今までしてきたことを続けていくだけ。まず食べ物など生活全般から身体の調子を整え、同時に精神面も整えて、稽古を重ねて舞台に臨むだけだと思っています。

『海賊』©瀬戸秀美

10歳のときバレエを始めています。きっかけは何だったのでしょう。

堀内>もともと身体が柔らかかったこともあり、7歳から3年間ほど元オリンピック選手の塚田光男さんが経営する朝日生命体操教室で体操を習っていました。ところが引っ越しで通えなくなり、代わりの習い事を探していたとき、父の知り合いのバレエ留学のコーディネーターの方に“身体が柔らかいならバレエがいいのでは”と勧められたのがきっかけでバレエを習うことになりました。

母が見つけてきた教室で、2〜3軒見学に行った中からそこに決めています。ロシア人の先生の教室で、もともとボリショイバレエ学校で小さい子どもたちを教えていた方でした。先生は“ショウヘイ”の発音が上手くできず、最初に「あなたはサーシャね」と言って、その後ずっとサーシャと呼ばれるようになりました。

『くるみ割り人形』©言美 歩

先生はまず始めに僕を見て、「この子は才能があるからプロになれるわよ」とお墨付きをくださいました。ボリショイバレエ学校で教えていた経験から、身体つきなどで判断できたようです。当時はバレエが楽しいというよりも、先生が可愛がってくださるのが子供心に嬉しくて、熱心に稽古に通っていた気がします。

先生の勧めで特別に全てのクラスを受けることになりました。クラスは子どものクラスとポアントクラス、ストレッチクラス、あと大人の趣味クラスなどがありましたが、先生は「ポアントは脚にいいから」と言っていて、僕もポアントを履いて女の子たちと一緒にレッスンを受けていました。

レッスンはワガノワ・メソッドです。先生は表現が独特で、“手を移行するときは水の上を撫でるように”“バターをナイフですっと削るような感じで”といった具合に子どもにもわかりやすいように伝えてくれました。先生に教えてもらったことは今も大切にしていて、僕自身生徒たちに教えるときはできるだけわかりやすく伝えるようにしています。

先生はずっと「男性と女性ではステップが違う。私は男性のステップは教えてあげられないから、ある程度の年齢になったら海外に行きなさい」と言っていて、僕自身“いつか海外に留学してバレエを学び、そしてプロになるんだろうな”と自然と考えるようになっていました。“バレエダンサーになる”というのは将来の夢というよりも、具体的な未来のイメージとして抱いていた感じです。

『くるみ割り人形』©瀬戸秀美

実際2008年にジョン・クランコ・バレエ・スクールに入学し、その後2012年にルーマニア国立バレエ団に入団してプロダンサーとしてのキャリアをスタートしています。

堀内>先生に勧められて初めて観た舞台がウラジーミル・マラーホフの『くるみ割り人形』でした。上野の東京文化会館で、驚くほど柔らかい踊りに魅了されたのを覚えています。マラーホフの師匠がジョン・クランコ・バレエ・スクールで教えていて、それもあって先生にずっと「将来はジョン・クランコ・バレエ・スクールに行くように」と言われていました。プライベートオーディションを受けに行き、16歳のとき入学しています。

ジョンクランコ・バレエ・スクールはスクール6年、アカデミー2年の計8年制です。僕は6年生に編入し、アカデミーの2年間と合わせて計3年間通いました。とても厳しい学校で、学生時代はとにかく辛かった記憶しかないですね(笑)。日本にいたときは先生が“サーシャが一番”と言って誰より可愛がってくれたけど、向こうに行ったらそうはいきません。

僕以外にも海外からの留学生はたくさん在籍してました。コンクールでスカウトされて編入する生徒も多く、YAGPやローザンヌ国際バレエコンクール入賞者など優秀な生徒が当たり前のようにいます。僕はスタイルからして劣っていて、もうコンプレックスだらけ。僕の担任は校長先生で、とにかく厳しいし、習ってきたこともまた違う。日本の先生は伝統的なロシアのスタイルで、例えばピルエットも2番ポジションから回ります。一方ジョン・クランコ・バレエ・スクールはもちろん4番からで、現在主流となっているバレエスタイルです。

入学時に抱いたコンプレックスは結局解消されず、学校を卒業し、バレエ団に入っても変わらずついてまわりました。脚が太く筋肉質なのをずっと気にしていて、それが解消されたのは日本に帰ってしばらく経ってから。他の人と違うのはある意味個性なんだと理解でき、だったらこれは自分らしさということでいいんだと思えた。それからは自分の個性として大切にしています。

ジョン・クランコ・バレエ・スクール卒業後、ドイツ・バイエルン州のホーフにあるダンスカンパニーに入団しました。当時はどこも就職難で、YAGP最年少グランプリの友人でさえカンパニーが決まらないほど。そんなとき担任だった校長先生がカンパニーのバレエマスターを紹介してくれることになり、一年間ホーフで踊っています。

『くるみ割り人形』©小川峻毅

ルーマニア国立バレエ団にはオーディションで入団しました。もっとクラシックが踊りたいという気持ちがあって、より古典作品が充実したカンパニーをと考えての移籍です。ルーマニア国立バレエ団には計3年間在籍しましたが、公演数も多く、本当にいろいろな経験をすることができました。公演スタイルはロシア式で、例えば今日は『くるみ割り人形』で3日後が『白鳥の湖』、その次が『海賊』、来週は『ジゼル』といった具合に次々作品を上演していて、だから常にいろいろな役を同時進行でリハーサルしていた気がします。

在団中は『ラ・シルフィード』のジェームスや『白雪姫』の王子で主演し、ほかにもいろいろな作品でソリストを踊っています。レパートリーのなかでも特に印象に残っているのが『白鳥の湖』。イタリアで活躍しているルーマニア人振付家の作品で、衣装もきれいで舞台セットもシックなとてもおしゃれな作品です。僕は何故かいつも『白鳥の湖』ではパ・ド・トロワばかり配役されていましたね。

ルーマニア国立バレエ団に入ったとき、“アリーナ・コジョカルよりもすごいバレリーナがいる”という話を耳にしました。コリーナという当時40歳過ぎのベテランダンサーです。けれど同じルーマニア出身でもコジョカルは世界的に知られる名バレリーナであり、だから僕の中では当初半信半疑で聞き流していた感じでした。

その認識が変わったのは『白鳥の湖』のリハーサルのとき。主役の二人が真ん中で踊っていたら、隅の方でコリーナが踊りだして、目が離せなくなってしまった。彼女は当時すでに全幕作品は踊ってなくて、体型も多少変わってきてはいたけれど、真ん中でリハーサルをしている主演ダンサーたちに目がいかないくらいきれいだった。美術館ですてきな絵を観てため息が出て動けなくなることがあるけれど、まさにそういう感覚です。僕だけではなく、みんな見とれていました。やはりバレエというのはただ足を上げたり回ったり飛んだりするだけではないんだと、内側から溢れるものが大切なんだと改めて気付かされた瞬間でした。

『くるみ割り人形』©瀬戸秀美

日本に帰国しようと思ったのはなぜでしょう? Kバレエ カンパニーに入団した経緯をお聞かせください。

堀内>海外で暮らしているのはバレエを踊るためで、もしバレエが少しでも上手くいかなかったら生活全てが駄目になってしまう。そんな想いがだんだん強くなってきて、そろそろ日本に帰ろうかなと考えるようになっていました。そんなとき「オーチャード・バレエ・ガラ~JAPANESE DANCERS~」に出演させていただくことになり、ちょうどいいタイミングだと思い帰国を決意しました。プライベートオーディションを受け、Kバレエ カンパニーに入団することになりました。

初めて海外に行ったのは14歳のときで、ジョン・クランコ・バレエ スクールの前にウズベキスタンとモナコの学校に通っています。なので日本は9年ぶりで、僕は23歳になっていました。久しぶりの日本はカルチャーショックでしたね。チューインガムを噛みながらリハーサルスタジオに入ろうとしたら、周りの人が慌てて“ダメだよ、今すぐ出して!”と教えてくれて、そこで僕も“そうか、リハーサルでチューインガムを噛んじゃダメなんだ”と初めて知って(笑)。入団して最初の公演のとき、本番当日の朝レッスンに行かなかったら、後で“何で堀内くん来なかったの?”と言われ、“あれ、行かなきゃいけないんだ”とそこでまた知って(笑)。

海外は個人主義で、本番をきちんとこなしてくれれば後はお任せという雰囲気がありました。本番の日のレッスンもダンサー個々の意志に任されていて、行く人もいれば行かない人もいる。Kバレエ カンパニーに入った当初は僕もその感覚で、悪気があった訳ではなかったし、たぶん感覚がズレていたんでしょうね。僕もびっくりしたけれど、きっと周りの方はもっとびっくりしていたと思います(笑)。

『くるみ割り人形』©瀬戸秀美

バレエダンサーとして心身の管理で普段心がけていること、実践していることはありますか?

堀内>ヴィーガンベースのペスカトリアンを実践しています。ベジタリアンの一種で、魚は食べるけど肉は食べず、乳製品と卵もできるだけ避けるようにしています。もともとお肉は好きだったけど、いろいろ調べた結果アスリートにはあまり必要ではないのではと考えるようになって、実際試してみたら自分にすごく合っていた。今年一月の『白鳥の湖』の前から始めましたが、本当に身体の調子がいいですね。かつてないほどジャンプが高く跳べて、自分でも驚いています。

日本に帰ってきてから茶道とピアノを習い始めて、あと演技の勉強もしています。ちょっとずつ挑戦するのが好きで、だからすごく忙しいんです(笑)。今年の自粛期間中は時間があったのでずっと勉強してました。主に不安の対処法や睡眠、食事についてで、いろいろな本を読んで調べたり、メンタルトレーナーの方に会ったり、TEDトークでプレゼンスピーチを見てはノートにまとめるという作業をしていました。

もともとすごく緊張するタイプで、いつも大スタジオで稽古をしていたものが、小さいスタジオに場所が移るだけで距離感や感覚が全然違って思うようにできなかったりする。もちろん舞台に立ったら状況はもっと変わります。そうした緊張の緩和の意味もあり、よくイメージトレーニングをしています。イメージトレーニングはまず目標を設定し、具体的に期限を決めて、それに至るまでの詳細な道筋を考えていくところから始めます。例えば“『くるみ割り人形』の王子で自分の力を出し切って12月×日の舞台を成功させる”といった具合に目標を立て、それを何カ所か目のつく所に貼っておく。さらに公演当日の会場の様子、観客の雰囲気など、できる限り詳細にイメージしていきます。

言葉選びも大切で、“〜できない”“〜がない”ではなくて、“〜がある”に置き変える。“失敗しない”は“失敗”が言葉として大きいので、“成功する”という風に置き換える。これはメンタルトレーニングのひとつです。僕は自己評価が低いので、どうかすると“これもできてない、あれもできてない、もうだダメだ”といった思考に陥りがち。だからこそトレーニングでメンタルを強化することで、できるだけ自己肯定感を強く持つようにしています。

『くるみ割り人形』©言美 歩

プリンシパルという最高位になった今、これから目指すものとは?

堀内>バレエダンサーというのは身体表現だけではなく、そこから出てくる何かがより大切で、その何かを目指したいと思っています。僕のインスピレーションのひとつになっているのがルーマニアで出会ったコリーナ。当時すでにダンサーとしてのピークは過ぎていたけれど、思わず見とれて目が離せなくなってしまった。先日ライブビューイングで観たフェデリコ・ボネッリにも刺激を受けました。『眠れる森の美女』の王子役で、ジャンプは高くて誰より上手く、雰囲気も素晴らしい。彼はもう40歳を過ぎているけど、全く衰えていないんです。僕もああなれるよう、常に自分を追い込み続けていきたいと考えています。

バレエの裾野を広げていきたいという気持ちもあります。日本の場合バレエを観に来るお客様は中高年の方が大半だけど、海外では若い方もたくさん劇場に足を運んでる。国のサポートもありチケットが安く購入できるという背景もあるけれど、もう少し日本も若い世代だったり幅広い方にバレエのかっこ良さを知っていただけたらという想いがあります。

バレエの持つ可能性はもっとあると思っていて、例えば海外だとバレリーナがバレエ以外のさまざまなジャンルとコラボレーションするようなことも多い。僕自身いろいろ挑戦していきたいと考えていて、そこで可能性を広げることで、結果的に幅広い方にバレエを観てもらえるようになればと思っています。

『くるみ割り人形』©瀬戸秀美

2021年は一月公演『白鳥の湖』の王子役からスタートします。来年はどんな年にしたいですか? 

堀内>今年の初めにやはり『白鳥の湖』の王子を踊って、熊川ディレクターから演技派らしい王子でよかったと言っていただきました。ただそのときは人間味溢れる王子像を目指していたせいか、思った以上に普通の人間に寄り過ぎてしまったという反省もあります。踊りや立ち居振る舞いも含め、次回はより王子らしさを感じさせる演技を課題にしたいと思います。

今年は集中して勉強もでき、自分なりに充実した一年を過ごせたし、成長を実感できた部分もたくさんあります。来年はもう少し世の中が落ち着いて、安心して舞台を楽しめるようになればと願っています。そしてまたみなさんにいい作品を届けられたらと思っています。

©Hidemi Seto

 

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