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飯島望未『ドン・キホーテ』インタビュー!

元ヒューストン・バレエ団プリンシパルの飯島望未さんが、Kバレエ カンパニー5月公演『ドン・キホーテ』に主演! 飯島さんがKバレエ カンパニーにゲスト出演するのは今回が初めてであり、8月には正式入団が控えています。日本で第二のダンサー人生をはじめる飯島さんに、現在の心境と舞台への想いをお聞きしました。

Kバレエ カンパニー5月公演『ドン・キホーテ』で主演のキトリを踊ります。Kバレエ カンパニーには今回初登場となりますが、リハーサルの手応えはいかがですか。

飯島>『ドン・キホーテ』のリハーサルが始まったのは4月下旬。熊川版はとても難しいですね。音ごとに動作が組み込まれているのでステップ数が多く、テンポも速い。音の取り方も従来のものとは細かいところで違っていて、まずそれに馴れるのにひと苦労です。

パートナーの山本雅也さんとは今回初めてペアを組みます。山本さんは丁寧にしっかりサポートしてくれるので、そういう部分で不安は全くないですね。“気持ち悪いところがあったら何でも言ってね”と気遣ってくれるのですごくやりやすいですし、背丈もちょうど良く、とても踊りやすいパートナーです。

熊川版の『ドン・キホーテ』は荒井祐子さんがキトリを踊ったときのDVD を持っていて、映像ではよく観てました。あれからまた振付もだいぶ変わっているので、主に雰囲気や演技の面を参考にさせていただこうと思っています。まずは踊りに集中して、少し余裕が出てきたら、どういうキトリにしたいか明確にしていくつもりです。私が好きなのは、ちょっとやんちゃな、人間味のあるキトリ。例えば、ディアナ・ヴィシニョーワのキトリ。可愛いし天真爛漫で、でも大人っぽさもあって大好きです。

©Toru Hiraiwa

初めて『ドン・キホーテ』のグラン・パ・ド・ドゥを踊ったのは12歳のころ。バレエ教室の発表会で、それが私にとって初めてのグラン・パ・ド・ドゥでした。その後、ヒューストン・バレエ団のジュニアカンパニーのときも踊りましたが、まだ学生だったこともあり、ただただ楽しく踊っていたイメージがありますね。

ヒューストン・バレエ団で『ドン・キホーテ』の全幕を上演したときは、キャスティングはされていたものの怪我で結局出ることができませんでした。全幕でキトリを踊るのは今回初めてです。主演デビューということで、弾けた踊りをお見せしたいと思います。目下の課題は体力面をクリアすること。特に私は一年間舞台に立っていなかったので、いつも以上に頑張らなければと思っています。

最後に舞台に立ったのは昨年3月、ヒューストン・バレエ団で上演した『眠れる森の美女』でした。その後ロックダウンでステイホームオーダーが出たため、カンパニーのスタジオが使えなくなってしまいました。自宅で自主レッスンをしてはいたものの、家でできることは限られていて、筋トレやバー、センターはせいぜいスモールジャンプくらいまで。本当に大変でしたね。このままヒューストンにいても動けないから意味がないなと思い、一時帰国して地元の大阪で過ごすことにしました。大阪では地元のバレエ教室に行ったり、ジムに通って身体をキープするよう心がけていました。

その後ヒューストンに戻りましたが、ステイホームオーダーは解けても制限はまだまだ多く、スタジオに行けるのは二日に一回程度。ヒューストン・バレエ団のスタジオは大きいのですが、レッスンに参加できる人数は限られていて、一度にスタジオに入れるのは5〜7人ほど。その上“あなたはここから出たらダメ”といった感じでひとりひとりスペースが区切られているので、きちんと動けたという感覚はありませんでした。監督のクリエーションもはじまってはいたものの、ひとりずつしかスタジオに入れず、リハーサルも週に一回あるかないかという状態。公演もずっと休止が続いていて、2021年11月の『くるみ割り人形』で再開する予定と聞いています。

ヒューストン・バレエ団を退団したのは今年の2月。パンデミックの影響はひとつの理由ではあるけれど、ゆくゆくは日本で踊りたい、バレエ以外の仕事も含めてもっとバレエを広めたい、劇場に足を運んでもらうきっかけを作りたいとずっと思っていたので、タイミング的にもちょうど良いのではないかと考えた末の決断でした。

ヒューストン1年目

『ドン・キホーテ』にゲスト出演後、8月にKバレエ カンパニーへ正式入団することが決まっています。入団のきっかけは何だったのでしょう。

飯島>私の方からKバレエ カンパニーにコンタクトを取り、入団したい旨を伝えました。Kバレエ カンパニーの公演は小さいころからずっと観ていたし、レパートリーもすごく好きで、日本で踊るならKバレエ カンパニーがいいなと思っていたんです。熊川哲也芸術監督にはオーチャード・バレエ・ガラで私の踊りをご覧いただいていた御縁もありました。入団が決まったときは本当にうれしかったです。

オーチャード・バレエ・ガラには二回出演していて、熊川監督と最初にお会いしたのは2015年だったと思います。初めてお見かけしたときは、ただただオーラが眩しくて、“あ、本物の熊川さんだ、本当に実在するんだ!”とミーハーにも思っていましたね(笑)。

 Kバレエ カンパニーの魅力は、ダンサーの個性がすごくはっきりしていて、カンパニー色が明確で、作品のストーリー性をわかりやすくお客さまに伝える構成になっているところ。踊ってみたい作品がたくさんあります。特に私は『ロミオとジュリエット』が大好きで、来シーズンのプログラムに入っているので、今からすごく楽しみです。

「オーチャード・バレエ・ガラ」2019年公演時『ロミオとジュリエット』© Hidemi Seto / Bunkamura

6歳でバレエをはじめ、7歳のときには早くもプロを目指していたそうですね。

飯島>プロになりたいと思ったのは、森下洋子さんの舞台を観たのがきっかけでした。舞台上で放たれるオーラが圧倒的で、そこに存在するだけで成立してしまう。子どもながらにすごいなと感じたのを覚えています。当時は地元のバレエ教室に通っていましたが、それからは個人レッスンもしてもらうようになりました。6歳で稽古をはじめて、7歳でトゥシューズをはき、8歳くらいからコンクールに出ています。

小学校3〜4年生のとき、もっと基礎を学びたいと思い、別のバレエスクールに通うようになりました。自宅からスタジオまでは電車で30分くらい。最初は週2〜3回からはじめ、それから徐々に増やしていきました。

スクールの先輩方の多くが留学していたこともあり、自分もいつか留学したいと考えるようになりました。留学のきっかけは13歳のとき参加したユース・アメリカ・グランプリ。決選はニューヨークの会場でしたが、舞台上で踊っていたらフィードバックがダイレクトにかえってきて、日本との違いに驚かされました。良かったら素直に会場が沸くし、ダメだったらダメでとてもわかりやすい。芸術もひとつのエンターテインメントとしてお客さまを喜ばせる、そのアメリカの文化がいいなと感じました。自分の踊りで観客を沸かせられるダンサーになりたいと想い、留学するならアメリカにしようと決めました。

アメリカに行ったのは15歳のとき。スカラシップを得てサマー・スクールに参加したのち、ヒューストン・バレエ団のジュニアカンパニーに入りましたが、何年もそこでずるずる留学を続けられないのはわかっていたし、一年で正団員の契約をもらえなかったら日本に帰ろうと決めていました。すごくがむしゃらだったし、必死でホームシックどころではなかった感じでした。

ヒューストン1年目。初めてのソロ

翌年、ヒューストン・バレエ団に当時最年少で入団。以降順調にキャリアを重ね、プリンシパルにまで登り詰めています。ヒューストン・バレエ団での想い出をお聞かせください。

飯島>ヒューストン・バレエ団のレパートリーは、古典のほかヨーロッパの振付家のコンテンポラリー作品まで幅広いラインナップが揃っています。『ジゼル』など古典はほぼ監督のバージョンで、そういう意味ではKバレエ カンパニーと似てますね。ヒューストン版は高度なステップやテクニックがたくさん入っていて、何よりパ・ド・ドゥが難しい。ダンサーにとってそれをクリアするのは大変ですが、上手く踊りこなすことができればすごくダイナミックで見応えがあります。

思い出深い作品や役はたくさんあります。一番最近でいえば『Marie』。マリー・アントワネットを題材にした監督のオリジナル作品で、2009年に初演したときはメイド役を踊っています。当時メイド役といえば黒人やアジア人が配役され、マリー・アントワネットやその仲間の上流階級役は白人のダンサーが踊ることになっていました。時代背景もあり、しょうがない部分もあったのでしょう。でも2019年の公演ではマリー・アントワネット役をいただいて、時代が変わったんだなとちょっと感慨深いものがありました。

ヒューストン2年目。フォーサイス作品に出演

ファッショニスタとしても知られ、CHANELのビューティーアンバサダーを務めるなど、幅広い活動で注目を集めています。

飯島>ファッションに目覚めたのはアメリカに行ってから。母が洋服が好きで、日本にいたころはずっと母の好みの服を言われるがまま着せられていた感じでした。母はセンスが良い方なので、おしゃれはさせてもらっていたと思います。けれどアメリカに行き、いざ自分で買い物をするとなったとき、自分自身どういう服が好きなのか、似合うのかわからず、雑誌を見たり、いろいろなジャンルの服を着たりと試行錯誤をしていくうちに、ファッションに興味を持つようになりました。

母もシャネルが好きで、私が中学生のときコンクールのメイク用にシャネルのアイシャドウをプレゼントしてくれたことがありました。ピンクのシャドウで、それが私のファーストシャネルでした。今考えると贅沢ですよね(笑)。実は母はシャネルと同じ誕生日。シャネルとは縁があるのかもしれません(笑)。

「オーチャード・バレエ・ガラ」2015年公演時『精密の不安定なスリル』© Shunki Ogawa / Bunkamura

東京で新たなバレエ人生がはじまります。今後の活躍が期待されますが、現在の心境と抱負をお聞かせください。

飯島>日本に帰ってきて一番うれしかったのは、大きいスタジオで思う存分踊れること。この状況下でスタジオを使うことができ、バレエを続けさせてもらえるのは、カンパニーのスタッフや周りの方々のおかげで、本当に感謝しています。

Kバレエ カンパニーでこれから学ぶことは多いと思うし、いちからいろいろなことを吸収していきたいという気持ちでいます。これからの新しいダンサー人生、ただただ一生懸命、誠実に踊っていきたいと思っています。

©Toru Hiraiwa

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