笠井叡 新作公演『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』インタビュー!
この春、世田谷パブリックシアターで新作『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』を発表します。サブタイトルは“─ 天使館を通り過ぎ、遠く離れていったダンサーたちが今此処に ─”。作品創作のきっかけをお聞かせください。
笠井>天使館ができたのは1971年で、設立からかれこれ50年が経ちます。ただ今回の公演は50周年を記念するものではなく、旧天使館メンバーと新天使館メンバーが初めて合同で公演をするというのが一番の趣旨。ここでいう旧天使館メンバーは初期メンバーで、1971年の設立時から私がドイツに行く1979年までの8年の間に天使館に関わった人たち。一方新天使館メンバーは私がドイツから戻った1985年以降に出会った人たちで、そう考えると新天使館メンバーの方が関わりは長いことになりますね。
公演のきっかけになったのは旧知の関係者の追悼の会で、みんなの中で一度メンバーが集まって公演をしたいという想いが高まった。私の発案というよりみんなに背中を押された形でしょうか。公演の構想が始まったのが3年ほど前で、実際に動き始めたのは去年の夏以降。稽古は天使館をメインに、通し稽古など大人数のときは近隣の施設で行っています。
ダンサーは私を含めて16名で、妻の久子が朗読で加わります。天使館に関わった人たち全員となるとすごい数になってしまいますから、もちろん声をかけられなかった人も多くいます。
旧天使館メンバーは5名で、今なおダンス活動をしている方という前提のもと声をかけていきました。山田せつ子さん、山崎広太さん、大森政秀さん、杉田丈作さんはずっとダンスを続けていて、なおかつこの4名はこうした公演がなくても変わらずコンタクトを取ってきた人たち。山崎さんは高校を卒業してすぐ天使館に来たので関わりはかなり長くなりますね。今はアメリカ在住で、現地の大学でダンスを教えたり、海外のカンパニーに振付をしたりと、国際的に幅広く活動されています。
山田さんはずっとソロ活動をしていて、振付をしたり、京都造形芸術大学でダンスを教えていたこともありました。大森さんは中野の劇場『テルプシコール』を主宰していて、杉田丈作さんも長く舞踏活動を続けてる。齋田美子さんは昔天使館にいた方ですが、今はダンスを辞めて気功や太極拳など身体作りの方に集中しています。ただ今回は作品としてご一緒してみたらどうだろうということで声をかけました。
新天使館メンバーは10名。浅見裕子さんは私の次男の笠井禮示の連れ合いですが、もともと山崎広太さんのところでダンスを学んでいて、その後天使館でオイリュトミーを始め、ダンスと両方の活動をしています。上村なおかさんは三男の笠井瑞丈の連れ合いで、お茶の水女子大学の舞踊教育学科で木佐貫邦子さんに学んだ方。天使館で私のオイリュトミーの講座やダンスの講座にも参加しています。
鯨井謙太郒さんはオイリュトミーを学び、その後自身のダンスカンパニー・CORVUSを立ち上げて活動しています。櫻井郁也さんは私が日本に戻ってからずっとオイリュトミーを続けていますが、ダンサーでもあってダンス活動もしています。定方まことさんは随分古くて、高校のころから私のもとで学んでいる。関わりでいうと寺﨑礁さんや野口泉さん、原仁美さんもかなり長く、みなさん20〜30年の付き合いになりますね。
タイトル『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』が意味するものとは?
笠井>“カリオストロが見た夢”とタイトルにつけてはいますが、夢の内容を物語として具体的に展開してみせるというわけではありません。
カリオストロという人物について正確に知っている人は割と少なく、やはりみなさん『ルパン三世』のイメージがありますよね(笑)。一般的には人を騙してお金を取ったり、ルイ16世の王妃から首飾りを掠め取った首飾り事件に連座した人物といわれていますが、あまり実像はよくわかってなくて。騙し取ったお金を貧乏人たちに配っていた人ですから、一種の慈善事業をしたいという考えもあったのかもしれない。冒険性と共に差別的な社会構造を正そうとしたということで、フランス革命を首謀した一人という風にもいわれています。
カリオストロは植物や鉱物から薬を作る薬学に詳しい人で、無料で人々の治療を行っていた。大きなホールに病を持った人たちを何百人と集めて無料で薬を配り、即興でダンスをしてみせ、無意識的に病気を身体から発散するよう仕掛けていたといいます。
カリオストロはフランス革命のころローマに渡り、そこで捕まって異端裁判にかけかれ、牢獄に入れられた。当時の牢獄というのは本当に悲惨な環境でしたから、とても過酷な日々だったと思います。そんななかカリオストロは6年間生きながらえ、牢獄の中で死んだ。
今回の公演でダンスにするのは、カリオストロが牢獄で死んだときに夢見ていたこと。カリオストロが夢見たのは社会革命や政治革命ではなく、自然界と人間の新しい関わりとして一種の友情関係が結ばれることだった。人間も植物や動物といった自然界の一員であり、人間も植物も動物も等しく捉えるべきだとーー。
作中にストーリー的なものはあるにはあるけれど、演劇的な背景ではなく、振付のコンセプトや場面作りの部分で“カリオストロが夢見た事”を描いています。特にキャスティングはしていません。私がカリオストロかどうか、そこは自由に考えていただいていいでしょう。
朗読では“カリオストロが夢見た事”が語られるのでしょうか。
笠井>久子が朗読するのはカリオストロの夢についてです。マルキ・ド・サドがバスティーユの牢獄にいた当時執筆した文章や評論をもとに私がイメージして書いたテキストで、私の言葉に変えてはいますが、かなりサド的なものになっています。
サドはバスティーユ牢獄をはじめあちこちで長く牢獄生活を送った人だった。牢獄生活の中で小説を書いていて、牢獄作家と呼ばれています。彼が主題としたのが、ヒエラルキーを超えた社会を作っていきたいという思想。ヨーロッパがカソリックやプロテスタントといった神に支配されるなか、サドは神とは関わりなく人間が自由に新しい人権を作るべきだと考えた。理想主義的な思想だったように思います。
フランス革命で民主主義の理念は出てきたけれど、民主主義というのは結局のところ議会制により多数決でものごとを決めていく。サドの思想は違って、自分の中にあるもので社会を作っていきたいと考えた。全体主義の反対で、個人の中にあるものを社会全体に広めていきたいと、個体的な政治を歴史作りたいと夢見てた。いわゆる多数決を越えようとした人です。
もう一人、当時ジャン=ポール・マラーという人物がいた。マラーは革命家で、人間論や唯物論的な思想を持っていたりと、一種のマルクス主義の源流となったともいわれている人。だからマラーとサドの思想は対極のものだったかもしれません。
社会主義を大きくわけるとフランス型の社会主義とロシア型の二種類あって、ロシア型は階級闘争、つまり労働者が立ち上がった労働者のための理想社会なのに対して、フランス型は自由・平等・博愛という人権を確立するためのものなのでちょっと違う。
サドは晩年ある精神病院に入っていて、そこで劇を書いていた。それを元に劇作家のペーター・ヴァイスがサドとマラーの戯曲を書いています。戯曲の根底にあるのはサドとマラーの違いであり、二つの社会主義の闘いが流れてる。
ペーター・ヴァイスの戯曲は非常に複雑で、改めて読んでみるとすごく面白い。劇中劇の劇中のように三重構造になっていて、まずマラーを題材にサドが精神病院で作った芝居があり、サド自身が患者たちを使って上演してる。次にその芝居を上演しようとする団体があらわれる。そこで劇中劇という二重構造になる。その劇中劇を観客に見せるという構造を取っているので、観る人にとっては三重構造の芝居になっている。だからものすごくややこしい。けれど劇中構造を芝居にしていることで、ドラマトゥルギーだけで見せる芝居とは違う面白さがある。
ペーター・ヴァイスとカリオストロは直接のところ関係はないけれど、カリオストロもバスティーユにいて、サドもバスティーユにいて、マラーもバスティーユと関わりがあった。その辺りのところが舞台とイメージ的に結びついています。
ただ今回は政治的な作品というわけではなく、これらは私の中で考えているだけ。こうした背景を15人の人たちに話すようなことはあまりしませんが、なんとなく伝わるものはあるのではないでしょうか。
天使館では舞踏のほかにオイリュトミーも教えていますが、本作でいう“ポスト舞踏公演”はいわゆる舞踏の身体性によるものでしょうか。
笠井>オイリュトミーというのは簡単に言えばヨーロッパの舞踏で、ヨーロッパに舞踏があるとしたらオイリュトミーがそれにあたる。何をもって舞踏というかというと、やはり内面的なところから踊りを作るもの。そういう意味ではオイリュトミーは舞踏であり、だからこの二つをわけて考えてはいません。
“ポスト舞踏”という言葉を使いだしたのは、2021年2月に上演した『櫻の樹の下には』からでした。自分で舞踏という言葉を使い始めながら、最近自分の公演を舞踏と言うのが気恥ずかしい感覚があって。舞踏というとどうしても様式化してしまう傾向がある。スタイルが決まってしまう。天使館は何かの決まった様式やヒエラルキーをもったカンパニーではないので、舞踏というとやはりそぐわない感覚がある。だから言葉自体に大きな意味はないけれど、仕方なく“ポスト舞踏”と名乗っています。
天使館には先生だとか生徒だとか弟子だといったヒエラルキーは一切ない。なのでまた違う人間関係が持てる場所であり、そうした稽古場というのは天使館の特徴でもある。そういうものをベースにした人間関係の中から生まれてくる舞台がこの『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』なのではないかと考えています。
笠井さんは作品ごとに即興や振付とさまざまな動きを取り入れていますが、今回はどのような作品になるのでしょう。
笠井>今回は即興と振付の両方の部分があって、旧天使館メンバーは主に即興で踊ります。私自身ドイツに行く前、旧天使館メンバーの人たちに振付をして作品を作ったことはほとんどありませんでした。一方新天使館メンバーの方はこれまでの作品も即興的というより振付作品が多かったので、今回も定められた振付での動きが多くなっています。
ただ大森さんや杉田さん、山崎さんにしても、旧天使館メンバーはみんな自分たちの活動をしている人たちで、みんな自身のひとつの舞踏の世界を確立している。自分の世界を確立している人たちに私の動きを踊ってもらうという面白さはあって、別の側面を出したいという気持ちもありますね。
ソロにデュエット、トリオ、カルテット、そして新旧天使館メンバーが全員一緒に踊る場面もあります。天使館はこういう踊り方をしなければいけないといったものは一切ない場所ですから、新旧メンバーが集まり、自分の踊りを作っていくことで、人の動きを見ることもできるし、そこで自分の動きを見ることもできる。
出演者が多いということもあり、次から次へと場面が変わっていきます。使用する音楽もさまざまで、グスタフ・マーラーの交響曲をメインに、現代音楽家のヤニス・クセナキスの楽曲やノイズ音も使います。クセナキスの楽曲はシャンソンで、客席にピアノを置いてピアニストが演奏します。クセナキスの楽曲は難曲で知られ、弾くのがすごく難しい。だからピアニストは大変で、かなり苦労するのではないでしょうか。
全部で4場面ほどあって、前半が1時間、後半が休憩入れて1時間でだいたい計2時間くらい。とても長い作品です。だからみなさん途中の休憩でお帰りになんじゃないかと思うんですけど(笑)。
新・旧天使館メンバーが一堂に会し見えてきたものは?
笠井>踊りというのは何ヶ月も練習したからできるわけではなくて、踊ることの中に何かが流れていないと踊りにならない。何かというのはその場所、稽古場全体の中に流れているある種の内面的なものや精神的なもの、人間関係の作り方、言葉の交わし方といったものの中から作られたもの。だから振付だけではなかなか出てこないものがある。振付を支えるもうひとつの力のようなもの、それを共にしてゼロから作り出すのはすごく大変な作業です。
例えば振付とか即興というのはダンスを作る手法ですよね。手法ももちろん大切ではあるけれど、ダンス作品というのはそういうものだけでは絶対に作ることはできなくて、それを支えている人、そこに出ている人たち全体のダンスや身体に対する考え方、共有している部分が見えるかどうかがやはり大切になる。15人なら15人の人たち以外のもう一つ全体的な力がそこに働いているかどうかということです。
自分だけではなく、場を共有している人たちの内部にちゃんと届いている動きというのは踊っているとはっきりわかる。一緒に動いている人間と全然結びついていないなという瞬間と、確かに共有して結びつきながら動いているのとでは違う。そのために稽古をしているようなものですけど。特に16人ともなるとそういう結びつきがあるかないかというのはかなり重要で、意図的に作れるものではない気がします。
付き合いが長いから結びつきやすいという部分は確かにあります。ただそれがいい意味になることもあるし、反対に仲間内的な甘さに変わることもある。だから自分たちだけでわかる部分と、それが観客に一体どういう風に見えているのかというのがわからない部分があります。その辺が一番難しいところかもしれないですね。
作品の行き着く先とは? 天使館はこの大きな節目を経て、今後どうなっていくのでしょう。
笠井>15人の人たちの動きや内的な力の出し方というのは正直言ってわからない。だから作品の構成というのはその人たちを生かす形、要するに今回はカリオストロの物語を踊るのではなく、15人の人たちがそれぞれの身体に持っているものが出ればいいというのが私のコンセプトです。
どういう構成にしたら15人の人たちの身体が出てくるか、この人とこの人を組み合わせたらこうだというのは割とすぐにわかって、そういう意味でいうと構成を作るのはさほど大変ではない。けれどその構成を通して何が出てくるのかというところが、実はわかっているようでわからない。今回は通し稽古が非常に多く、通しては壊し、通しては壊し、といった感じで作っていて、だからどんどん変化している。それが本番まで続くだろうし、最終的に舞台でどういう形になるかはまだ見えない状態です。
天使館はカンパニーではなく、自由に集まって好きなように身体を動かすところ。自分の持っている身体性を支える何かが結果として作品を作る。今回の公演の場合はそれにあたる部分が天使館という場であり、その場を共有してる人たちであり、彼らがこの作品を踊るというのが重要なポイントだと稽古をしていてつくづく感じます。
今回は新旧メンバーがカンパニーのように集まっていますが、こうした試みはこれが最初で最後になるかもしれません。この先も天使館は今までと同じような場であると考えています。ただ変わることは変わるだろうなという気はします。意図的にこうしようというのは今のところないけれど、ただこれまでとは違う活動になるのではないかという予感はしています。
プロフィール
笠井叡
舞踏家、振付家。1960年代に若くして土方巽、大野一雄と親交を深め、東京を中心に数多くのソロ舞踏公演を行う。1970年代天使館を主宰し、多くの舞踏家を育成する。1979年から1985年ドイツ留学。ルドルフ・シュタイナーの人智学、オイリュトミーを研究。帰国後も舞台活動を行わず、15年間舞踊界から遠ざかっていたが、『セラフィータ』で舞台に復帰。その後国内外で数多くの公演活動を行い、「舞踏のニジンスキー」と称賛を浴びる。代表作『花粉革命』は、世界の各都市で上演された。ベルリン、ローマ、ニューヨーク、アンジェ・フランス国立振付センター等で作品を制作。https://akirakasai.com
公演情報
笠井叡新作
天使館ポスト舞踏公演
『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』─ 天使館を通り過ぎ、遠く離れていったダンサーたちが今此処に ─
構成・演出・振付:笠井叡
出演:浅見裕子、上村なおか、大森政秀、笠井久子、笠井瑞丈、笠井禮示、鯨井謙太郒、齋田美子、桜井郁也、定形まこと、杉田丈作、寺崎礁、野口泉、原仁美、山崎広太、山田せつ子、笠井叡
日程:2022年3月3日(木)19:00、4日(金)19:00、5日(土)14:00、6日(日)14:00
会場:世田谷パブリックシアター
https://rogoku.akirakasai.com/
問い合わせ:
ハイウッド
03-6302-0715(平日11:00〜18:00)
hiwood.info@gmail.com
※記事は2022年2月19日現在の情報です。最新情報は公式HPにてご確認ください。